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剥き出しの生き辛さと『美しさ』を君に。――ミッドナイトスワン(映画版)アクセル全開ネタバレ感想

「はい、これが君の内臓ですよ」
といういかにも今しがた取り出した血が滴っているモノを、いきなり目の前に突きつけられるような映画だった。

「こんなことが起きないで欲しい」がドミノ倒しのように転落に向かって行く展開、死と希望と業と輝きと貧困の逃げられない性の煮凝り。
見方によってはあまりに救いのない終わり方ともとれる本作、脳みその整理も兼ねて感想を書いていこうと思います。

アマゾンプライムの予告文の最初らへん以上のことは全く知らずに見始めました。
演者さんはSMAPの草薙さんしか顔を知りません。
(草薙さんも顔しか知りません。私はTVを見ない類のニンゲンです。)


ストーリー感想

ナギサとイチカの出会い

ニューハーフバーのショーのバレエに出るナギサから映画はスタート。
「男に消費されたら終わり」というセリフを出しながらバレエかぁ……。こういった映画を作る人が「過去にバレエが担った役割―貴族の愛人探し」を知らないはずがないので滅茶苦茶皮肉だし、この時点で先行きの不穏を感じる。
「海に行ったとき、何故自分が海パンを履いているのかわからなかった」というエピソードにお座席がシーン…ってなるのが生々しく悲しかった。
一方のイチカは育児放棄とDVと自傷癖でもうこの時点で悲哀満漢全席 やめて~~~~となっていました。なるわよ。

そしてナギサはイチカを押し付けられることになるけど、電話口では男の声色で喋っていることから親の理解は得られてないんだろうなと察する。
ナギサとイチカは全く無理解でお互いに「関係ない」状態でバラバラのまま1つ屋根で暮らすことになるけど、学校への顔合わせ気まずすぎるわ、イチカは椅子を投げるわ もう滅茶苦茶
ナギサは何かやたらめったら注射を打つシーンがあるし、(ホルモン注射…?) こ、この映画 怖いゾ!!!!

それに何よりこの人らはどうなっちまうんだ……!

イチカとバレエ

次の話の転換点はバレエ教室・覗きイチカから。
どういうきっかけでイチカがバレエに興味を持っていたのかは映画だけではよくわからなかったけど、とにかく踊りたいみたい。
ここでイチカはお金持ちのおともだちのリンと出会う。
環境は真逆の2人、でも思春期特有の嗅覚で何か惹かれるものがあった……んだと思う。
そして「月謝が払えない」という理由でなんだかよくわからん如何わしい撮影会にイチカも参加することに。
「個撮は絶対にやめな」とヤバイ位すがすがしいフラグを建てている。
でも誰にも相談できないだろうし、この時点だとナギサに相談してもバレエやめろと言われただろうから仕方がなかったのかもしれないけれど。
どんな形であれこの時点でイチカの人生には「バレエ」が与えられたのだ。

水槽の金魚

謎のエロ撮影会に参加しようがなんだろうが「美しい夢」を持ちはじめたイチカと対照的に夢も希望もなくフラフラのナギサ。
家に帰ってきて彼女が言った、
「私 こわい? 私 きもちわるい?」
「あんたなんかに一生分からない」
「なんで私だけ。なんでこんな体に私が。」
という言葉は 何百 何千回と自分に問いかけたのだろう。
閉じ込められて、どこにも行けない。
しらじら光る照明と美しい金魚がより一層悲しくて、でも美しいシーンになっているので もう私はどうしたらいいかわからない……。
ナギサがなんて言ってほしいかもわからないし、言って欲しくないのかもわからない。本当に私も、イチカも一生わからないのだろう。


「おかあさん」

個撮で得意技の椅子投げをしてから、バーでバレエを観たことにより徐々に親密になっていくイチカとナギサ。
ナギサはきっと自分のいいことなんかひとっつも無い人生の中で初めてのエトワールを見つけたんだろう、彼女の為にバレエの先生に相談して「おかあさん」と呼ばれて笑うシーン あまりにも胸に迫る。


イチカとリン

タバコをむちゃくちゃふかしてるリンと、イチカ。
明らかに落ちていくリンとこれから羽ばたいていくイチカを象徴するようなフィルムに不穏レベルがMAX値、警戒レベルもMAX値ってところで唐突にキスシーンがぶち込まれて思考が一瞬全部飛んだ。
(この時すでにリンは怪我してたのか……?)

病院でリンは自分の足がもう戻らないことを告げられる。
それよりも衝撃だったのはリンの母親の
「この子からバレエを取ったらなんにも残らないんです」
という残酷すぎる言葉。
それは。その言葉は、母親がリンにとって「バレエをうまくやる分身」としてしか価値を見出していなかったんじゃないのか…?
リンが経済的に満足していても自暴自棄になっている理由、「はい、これがリンの内臓ですよ」とばかりに表出されてとてもキツイシーンでした。

ナギサとミズキ

まともな会社への就職は「ナギサ」という自分では無理と思った彼女はミズキの伝手で「売り」をすることを決意する。
まずいですよレベルがここで閾値を超えるがさらにマズイシーンが連続して「ギャーー!!!!!誰かタスケテー―!!!!」と思っていたらミズキがモップ(?)で客の頭を殴打。
「あんたはそんなに偉いのか」「どうして私たちばかりが」
もうどうすればいい。ここまで落ちたらどうすればいいんだろう。
ミズキは「ノガミミズキです」と最後まで自分の存在を主張して去って行った。
きっとミズキの最後の強さが、ナギサを「健二」にしたんだと思った。
1人で生きられるくらい強くならなきゃいけないから。イチカのバレエをきれいだとおもったから。私はそうじゃないかなぁと思いました。

たくさんの死

イチカのコンクールというミッドポイント周りにはたくさんの死が描かれていた。
まずは女性であるナギサの尊厳の死、リンの死、最後に「健二」の死。
美しいフィルムで描かれるあまりにも速いテンポの死・死・死が「悲しい」とか「辛い」という感情すら麻痺させて、このあたりはひたすらポカーンと観ていた。

リンの死は、電話のシーンで観ている人が「エ!?リンちゃん だめだよ!?」って思わせるように背景に明らかに屋上が映っていて 私も本当にヒヤヒヤしました。けれどその後普通に結婚式だったのかぁ…。と安心させてからのあまりに華麗でかわいらしい「もっと高く飛べる」ジャンプで手すりを越えてしまった。スローモーションなどの演出すらなく当たり前の重力で肉体がポイっと投げ出されるのにヒ、ヒエ~!となってしまった…。

そして「おかあさん」と呟き踊れなくなったイチカ。
去って行くナギサ。
「健二」の死。
足先からぬくい水が浸水してるのに、一歩も動けない。ふやけてボーっとするタイプの、これがこの作品が私に届ける絶望のカタチなんだ~…と戦慄するばかりだった。
この「おかあさん」は、本当は…どうだったんだろう。
どうだったんだろう……。


渚にて

一度は広島(?)に戻されたイチカだけど、バレエを続けて、海外への切符を持って、「つよくなって」ナギサのところに帰ってくる。
しかしナギサはもう、自分を生かす強さを全て美しいものの為につかったから 生きられなかったんだと思う。
暗澹とした部屋を抜けた先に居た血まみれの彼女の姿は、静謐さと美しさとむき出しのグロテスクさがあって、あまりに強い死と生がこちらまで匂ってきそうで息苦しいとまで感じた。
そして海で、彼女の名前の場所で、きっと1番うつくしいものを見て彼岸に旅立っていった。
それでよかった?とか幸せ?とか 他人のジャッジなんて決して手が届かない場所で ナギサはやっと安らげたのかな……。


白鳥

そして物語はイチカがコンクール?で踊るシーンで終わる。
バレエシーンはどこのシーンもすごく美しくそれだけで見ごたえがあったけど、ここはライティングも相まって作中で1番目がくらむような、眩しい気持ちになるシーンだと思います。
その光を見つめる気持ちだけは きっと私も 審査員も 客も リンも ナギサも 等しく感じたんじゃないかなぁ……。


おわりに

内容的にかなり人を選ぶ作品だったなと正直なところ思いました。
生々しく「現実的に」凄惨な設定、登場人物の心の内臓がオゲー!ってレベルで剥き出しにされる本作、精神に余裕がない方にはとてもおすすめできない内容……!!!
ですがエンターテイメントとしてもわかりやすい脚本の筋、光の表現の美しさ、思う存分汚泥でのたくったのに一種爽やかな後味はここでしか味わえないものだとおもいます。

それでは、読んで頂きありがとうございました。


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