片方のガラスの靴


ウナウナウーです。
忘れないように書こうと思いますご無沙汰しておったぞ。

とはいえどう書こう。
どこから書こう。
最後まで呼んでくれる画面越しのあなたはもしかしたら友達かも知り合いかもいつか巡る愛すべき人かもしれない人だろうから長くても許して欲しい。

千葉県多古町にもっこり農園という直売所がある。
直売所には御神木で造られた男性器の神様が宿っている。
神聖で覚えやすい場所でもある。
心優しいご夫婦、ご家族が農作業に懸命で野菜がとにかく美味しい。
沢山入って低価格で販売されている。
低価格じゃなくても胸を張れるほど美味しくて新鮮でオススメなのにサツマイモ2kg¥300で販売してたりする。
誰にでも手が届く安さでこんなに新鮮な食を手に入れれるなんて、ご夫婦の気持ちがあたたかい。
ウナは口が悪く愛しているのでいつも思っている。
ばっかじゃねえの、あんなに大変な思いして汗水垂らしてこんなに美味しいのに野菜一袋スーパーより入ってて¥100-¥300ってばっかじゃねえのと思っている。
営む上で利益は勿論大事だが、
それ以上の大きな気持ちを信じてしまうので
観光名所として全国のファンから愛されている場所なのだ。


ご夫婦と出逢った時、今から4年前。
叔母の紹介で初めましてと会いに行った。
娘は当時0歳、私は娘の父親の件で裁判中で毎日精神的に削られていく日々だった。
ご挨拶もさながら私はすぐに信頼できる人柄と確信した。
娘さんの名前は?と聞かれ応えると、
ずっとそこからの会話、ちゃんと名前で呼んでくれる。
娘の名前が花の名前が入っているのだが、
可愛らしい同じ名前のピアス(ハンドメイド)を記念にと手渡された。
してやられた、と思った。
どこかの記事に書いた梶原さんという親しいおばあちゃんに似ている心情になった。
物をくれるから良い人じゃない。
人の為にと動く気持ちが軸の人だと感じた。
このご夫婦が持つ心は多大だ、と瞬時に確信した。
そこからは幾度となく足繁く通った。
通う中でどんどん洗われる気持ちになった。
愛されていると感じた。
生きていて良かったと常々思った。
イベントで歌を歌わせてもらったこともあれば、
知り合いも沢山増えて縁を感じたり、
基本は直売所に行って野菜を買いたいだけなので誰に会えなくても晴れ渡る気持ちで田畑を後にした。
何より、誰にも逢わず、静かな気持ちで清める居場所。
無くてはならない場所。

数年後、最愛の祖母が亡くなった。
あまりにもショックで目を背けたくなった。
葬儀や一回忌、お墓参りには行くしかなかったけど、
私の中から明るかった多古町が消えた。
何度か農園に行こうと試みたが、
道中で涙が出てきてしまったり停車して落ち着かないと運転も出来ない状況となってから諦めた。
後ろ向きな諦めという認識はない。
あの人達なら笑って会える日は遠くないと思えて
私の事を大事にしてくれていたからこそ無理に行くことを諦めた。
その日からほぼ多古町に行かなくなった。
その間もご夫婦や繋がった町の方からは優しい連絡が来ていたけど、私は余裕がなくて言葉にできず保留へ。
それ位、祖母の死は今でも大きくド真ん中を貫いてやまない。

仕事まみれの毎日で働いて、
日々の子育てに励んだ。
最低限の生活を送って眠りにつく。

その矢先、今から数ヶ月前となるが父が倒れた。
もはやあまり記憶がない位憔悴しきっていたように思う。
割愛するが一時退院となった後、
またしても痛みが走る父を連れて通院。
家族として、栄養や薬の管理、生活への配慮を担って見守っていた。
それでも死に選ばれる可能性が怖くなって、
私は前向きな気持ちでもっこり農園へ野菜を買いに行った。
行くなら今だと信じて良かったなぁ
0歳だった娘は言葉が話せるようになって、
ガラスの靴を折り紙で作って
野菜を運ぶお手伝いをしてくれる子に育っている。

そして、今日やっと父の病気の結果が落ち着いた。
経過観察だし数値も落ち着いてない部分も多い。
言葉を選ばずにいえば、
生きる為に急変するリスクを背負うか、
他の病を追ったとしてもゆっくり向き合って時間を作っていくか、の二択だ。
私達家族は後者を選んだ。
生きているという事だけ、
一緒に過ごす時間があるという事だけ、
それだけで他の悩みは聞こえなくなった。

夕ご飯にもっこり農園のじゃがいもを料理した。
自分で作った味付けで、
自分の為に作った料理、なのに。
4粒目で泣けてきた。
してやられた、と思った。

ここまで読んでくれる人いるのかな。
ご主人と奥さんに届けば良いと思って書いてるけど、
もし他に読んでくれてる人がいるならあぁウナウナウーってこういう奴なんだなって知るきっかけになれば嬉しい。いつもありがとう。側にいてね。
ここからは拙くなっていくよ、許してね。

じゃがいもを食べて、美味しい野菜だと思って
ああ私この直売所に通ってからまともな人間に再起して
愛する家族の為に働いて心に神様なんて宿して
無理だと思う、やりたくない、本当は違うと思うそういうマイナスな気持ちに全部蓋をしてひっくり返して
誰かの為に人の為にただ真っ当に全力だったんだなぁと思い知ったらどんどん泣けてきた。
ずっと無理をしていた。
疲れ切っていた。
もう心も身体も休めたほうが良かった。
でも、それでもと声をあげた先に涙が出てきた。
愛してやまない娘に出逢って、
直売所から繋がる縁を重ねて、
家族が大切だと思える年齢になって、
あなた方に心ばかりの優しさを手渡せるように
少しは毎日の事頑張ってきたよなぁって思える。
張り詰めていた長年の思いが、
小芋4粒で解されるなんて教科書に載ってない。
人生って面白い事だらけだ。

生きたい。
私は、私が大切に守りたいあなた方と、どうかあなたと生きていたい。
少しばかり弱音を吐き出すということ、
大事なのかもしれないね。

追記
田舎特有のゲコゲコって鳴き声がする夜、好きです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?