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自己紹介 〜はじめてのnote〜

こんにちは、unagiです。
実はもう2本短編小説を投稿しているので今更ですが、noteを始めたきっかけと、自己紹介を書いてみようと思います。

noteを始めたきっかけ

この記事の内容として書くか迷ったのですが、端的に言えば「今、絶賛迷走中だから」というのがしっくりくる気がします。
情けない話ですが、素直に書きたいと思いますので「こんな奴もいるんだなあ」くらいの気持ちで読んでくださったら嬉しいです。

なんとなく大学に入り、なんとなく心理職を目指し、気持ちが固まりきらないまま大学院を受験したら失敗しました。今はアルバイトをしながら生活していますが、仕事として「やりたい」ことも、なんなら「やる自信がある」こともないことに気づいてしまって迷走しています。

noteを通じて自分の考えを整理したり、自分と向き合ったり、他の色々な人の考え方に触れたり…それももちろん大きな目的です。
ただ、迷走していてあまり動けていないといっても、精神的には焦りがすごいので、正直なところ「何したらいいのかわからないけど、何かしてないともっと嫌になるから」というのが一番大きな理由です。

自己紹介

2001年生まれ、INFJ-T。趣味というほどでもないけれど、絵を描いたり、文章を書いたり、料理をしたり、音楽を聴いたり、楽器を弾いたりするのが好きです。
東北出身で、震災を経験したのでいつかそこら辺の話も書けるといいかもな、と思っています。とはいえ、もはや日本に住んでいると皆さん何かしら災害に遭っているんじゃないかという気がしてきますが…。近年本当に災害が多いですよね、、被災された皆様が、1日でも早く穏やかな日常を取り戻せることを祈っています。


ここからは、自分の頭の中の整理を兼ねて、今に至るまで私がどんな子(人)だったのか書いてみようかと思います。自己紹介というより、私の失敗談に近い感じなので、読みたい方だけ読んでくださいね。

小さい頃は、身体を動かす遊びにあまり興味がなくて、母がボール遊びをしてくれても、「一応投げるけどさあ、これの何が面白いの?」みたいな顔をしていたらしいです。(本当にそういう顔の写真が残っていていました笑)その代わり、知的好奇心は旺盛だったらしいです。
小学校に入ると、父が姉に出した問題に答えて、姉にキレられていました。

中学生の頃も、暇だからと教科書を読み込んだりしていました。ただ、「数学は読んでもストーリー性がなくて面白くない」からと、数学は苦手になり始めました。そして教科書を読み過ぎて理科の実験結果を暗記してしまい、面白くないからと教科書を読まなくなりました。(英語と国語は物語や論説も多く載っていたので、相変わらず読み漁っていました。)

中学時代は吹部に所属していましたが、わりと昭和な雰囲気の部活で、萎縮しまくっていたのはまた別の話…。その頃は毎晩部活の夢を見て、布団の中は寝汗と涙がやばかったです。
親が許してくれなかったからしぶしぶ、という感じでしたが、我ながらよく引退まで続けたと思うし、多分部活はそこまでしなくて良いものです。
部活が苦しい皆さん、そういうお子さんを抱えた保護者の皆さん。続けるメリットが全くないとは思いません。私にも部活を通して得たものはあります。ですが、本当に辛いのを無視をしてまで続ける必要はないです。
当時から10年くらい経ちましたが、多感な時期のこと、というのもあるんでしょうか?私の場合、あの頃の経験が意外と尾を引いています。萎縮してた自分も未だに消え切ってはないです。

ちなみに高校では、入った部活の平和っぷりにびっくりしました。
「使えない」「存在価値0」「馬鹿」「アホ」等々…私も中学の頃は色々と言われてきましたが、高校では「練習熱心で真面目な可愛い後輩」でした。
——きっと大丈夫です!ある部活に入って酷い目にあったとしても、自分が原因だとは限りません。環境が変われば、驚くほどすんなり馴染めることもあります。そもそも、まともな集団は誰かのことをそんな風に扱ったりしません。
どうか、そこを勘違いして自分を追い詰めてしまう人が1人でも少なくなりますように。

——そんな感じで、高校生活も半ばに差し掛かる頃には、得意科目と苦手科目の差がえぐい生粋の文系学生が誕生していました。
英語と国語(特に古典)が大好きなのに、数学と物理は大嫌い。模試で英語と国語で校内トップ10に入ったと思えば、数学は下から2、30番目くらいだったり。物理で赤点を取り過ぎて、「あなたこのままだと留年するからね」という旨の通知書をもらったこともありました。(※期末と提出物を頑張って、無事予定通りに卒業しました。)

こういう感じだったので、当時通っていた塾の先生には得意分野で勝負できる私立の難関校を進められました。
当時からなんとなく心理に興味があったので、心理学が学べて、臨床心理士指定の院があれば何でもいいかな(※ちょっと誤解を招きかねないので注意:下に説明します。)と思って言われるがまま受験しました。そうして入学・卒業したのがICUです。


※ICUで心理を学びたい方へ——
心理に限りませんが、ICUは3年次で専攻を選ぶ形式になっています。授業は、個人的には面白いものが多かったと思いますし、面倒見の良い大学ではあります。
ただ、1年次から心理学部で決められたカリキュラムを学ぶのに比べて、専門性が下がるのは否定できません。
それと、公認心理師のカリキュラムに対応していないし、臨床心理士指定の大学院も今はありません。
なお、昔は臨床心理士の資格に対応していたらしく、その頃の案内サイトが残ってるので注意です。「日本臨床心理士認定協会」というそれっぽい名前のサイトのリストにも指定大学院として載っちゃっているんですが、このリストは2014年以降のデータが入ってないので注意です。


話に戻ります。
出願先の決定についてはかなり受け身でしたが、出願すると決めてからは、それなりに頑張って勉強していたと思います。元々、「こうする」というゴール地点が決められて、それまでに必要なこともある程度見通しがついて、自分でも納得できれば頑張れるタイプではありました。…受動的とも言いますが。
当時ICUのことはよくわかっていませんでしたが、難関大だということは知っていたので、思春期特有の自意識が都合よく働いてくれたのか、「全然勉強してないくせに難関大目指してるんだってよ」と思われるのが嫌で頑張っている面もありました。

そしていよいよ大詰めになって来ると、気が強いタイプでも無いのに、謎の強メンタルを発揮し始めていました。
地方の進学校だったので、学校としては「国公立が正義」と言う雰囲気でしたし、先生方にも東京の難関私大は反対されました。ですが、その当時の私は、「いや、受けるの私だし。受かろうが落ちようが責任とるの私やん」みたいなスタンスでした。
英語に力を入れている大学だったので、自らALTの先生に交渉して英語を個別指導してもらうアポを取ったりもしていました。
「受験生」として特別頑張ってたか、と言われるとわかりませんが、「自分」としてはそれなりに頑張っていたと思います。未だにあの頃なんであんなに頑張れてて、しかも謎の強メンタルだったのかは謎です。

これもまた別の話ですが、当時家庭内の雰囲気がとても良いとは言えない状況だったので、家の外で勉強に打ち込んでおく方が楽、と言うのもあったのかもしれません。(その話は気が向いたらまたいつか…)

一般試験当日。そんな感じで頑張ってはいたものの、自分でも本気で受かるとは思ってなかったので、逆にすごく気楽に受験してきました。
すごーく敷地が広いんだなぁ…東京ドーム何個分だろうとか、名前の通り生徒も結構国際色豊かなんだなぁとか、終始「へぇー」みたいな感じでした。やはり謎の強メンタル。

そして無事に合格して入学。
…したのは良いのですが、コロナ禍真っ只中で、のっけから「当分はオンラインでの授業」という形式でした。寮生だったのですが、入寮も秋に延期になりました。(親に無理やり入寮させられたので、これはちょっと嬉しかった)
得意だと思ってた英語も、この大学の中では低レベルだったようで、週に10コマくらいのAll Englishの英語の授業+自分で選択した授業何コマか、、という生活がスタートしました。(※ICUでは、英語のレベルに応じてクラス分けのようなものがあり、それによって受けなければならない英語のコマ数が変わってきます)
高校では経験した事がないリーディング課題の量、頻繁に行われる英語でのディスカッション、その他の授業の課題、オンライン上でしか交流のない、友人と言っていいのか分からないくらいの学友達…軽く病みそうになりました。
必然的に画面の前にいる時間が長くなりましたし、外出も自粛する時期、課題で夜寝るのが遅くなるのもしばしば…という状態だったので、自律神経がやられかけてたのかもしれません。課題をやらないといけないのに、画面を見てるとめまいと頭痛と吐き気が起きるようになった時期もありました。
(授業資料をプリントアウトして紙媒体で管理したり、課題はなるべく紙の上で考えたりまとめ上げたりしてから入力して、パソコンに向かう時間をなるべく少なくしたり…。なんとか課題はこなしていました。)

というか、2年の夏休みに病みました。
理由はよく分かりませんが、イレギュラーな形で始まった大学生活や、社交的じゃないのに寮で常に他の人と生活しなきゃいけないこと、学期中の疲れの反動…等々、色々溜まってたのかな、とは思います。
病院には行ってなかったので、診断を受けたわけではないのですが、今思うとだいぶ精神的にやられてたんだろうなと思います。
朝起きれなくなって、起きたかと思えばなぜか泣けて来る。夜はなかなか眠れないのに、いざ眠ったら12〜20時間くらい寝てしまうこともザラにありました。死にたいとかはそんなに思ってなかった気がしますが、「誰も何もわかってくれない、消えたい」とはよく思っていました。

とはいえ、学期中など他の人と生活している間は、そこまで病むことはなかったです。課題は多めだし、他の人といると半自動的に気を張って頑張れる分ストレスも大きかったですが、何かしなきゃいけない事がある、というのは気楽ではありました。
今でも、土日くらいなら良いとして、長期休暇に対しては苦手意識があります。

そして、3年の頃から、段々大学生活に付いていくのに労力を要するようになりました。

今思えば、「大学に入ること」をゴールにしちゃってたのかな、と思います。
——これから大学に入る方、そして今在学生の方。本当はきっと、大学は手段でしかなくて、目的じゃないはずです。いい大学に入るからと言って、輝かしい未来が手に入る保証は無いです。大事なのは、大学で何を学んで、どんな道を選ぶかです。早めに考えて、大いに迷って、納得できる道を掴み取って欲しいと心から思います。

3年になって、必修の授業が落ち着いてきて、将来のために能動的に動き始めなきゃいけない時期になって、ゴールをすり替えてたことによる問題が段々と顕在化してきます。

自分で言うのもなんですが、卒業までの4年間、成績はかなり優秀でした。成績優秀者にも何回か選ばれました。でもそれは、目標を見失った逃げ道として、「せめて勉強は頑張っていい成績を取らないと、自分はクズだ。本当にゴミになってしまう」という思いからでした。
成績もいいし、一見なんの問題も無いように見えて、「自分が何をしたいのか、そのために何をするのか」と言う部分がまるっきり抜け落ちていました。意地で成績をとっていましたが、課題に取り掛かってやり遂げるのも、かなり労力を要するようになりました。
自分が凄いわけでもないのに、世間で難関大学と言われる所に入ってしまったから、自分はちっぽけなままなのに、なんだかハリボテの部分だけ大きくなってしまったような、ハードルだけ上がってしまったような——そんな風に感じるようにもなってしまいました。

4年になると、なんとなく目指していた心理の道に疑問を感じるようになりました。
(心理学は面白いけれど、心理職は面白いとか、興味だけでできる仕事じゃない。自分もメンタルが不安定になった時期があるけれど、そう言う時期にはちょっとした言葉ですごく思い詰めてしまったりする。もしかしたら、私の何気ない一言で人を殺してしまうかも…。)と思うと、とても自分にできるとも、向いてるとも思わなくなってしまいました。逃げたくなっただけじゃないか?と言われたら、否定できないかもしれませんが。

ですが、元々院を目指していて就活をしていなかったので、院を受けないわけにもいかず…気持ちが固まらず、勉強にも身が入らないままとりあえず受験準備を進めました。

院は3校ほど受験しました。
が、そんな様子で臨んだせいか、その3回とも、コロナでもインフルでもないし、熱もないのに、受験1週間くらい前から受験が終わる時期まで咳が止まらなくなる、という謎の症状が出ました。
元々喘息持ちではあったので、喘息だったのかもしれないし、心因性咳嗽とかだったのかもしれないし…。病院では多分喘息だろうと言われましたが、よくわかりません。何せ、喘息の発作がひどい時用の吸入薬も、処方された咳止めも、龍角散やのどぬーるスプレーも、悉く効きませんでした。
心理学を学んでいたので、アンナ・Oを思い出して、「これがヒステリーってやつか」なんて思ったりもしていました笑

そして結果は案の定失敗。
そして、この機会にもう一度考えてみようと迷走している——というのが、今の状況です。


ここまで書いてみて、特に何か変わったとか、頭がクリアになったとか、そう言う感覚は正直あまりないです。
ですが、自分の状況を客観視する手助けにはなるかなぁと思いますし、悪いことではないと思っています。自分の情けなさが浮き彫りになる感じはしていますが…

長くてまとまらない文でしたし、面白い内容でもなかったと思います。もし、ここまで読んでくださった方がおりましたら、本当にありがとうございます。

これからも、文章を書いたり、他の人の文章に触れたりしながら考え続けていきたいなと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

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