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小説や漫画に登場する「奴隷」という境遇の悲惨さについて共感しづらいという話

 ファンタジー系の小説や漫画には、悲惨な境遇のお決まりのパターンとして、奴隷がよく用いられます。手足を鎖で縛られ、みすぼらしい布切れを纏い、上流階級から不当な扱いを受けている奴隷たちを見て、主人公は憤り、解放のために立ち向かうような描写は多いと思います。実際、奴隷制度は唾棄すべきものであったと思いますし、憤るのが正しいです。ただ、その悲惨さを細やかに描写してくれていたらいいのですが、ただ奴隷、というだけでは、個人的にその悲惨さが伝わってこないと思うのです。
 私は、良い作品の条件の一つとして、登場するキャラクター、主に主人公に対して感情移入できるか、ということが重要であると思っています。主人公の喜びに共感できれば読者も祝福できますし、悲しみに共感すれば悲しく、怒りに共感できれば憤ることで作品にのめり込むことができ、キャラクターを好きになれます。なので、例えばかわいそうな境遇のキャラクターとその敵に対して主人公が憐れみと怒りを抱くという展開において、主人公に感情移入するために必要なのは、かわいそうなキャラクターの境遇がどれだけかわいそうだと思えるか、思わせることができるか、ということが重要だと思うのですが、チープなファンタジー系の作品でよくでてくる展開というのが、奴隷として捕まっているという設定です。
 実際、奴隷という身分は悲惨といえるものでしょうし、描写としても辛く描かれています。しかしながら、我々にとって身近にあるものではなく、共感することが非常に難しいのです。いじめを扱った作品を見たときに、あなたは共感できたでしょうか。そういった作品も多くありますが、これも経験からくるものなので、生まれてこの方関わってこなかった、という人には共感しづらいテーマです。もっと簡単な例だと、女性が主人公の恋愛モノなど、女性と比べると男性は共感しづらいと思います。というように、現代に存在している事例だろうと、経験がなければ共感しづらいものなのです。まして、奴隷なんていうものは、現代においてはおそらく存在しないものですし、知識としてしか知らない方がほとんどでしょう。境遇の悲惨さでは奴隷のほうが上だとしても、老衰で祖父を亡くした少年のほうが心に来た、という方は多いのではないでしょうか。
 つまり、奴隷という境遇は衆くの人にとって解像度が低く、現実味がないのです。故に、共感しづらい。ただ、かわいそうだ、いけない制度だ、という感想が出てくるのみで、それに対して怒髪天衝する主人公とは、少し温度差がでてしまうことが多いように感じるわけです。これは、いまいち魅力が伝わってこないヒロインが正ヒロインだった、というのによく似ています。恋愛モノの大事な要素は、男性だろうと女性だろうと、読者がヒロインのことを好きになれるか、という点にありますからね。
 だからこそ、奴隷という境遇を用いるのであれば、細やかな描写が大事になってくるわけです。描写がしっかりしていれば、実感がわかなくとも共感しやすくなる。しかしここに問題があります。それは、奴隷というものの解像度が作者も低いということです。当たり前の話です。作者だろうと奴隷などなったことも見たこともないのですから。そのため、作者はあれやこれやと資料や身近な例を使い、どうにかして奴隷という身分の悲惨さを描写するのですが、裏付けのない描写では限界があります。結果として、多くの場合奴隷の描写は解像度が低くなりがちなのです。
 これらの理由から、私はファンタジー系の作品において、奴隷の描写はあまり多用しないべきであると思うのです。どうしても解像度が低くなりがちで、結果として共感しづらい。ただ、悲惨な境遇としてこれ以上無いくらい登場させやすく、知識としてなら浸透度は一般教養レベルのものですので、ついつい扱ってしまうというのもまた事実。個人的にはお決まり感があって嫌ですが、これから先も様々な作品で、解像度が低く共感しづらい悲惨な描写は、繰り返されていくのでしょうね。


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