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記憶の中のわたし④

③の続き

この頃、私の興味はただひたすら自分の症状を治すことに向けられていた。その為に、「何としてでも心理学を学びたい。今の自分の症状を解明し、そして治す方法を探したい。」ただそれだけになっていた。

しかし高校での出席日数が足りず、先生からは「今年の大学受験はさせられない」という話があった。それも当然、学力も急降下、勉強もとても集中してできる状態ではなかった。高校卒業も何とか補講を受けることで、先生に認めてもらえるという状態であった。

それでも何とか高校を卒業し、浪人生活に入った。しかしそうはいっても勉強ができる状態ではない。カウンセリングを受けたり、精神科を受診したり、民間療法に頼ったり、自分ができるあらゆることを試みていた。

結果は、正直効果を感じられるものはなかった。実は後になって思うと、一番効果があったのは、行動療法的な自身の行動であった。

「電車に乗るのが怖い」「外出するのが怖い」、これらを克服するためにどんなにきつい心身状態になっても自分に鞭打って、その恐怖に耐えながら外出をしていた。高所恐怖症を治すとき、わざわざ高いところに上ることを繰り返すことで恐怖を低減させる方法があるが、まさしくそれである。

「正直もうだめ」、何度そう思ったか。でも諦めるわけにはいかなかった。「何としてでも自分を治すために心理学を勉強する。」いつしかそれが強い原動力となって、恐怖を抱えながらも行動範囲を広げる手助けとなっていった。

その後何とか某大学の心理学を学ぶに至る。主に臨床心理学。大学には何とか通えていた、というかほとんど皆勤である。「自分が学びたいと思ったその内容を一つも漏らしたくない。」そんな思いもあり、症状を抱えつつも何とかなっていた。

50分程度の授業すら、受けていられなかった高校生の頃と比較すると、相当な進歩である。

「何としてでも自分をどうにかしたい。救いたい。ひいてはそれが人の為になるならなおのこと。」その一念だけが自分を突き動かしていた。そしてさらに心理学を学ぶために大学院進学を決意する。

当時心理学系の大学院は今より数は少なく、倍率は確か30倍程度。大学の先生曰く、「自分たちの時代は3~4倍で、入りやすかった。」とのこと。この頃の心理学人気を物語っていた。

しかし、2年連続補欠落ち。アルバイトをして学費を貯めながら臨んだが、当時の倍率を考えると生半可な勉強の仕方では入学できなかったということである。

「この先どうしようか?」一旦大学院進学を諦めることにした。実はそれには理由がある。「学問としての心理学が果たして、自分や他人を救えるのか?」という疑問を感じだしていたのである。理論としてのこころの仕組みはわかる。だが、「わかったからといって問題が解消するのか?」ということを常に感じていた。当然その為に心理療法やカウンセリングがあるのだが、「その効果は果たしてどの程度だろうか?」自分の体験からそんな思いが常にあったのである。




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