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12世紀フランスの社会を、少し紹介します!

皆さま、ご無沙汰しております。

恒例の挨拶ですね。ごめんなさい。。。


今回は少しYouTubeの最新動画と連動しているテーマを紹介します。

ずばり、

12世紀フランスの社会と「騎士階級」について

です。


先日YouTubeで動画を出したのですが、撮影中に

とある疑問点

にぶつかりまして、それを考え続けていました。


そして、見えてきたんです。


今回、この「見えてきたもの」の一部を紹介します。

では、何が見えたのか?ということなのですが、

それが、ズバリ

12世紀フランスの社会と「騎士階級」の歴史

だったんです(2回目)。



ところで、今回は短めにしたいと思っております。

思っているだけで、どうなるか分かりませんが……(笑)


短く出来るようにしてみますので、早速始めていきます。

今回はまず、「騎士階級」についてお話しします。

その後、それを踏まえての社会に迫りたいと思います。



12世紀のフランスと言うと、

恋愛と宗教騎士団

が代名詞だと言えると思います。


これらに興味がある方、是非読んでください!


では、早速「騎士階級」から見ていきましょう!



騎士階級の謎


皆さま、「騎士階級」とはなんだと思われますか?

いえ、具体的に、こう聞きます。


「騎士階級」とは、どのような階級だったのでしょうか?


まずは、この問いを乗り越えたいと思います。


そのために、まず騎士について簡単にお話しします。


封建制度における騎士とは、基本的に

封建的主従関係を結んだ下級者

を指します。


ややこしいですよね。

勉強が嫌いだった一昔前の僕なら閉じますよ。


なので、端的に紹介しますと、こうなります。



封建領主から土地を与えられた家臣

です。


語弊がありますが、この際いいです。

また違う機会で訂正したいと思います。

何故なら、今回のテーマから逸れてしまうからです……ご了承ください。


ですので、端的にあらわしますと以上のようになります。


つまり、騎士とは

・国王に仕える騎士(諸侯)

も居たし、この

・「国王の騎士」に仕える騎士(城主)

も居たわけです。

大体11世紀中に、このような社会になっていったと言われることがあります。


つまり、12世紀以前は、領土を持っていれば

大体が騎士だった

ということになります。大体、ですよ。

ちなみに、時には国王も「キリスト教の騎士」になるので、国王も騎士になる時があるとされます。


つまり、どの階級でも騎士だったケースが多いわけですよね?


じゃあ……


「騎士階級」って、なんですか?


ってなるわけです。個人的に。


そこをグルグル考えていたのですが、意見交換の結果、


当時の社会と共に、答えが見えた


んですね。

なので、今回はそれらをお伝えしたいわけです。


ズバリ、結論を申します。

「騎士階級」とは


キリスト教だけが認めた「新興貴族層」だった


と考えられます。


これは、最後にもう一度振り返ります。

今は、この結論だけを覚えておいてください。


早速、次のテーマにいきます。


12世紀フランスの、「封建領主」と「教会組織」の関係


はい。鬱陶しいテーマですね。

今回は深いところまで触れません。

出来うる限り浅いところでやめておきます。


どれぐらい浅いかと言うと、一言だけで片付けるぐらいです。

なので、早速結論をお伝えします。


当時の封建領主達と教会組織の関係は……恐らく



バチバチに対立していた



と考えられます。

が、証明できていないので、今は仮説として捉えてください。


将来、必ず証明します。

これは、もはや疑いようがありません。

個人的に99.9%そんな社会だったと考えております。



ほとんど確実です。



なので、今は「仮説」だと捉えておいてください。


つまり、両者はバチバチに対立し合っていたのだとすると、「恋愛」と「宗教騎士団」が同時期に流行っていた理由も説明が出来ます。


恋愛とは「反キリスト教」です。当然です。

何故なら、恋愛は「罪だった」からですね。


これを賛美してんだから、そりゃあもう


ゴリゴリの「反キリスト教」ですよ!


これが南仏で流行っていたわけです。



十字軍の時代に!


宗教騎士団が創られていた時代に!


領主が詩人を抱え込んで!


詩を創らせていたんです!



貴族層が宗教の傘下にあった?

みんな仲が良かった?

兄弟だった?


キリスト教のために、みんな尽力した?



「騎士とはキリスト教の戦士だった」?




笑わせないでください。



これも将来証明するとして、脱線しすぎなので話を戻します。


つまり、それぐらいバチバチだったわけですよね。



だから「騎士階級」が出来たんです。



では、次のテーマにいきましょう。



土地を持たない騎士達


最初の方にお伝えしましたが、「大体が騎士だった」と申しましたよね。


これ、逆に言うと……


土地を持たない騎士は「貴族」だったの?


ってことになるわけです。裏返しですね。


だってそうですよね。

同じ騎士でも


諸侯クラスもいれば城主クラスもいたのに、



土地を持たない騎士も居た


わけですから。


土地を持たない騎士は「貴族」ですか?


「貴族」とは


自領を持ち、額に汗を流さず生活出来る人々


ですよね。



もう一度問います。


自領を持たない騎士は「貴族」ですか?



だから


「騎士階級」が出来た


と考えられます。



これは恐らく、


キリスト教の救済処置でした。


次に、もう少しだけ詳しく見ていきます。


「騎士階級」の誕生


「騎士階級」とは、「騎士修道会」あるいは「テンプル騎士団」の活躍によって登場したとされるのが一般的です。

そして、個人的にも納得できます。


エルサレムを護るために残った騎士達が「騎士修道会」を立ち上げ、「テンプル騎士団」に改名後、2万人以上にまで膨れ上がった「テンプル騎士団」を教皇が認めた。


という流れなんですね。

ここが転換期です。


つまり、彼らの

宗教への献身が評価された

わけですね。


これ以降のことは、様々な近代の資料でも書かれています。

当時の歴史家達は、「騎士階級」の登場について、こう主張します。



「宗教が騎士の存在価値を認めたことが原因」


だと。


なるほど、確かに。仰る通りです。



つまりどういうことかと言うと、

宗教に献身し続けてくれている騎士達でしたが、


多くが土地を持たなかったので「貴族」ではなかった


と考えられます。

また、論文の中でも、これを指摘されている先生もいらっしゃいます。


つまり、これも疑いようがないんです。


だから宗教は、彼らの存在価値を認めたんです。


特権階級に相応しい存在


だとして。



そして宗教は、世俗へ訴えたのではないでしょうか。


彼らも特権階級の一員だと認めるべきだ 


と。



これが

「騎士階級」 


だったのではないかと考えられます。


終 当時の社会と「騎士階級」


最後に、両者の対立とあわせて、流れを整理します。


バチバチの対立構造があった。

一方、エルサレムに残った騎士達は独自の組織で聖地を護り続けた(恐らく土地を持たなかった)。

「テンプル騎士団」と改名したあと、聖地を護る騎士が急増(多くが土地を持たない騎士だったのではないかと指摘する先生もいらっしゃいます)。

これをキリスト教が評価し、


偉大な彼らに、功績に見合った身分を与えるべき


だと世俗に訴えた。


後ろ盾を得た土地を持たない騎士達は、貴族の仲間入りを果たした。


………と思われた。


しかし、対立している貴族達は


彼らを認めなかった。


宗教が一方的に認めた


「違う世界」の人々を、同列に扱えなかった。




だから「高貴さの議論」が巻き起こった



のだと、考えられます。


むしろ、こうとしか思えません。


いや、十中八九そうだろうと思います。


じゃないと、「高貴さの議論」が起こった理由が説明出来ないからです。

だって、「貴族層が認めたのなら、彼らも貴族」ですよね?

でも、12世紀間の南仏の彼らは新参者を「貴族」だと認めず、突き放していたわけです。


じゃあ、誰が認めれば「貴族」なのか?


これがずっと疑問でした。


しかし、この疑問も


両者の対立


という観点を入れると、全て腑に落ちた、というところです。



長々となってしまいました……努力はしているのですが、

無理ですね!!!(泣)


この「高貴さの議論」についてはYouTubeで取り上げておりますので、是非是非ご視聴ください。


ということで、この辺りで終わりたいと思います。


次回、いつになるか定かではないですが、また伝えたいことが出来ればお伝えします!

楽しみにしておいてください!


ではこの辺りで失礼します。

ありがとうございました!!


A bientôt !😊

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