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雪山に遭難6日間。奇跡を起こしたのは家族の愛と執念だった!


11/29木曜日 Day 0

2012年11月29日木曜日、アメリカ・ネバダ州に住むポーラとボーイフレンドのロッドは、彼の母親が住むカリフォルニア州を訪れており、ネバダに戻るところだった。ポーラはシングルマザーで40代のカップルである。

自宅までは大きな山脈を横切るのだが、ロッドは四輪駆動のジープを持っており、2人ともその道路をよく知っていたため全く心配はしていなかった。

11月末の山道。いつもなら出る前に天気をチェックしていたが、その日に限ってしなかった。曇りだが、よくある暖かい日だった。ロッドの母親は2人にグリーントマトを持たせてくれた。

途中、2人は川に寄って石を集めた後、途中にあるお気に入りのキャンプ場をドライブすることにした。キャンプ場へ続く道路は閉鎖されていたので、10kmほどの舗装されていない小道を迂回すると、雪が降り始めた。

そこでドスンという音が聞こえて、ジープの左前輪が1mくらいの穴にはまっているのが分かった。時刻は午後6時半。

ロッドはウインチケーブルを木の周りに結び、ジープを引き抜こうとしたが、3回断線してしまう。丸太を何本か見つけて車の下に引っ掛け、バンパーに飛び乗ってそれを揺り動かそうとしたが、うまくいかず立ち往生してしまった。

大雪があらゆる方向から2人の周りを渦巻きはじめていた。 4時間以上、車を引き出そうとした後、2人は車内に戻って寄り添い、嵐が終わると信じて朝まで待つことにした。

2人は、上は軽い服装にジーンズで、毛布などもなかった。ガソリンも、水も、食べ物も、暖かい服も何もなかったのだ。携帯の電波も一切入らなかった。

ポーラと同居していた母親は、夕食にポーラは戻っていなかったものの、最初はあまり心配していなかった。連絡がないことを不思議に思ったロッドの母親から電話があるまでは。

11/30 金曜日 Day 1

2日目の朝、もう一度ジープを動かそうと試みたが、やはり動かない。ポーラは助けを求めに行くべきだと言い、ロッドよりは暖かい服を着ていた自分が行こうとしたけが、ロッドは行くと言い張った。

ロッドは朝9時ごろ、助けを求めて出発する。ポーラは彼の靴をプラスチックのバッグで覆い、自分の靴下も履かせ、スキーマスクも渡した。

ポーラは彼が車を離れようとした時、窓から「ロッド、やっぱり吹雪が治まるのを待とう」と叫んだ。しかし彼は「大丈夫だよ」と言って雪の中に消えていった。

その日の午後になってもポーラはまだ帰ってこないため、母親は捜索願いを出した。ポーラの11歳の双子の息子たちは寝室でその電話の内容を全て聞いていた。

一方、ポーラは帯電話の電波も届かず、車にもガソリンががほとんどない中で、残りのガソリンを使って温まっていた。ロッドは夜になっても帰ってこなかった。

「お母さん、私はバーンサイドレイクにいる!」

「バーンサイドレイク!」

「バーンサイドレイク!」

「バーンサイドレイク!」

ポーラ は家族に向けて叫んだ。

その夜、不思議なことが起こる。ポーラの息子がテレビを見ていると、バーンサイドレイクのツアーのコマーシャルが映り、母親はここにいる!と感じ、祖母にそう伝えたのだ。

バーンサイドレイクは、夏にポーラが息子たちとよく行った場所だ。ポーラの母親は、バーンサイドレイクの捜索を警察に依頼する。

一度は了承した警察だが、その後電話がかかってくる。上にそのことを告げたら、バーンサイドレイクへの道は閉鎖になっているうえ、雪が降り積もっているため捜索できないと言われた、と。

吹雪は止まることなく厳しくなるばかりだった。

12/1 土曜日 Day 2

ポーラは2晩を車中で過ごし、ロッドが去ってから丸一日が経っていた。ここで2日前に川で見つけた石が役に立つ。座席の下にあったビール缶に紙を破って入れ、モーターオイルと小さな石を入れて、紙に火をつけた。

つかの間の燃焼だったが、石が温まるのには十分なほど熱くなり、それをジャケットの内ポケットに入れたて温まった。

この日、ネバダとカリフォルニア両州にわたるハイウェイで、大規模な捜査が開始された。

ロッドの母親も息子たちを探そうと、彼らがいるすぐそばの道を通ったが、車を見つけることはできなかった。吹雪はまだ荒れ狂っていた。

その夜、ポーラはある夢を見た。911に電話をして助けを求めたが、道路が閉鎖していて助けに行けないと言われた夢だった。

12/2 日曜日 Day 3

3日目も吹雪は強く、風速は130kmもあった。ポーラは30分ごとに足をこすって、血行を崩さないようにしていた。

そしてロッドの母親がくれたグリーントマトをひとつ大事に食べた。食べ物はそれしかなった。水もなかったので、できる限り多くの雪を食べるようにした。

山には熊やピューマなどもいる。車の窓から排便した後は、動物を寄せ付けないために雪で覆った。

ポーラは10kmある小道を戻ることにする。ティッシュとマスキングテープで指を包み、薄い手袋で指を覆った。 足も靴下で同じように包んで。

バックパックにナイフ、懐中電灯、トマト、そしてベネドリル、イブプロフェン、アスピリンなどの薬も詰めた。準備は万端だった。しかし彼女が車を離れるとすぐに別の嵐が押し寄せる。ジープに戻るしかなかった。

ポーラは、ロッドはもう生きていないのだと確信した。そしてこの時点ではもう、自分も生き残れないだろうと思っていた。

携帯電話にわずかにバッテリーが残っていたため、11歳の双子の息子と82歳の母親に泣きながらビデオを残した。

「こんなことになって本当にごめんなさい。ただただ家に帰りたい。日が登ったらすぐに助けを求めにいくつもり。でも雪は2mほど積もっていて、バーンサイドレイクにいるけど、誰からも見つけてもらえそうにない。」と震えながら訴えた。息子たちに「麻薬やアルコールに近づかないように」とも伝えた。

一方で、ポーラの兄ゲイリーとその友達は独自の捜索を始め、近くのレストランやバーなどにカップルの目撃情報を聞いていた。

12/3 月曜日 Day 4

4日目にポーラが目覚めると、空は青く雪は止んでいた。助けを求めに外に出られる!と思った。ロッドを助けることができるかも、とも。

車内よりも外が暖かくなったため出発する。血液を薄くすることが寒さの中で身を守る手段だと考え、アスピリンも飲んだ。

雪はまだ降っていた。雪は胸の高さまで積もっており、最初は車のドアを開けることができなかったが、ドアを押してついに外に出ることに成功する。

しかし車から約20分ほど歩いたところで血を吐き始め、3時間ほどすると眠り始めた。ポーラの手は凍っていて、この時点では、もう死んでもいい、むしろ死んでしまいたいと思っていた。

その後すぐポーラは、側面が空洞になった木を見つける。その木は避難所がわりになった。木の根っこに足を通すと、頭が入らなかったためバックパックをかぶった。中はカビのような匂いがしていた。蜘蛛もたくさんいて噛まれたが、もう目覚めなくてもいいと思うほど疲れていた。

その頃、行方不明のカップルのことがニュースになっていた。ポーラの母は、車が崖から落ちたのか、カージャックにあったのかさえ分からず、眠れないでいた。

ポーラの双子の息子たちは、友達の父親が除雪の仕事をしていたので、母を探して欲しいと彼らなりの捜索をしていた。

12/4 火曜日 Day5

5日目は嵐が続いたため、木の中にとどまることにする。その夜、ポーラはすべてのイブプロフェンとベネドリルをそれぞれ約5〜6錠づつ飲んだ。とにかく眠り続けたいと思ったのだ。しかし不思議なことに、その夜に限って眠れなかった。

12/5 水曜日 Day 6

6日目。木から出てきたが、ポーラは足首と膝を痛めてしまっていた。そのため、バックパックを両手の下に敷きながら、四つん這いで進んだ。時折ホイッスルを吹いて、捜索隊に存在を知らせることも忘れなかった。途中、野生のピューマの群れに出くわしたが、頭を下げて這い続ける。

そしてポーラは道の真ん中に仰向けになっているロッドを見つけた。ロッドは、シャツを脱いで腕を胸の上で交差していた。まるで眠っているかのように見えた。

ポーラは泣きながら息絶えた彼と30分くらい話す。しかしいつまでもそこにいるわけにはいかないため別れを告げる。

彼の娘たちに何が起こったのかを伝えなければならないし、何より自分を守ろうとしてくれたことを伝えなければならない。ポーラは「あなたことを忘れさせない!」と約束した。

一方、ポーラの兄ゲイリーはバーンサイドレイクを独自で捜索しなくてはいけないと感じながらも、ジープでの捜索には限界を感じていた。そこで、たまたま建設現場で使用されるフロントローダーを見つける。鍵がかかっていなかったので借りることにした。

ポーラにはニューヨークに住む姪がいるが、この姪タマラは大好きな叔母ポーラのことが心配で眠れない夜を過ごしていた。そんな時、夢かうつつか分からないが、タマラは温かい何かを感じた。何か見えたり聞こえたりするわけではないけれど、叔母ポーラがすぐ横にいるように感じたのだ。

タマラは、ポーラが水際にいることと生きていることを確信する。夢が気になったタマラは超能力者の元へ行き、そのことを伝えると、青い車と水際が見えると言われた。ロッドの車は青いジープである。

タマラは電話でそれを親に伝えた。ただの夢だけど、直感的に何か強いものを感じる。水の近くを探してと。それがポーラの兄ゲイリーに伝わる。ゲイリーはポーラの捜索から帰ってきたばかりだったが、それを聞いてすぐ引き返した。

暗いので翌日まで待つように母親から言われたが、ゲイリーは聞かなかった。ポーラの母にとっては、娘が雪山で遭難しているうえに、息子まで失うわけにはいかなかった。

この時点では、ポーラの姉が双子たちに、お母さんが生きて見つかるのは難しいかもしれないと伝えていた。

兄ゲイリーとその友達は雪を救いながら進み、ついに6日前にロッドの車が残したタイヤ跡を見つける。

ポーラは、ロッドの遺体を後にした後の3時間は、これまでになく速く這っていった。手も足も指の感覚はなかった。

そして午後6時半ごろ、突然降り始めた雨に、ポーラは体を丸めて大泣きした。しかしその時だった。トラクターの音を聞いたのだ。車のライトも見えた。その時初めて、自分が道路のそばまで来ているのだと気づいた。

私は助かる!と叫んで、ポーラはホイッスルを吹き始める。そしてゲイリーはホイッスルの音を聞いた。子どもの頃、非常時はホイッスルを鳴らすことを妹に教えたのはゲイリーだったのだ。

やっと救助が来たと安堵したポーラは、それが兄だと知るや否や、「ゲイリー!ゲイリー!ゲイリー!」とくり返し叫んだ。

ポーラは、道路からはまだ6.5km離れたところにいた。

「見つけた、見つけたよ!ここにいると分かってたよ!」

と言って喜んだゲイリーは、ポーラを近くのリゾートに連れて行くと、彼女はスープを数口口にした。

ポーラは、膝、指、足の凍傷による軟部組織の損傷でほとんど歩けず、脱水症状や栄養失調による腎臓の合併症があった。 カウンセリングも受けた。もう瀕死寸前だったのである。

ゲイリーはのちにこう言っている。

「私は妹の人生のなかでさまざまな姿を見てきました。そしてこの時の妹が今までで最高の姿です」と。

ゲイリーの救助はもとより、息子の直感や姪の夢など、家族の愛が奇跡を起こしたとしか言いようがない。

ロッドの母親はゲイリーからの電話で息子が亡くなったことを聞いた。死因は低体温だった。

ポーラは深刻な凍傷から回復中でのインタビューで、最も耐え難い痛みは、彼女を救うために自分の命を危険にさらしたヒーロー、ロッドを失ったことだと答えている。

そして彼女は「私は人々に、彼が誰かのために何でもする人だったこと、私を危険にさらさなかったこと、そして私を守るために自分の命をも危険にさらしたことを知ってもらいたい」と語っている。

連絡がつかなくても、どれだけ離れていても、強い想いは最愛の人には伝わるはずだ。ポーラの叫びが家族に伝わったように。愛は奇跡を起こすことを実感させられた。


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