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小説『アトランティス・シンドローム』(1/1)



「ヴィクトル、あなたはアトランティスのことには詳しいですか?」

「いえ、あんまりよくは…」

僕は、大西洋の青海原の下に、今は藻屑となって沈没した大陸のことを改めて思い返した。

「では、アトランティス伝説の由来についてはまだ、ご存じないですか?」

僕は、プラトンか誰かが、エジプトの神官から伝え聞いたということだけは覚えていた。

「ええ、そうです。アトランティスの話というのは、ソロンという賢者が、エジプトのナイル・デルタにある、サイスの町の神官から聞いた話で、それをプラトンが著述したものなのです」

僕の考えを見抜いたかのようにリクトスがうなずいた。

「アトランティスは、今からおよそ一万二千年前に滅亡しました。ですから、歴史上の世界のあらゆる古代文明よりも格別に古い文明なのです。アトランティスは天与の豊穣さに加えて、地の利とを併せ持っていました。しかもそこに住む人々は交易にとても熱心でしたから、いつしか巨大な富が蓄積されて、町や港は富み栄え、この国の首都も豪華を極めていました」

リクトスは言った。

「けれども、『一日と悲惨な一夜』のうちにアトランティスは忽然と大西洋の海底深く沈没してしまった」

僕が口を挟んだ。

「ええ、その通りです」

リクトスはうなずいた。

「これから、アトランティスの物語について、あなたにお話ししましょう」

「ええ、聞かせて下さい」

「アトランティスはヘラクレスの柱と呼ばれる、ジブラルタル海峡の西の彼方、つまり現在の大西洋上にありました。伝承によれば、それは『リビア(今の北アフリカ)とアジアとを併せたよりも大きい』島でした。そして、当時の航海者たちは、その島から他の島々にも、その島々から真の大洋を取りまく反対側の全大陸、つまり今のアメリカ大陸へも渡ることができたといいます。いま、真の大洋と言いましたが、ギリシャ世界の人々にとっては、大西洋こそ本当の大洋で、それを取り巻く土地こそまったく本当に大陸と呼ばれて当然だったのです。それに、アトランティスの文明を祖に仰ぐウェールズや古代イングランド、古代ギリシャ、バビロニア、エジプト、また、ケルトやバスク、ガリア、北アフリカにおいては、アトランティスは西の海の地の涯にあった島とされてますが、同様にアトランティスの末裔とされるアメリカインディアン、アステカ、マヤの伝承では、それは東方の大陸として記憶されているのです」

リクトスは語った。

「アトランティスは、海神ポセイドンの国とされています。この神に相応の土地として与えられ、彼により建国がなされました。つまりアトランティスは元来、神に捧げられた聖なる島だったのです。ポセイドンはそこの原住民の娘で、大地母神ガイアから生まれたクレイトオと結婚し、彼女との間に十人の子を設けました。後にアトランティスの領土は、その十人の子に分与されました。その十人には、原住民を支配する絶対的な権限が与えられました。最年長の王子は名前をアトラスといい、それがアトランティスの国名の由来となっています。アトランティスの王は人類最古の王族でした。王位は長子継続で、王家は何代にもわたり繁栄しました」

と、それに続いてミラトスが言う。

「建国年は不明ですが、エジプトやシュメール、クレタ、エトルリアその他の地中海沿岸諸島の文明の形成にあずかり、さらには南北アメリカ大陸の文化にも影響を及ぼしたような、とても古い、進んだ文明だったことは確かです。王国の風土について言えば、全体が非常に高い山岳状の島となって、海面からそびえ立っていたということです。でも、都のまわりは、東西に長い方形の、広大な平野が後ろに控えていましたし、見事な山脈が、それを取り囲んでいたそうです。しかもこの平野には、じつに整然とした灌漑組織がありました。それで平野は、東西南北10スタディオン(1スタディオンはほぼ177m)平方の地区に区割されていたのです」

アクソスが次いで話した。

「アトランティス文化は、今日からみて一万二千年以上も過去に遡る文明です。『太陽の島』アトランティス…それは青海原に浮かぶ燦々たる太陽の国であり、まさしく、ユートピアを思わせるような世界でした。アトランティスはまさに幸福の国にして、神意のかなえる国であり、黄金に満ちた奇跡の国、地上の楽園でした」

と、リクトス。

「その繁栄の基礎は、自然の豊かな富と、そして地理的に良好な立地条件とにありました。アトランティスの自然は地中海のようで、気候は温暖、土壌は火山性ながら肥沃でした。高くそびえる山並み、肥沃な平野、上流まで船が行き来する大きな川のおかげで優れた自然環境を享受していました。そして豊穣な自然に恵まれ、竜舌蘭やサボテンが茂り、食用のぶどう、オリーブ、椰子の実、栗、りんご、柘榴の類、レモン、小麦や大麦などの穀草、その他にも香料用の植物など、多彩な果樹、多種多様なあらゆる植物が百花繚乱と咲き乱れ、また、潤沢な野や森がひろがっていました。ぶどうからは芳醇な酒が作られ、主食の穀物も有り余るほどつくられました。冬は雨季で夏は乾季でした。平野では運河や濠を作って湧水を導き、灌漑を行っていました。そのため年に二度の収穫があり、まことに自然の幸に恵まれていたのです。動物も、野生象のような大型動物から山羊のような家畜まで、多種多様な動物が生息していました」

と、ミラトスが継ぐ。

「アクロポリスの丘に所狭しと立ち並ぶ東方風の王宮、神殿の類いは、実に壮観な眺めだったということです。神殿では献祭儀式が行われ、牛神崇拝も見られました。そこには先代の巨大な黄金像や数多くの聖像が祀られていましたし、歴代の王は、この前で始祖の戒めを守り、ときには牡牛の犠牲を捧げて、正しい裁きを誓い合う儀式も行われました」

と、アクソスがつけ加えた。

「歴代の王は、はじめは神の性がすぐれ、高邁な精神の持ち主でしたので、徳以外のものはすべて軽視し、諸財に重きをおいていませんでした。また物質的な富に目を奪われて、自制心をなくしてしまうこともありませんでした。しかし時代が下るにつれ、彼らの末裔は、やがて次第に見苦しい行為を重ねるようになりました」

再びリクトスが語った。

「やはり人間には、質素倹約の、つつましい生活の方がふさわしい、ということなのでしょうね」

僕は思わず口を挟んだ。

「ええ、まさにその通りなのです」

リクトスはうなずき、そして語った。

「太陽のあふれる楽園の人々は、楽園それ自体の雄大な規模と、極端な自然の豊穣に支えられて、自然の計画的改造を進めてゆきました。アトランティスはまた、自ら産するあり余る地下資源によっても繁栄を支えられており、貴重な黄金や炎の如く燦然と輝く金属に至るまで不自由していませんでした。加えて地の利がありますから、彼らの支配下の海外諸国から、多量の物資が交易を通じ寄せられました。港は世界各地方から訪れた船や商人で満ちあふれて、昼夜喧躁を極めていました。町や港は富み栄え、この国の首都も豪華を極めていました。王宮は華麗で、黄金や銀や真鍮に輝き、王宮の外側には花園が広がっていたのです。百の青銅の門を持つ王宮の城壁の内側には聖域がおかれ、神殿には巨大な神像や黄金座像、祭壇が見られ、家畜が生け贄に供せられていました。王家の一族の富は巨大で、それ以前のいかなる王者も持ったことがなく、それ以後のいかなる王者も持つことはなかろうと言われたほどのものでした。また国民たちも、国を挙げて商業に励み、交易に力を注いでいましたので、いかにも経済的・物質的に富裕で国全体が栄華と享楽をきわめていました」

「『持てる国』アトランティスは、実際には、物質的なユートピアでしかなかったのでしょう。アトランティスには、いまだかつて存在しなかったような運河がありました。王国の首都は三つの同心円の環状水路をめぐらしていましたが、これは一本の南北に走る直線の主水路で縦断され、外海と結び付けられていました。その規模は、巨船も自由に出入りができたほどです。満々と水をたたえた深く広い壕が町の周囲にめぐらされ、これを厚い城壁が囲んでいました。そして平野は、おびただしい運河の幾何学的格子模様の網目になっていました。水路の壁は白色、赤色、黒色の石材で築造され、石切り場のあとには巨大な船渠がつくられていました。都の一番外側は外市で、そこには沢山の家々がひしめいていました。アトランティスには、多くの古代法が文献となって残され、体系づけられていましたし、法廷があり、裁判官たちがいて、記録は保存され、石造建築物には碑文が刻みつけられていましたが、絶対的な権力をもつ十人の王が、意のままに法を支配していたのでした」

と、それからミラトスが話した。

「軍備も実に膨大でした。兵員は、屯田兵村的体制に基づいて機能し、非常事態とともに各地区から徴募されましたが、王国の主戦部隊は、陸軍は歩兵四十八万、騎兵一万二千、重戦車一万台と軽戦車六万台用の兵員十六万人、そして投石兵、投槍兵、弓兵なども含めて計九十万人。水軍は二十四万人で千二百隻。九つの王国もこれに加わるはずですから、陸軍だけでも総勢百万人に達していたでしょう。そしてアトランティスは、驚くべき大王権をもって、アジア的専制君主の王城の下に全島を支配するばかりか、やがて東方のエジプトや、アフリカ、地中海西部、エトルリア(イタリア)などの、他の多くの島々や大陸の諸部分をも傘下に収め、支配するようになりました。そして海外には幾つもの植民地がつくられたのです」

リクトスの声は沈んでいた。

「アトランティスは、それ自体が『悪』と化したために自滅したと言われています。物質的な富のために、いわば建国の精神、建国以来の人倫美徳が失われて、その末裔たちは、果てしない欲望を求めて暴走しました」

と、アクソスは説明する。

「伝承によれば、物質偏重とその使い方の誤りが、アトランティスの黄金時代を終わらせてしまったということです。巨石でできたアトランティスの都市は、大衆への情報伝達の手段をはじめ、陸上、水上、空中の輸送手段をすべて備え、重力をコントロールし、さらにクリスタルや"火石"によって太陽エネルギーを利用するなど、現代人でさえ十分に達成していない技術を、すでに開発していたらしいのですが、やがてクリスタルを誤って使ったため、ついにアトランティス滅亡の原因となった大洪水を二度ひき起こしてしまったのだといいます。現代とちがって、アトランティスの時代には、物質の発明と精神的な力の間に密接なつながりがあり、動物とは互いに理解し合い、意志が通じ合う間柄だったのですが…」

「ともかく、人類の堕落が、アトランティス文明の破滅を、ますます決定的なものにしてしまいました。そんな堕落の例に、市民の不満や、労働者と人間と動物との交配によって生まれた雑種族の奴隷化、そして『神の掟の息子たち』と『堕落した悪魔の息子たち』のあいだの闘争とか、自殺、姦通や密通の流行、さらには自然の力の誤った使用、とくに『火石』を刑罰や拷問のために用いたことなどがありました」

とミラトスが語る。

「そこで、"神々の神"、掟を司る大神は、彼らを懲らしめて、もっとましな姿になるよう、罰を与えることを決意しました」

リクトスが物憂げに引き継いだ。

「…そして、アトランティスの巨大な火山が、突如噴火しました。爆発開始とともに噴煙は天にまで届き、白日なお暗く、近くでは巨石を降らし、灰砂を飛散させました。大地震と大津波による大洪水が一度に起こりました。大雨が鉄砲水と土石流を生じさせ、洗い流された土砂がアクロポリスを襲いました。おびただしい火山灰が雨のように降りかかり、周りの海は浮石で埋めつくされ、そして山体は大陥没し、崩壊沈没してしまいました。真っ黒な噴煙は地上から30キロ以上もたちのぼり、やがて全エーゲ海を覆うまでに及び、そして、800から1000キロも風下に流れ、エジプトからカナンの地をも覆いました。これらの大災害が広範囲に、大規模に、そして短時日のうちに起こり、アトランティス大陸は海水に沈んで見えなくなりました。こうして理想国アトランティスは、悲惨な一日と一夜にして海中深く葬られてしまったのです」

なんということだろう…僕は心の中でつぶやいた。

「アトランティスの災いは、エジプトやギリシャにまで被害が及び、沿岸の町々が悲惨なまでに破壊されました。超古代のアテナイ国の軍人たちはすっかり地下に沈み、地中海沿岸は現在のような荒凉たるありさまになってしまったのです。地上世界での場合、アトランティス滅亡の伝説は、こうしたギリシアないしエジプトの被災者や避難者の証言や報告から語り継がれてきたものなのです」

ミラトスが続けて言った。

僕は思い出した。アトランティスが滅亡した一万二千年前といえば、ちょうど世界は氷河時代の終わりであって、ようやく寒波が過ぎ去って世界的に気候が緩み、好転しかけていた頃だ。

「このエーゲ海にもアトランティスのコロニーがありました。それは、ここからそう遠くないティラ(テラ)島のことで、そこには《南エーゲ火山帯》のほぼ中央にあたるサントリン火山がありました。その主峰は海抜千五百メートルで、ぶどう色なすエーゲ海からそばだつ姿はまことに秀麗でした。ただ、三千四百年前の夏に、この火山が噴火したためにそのコロニーもやはり滅びてしまいましたが、それ以前の昔、火山の斜面には、当時繁栄の極にあったミノア人の町や、豪華絢爛たるフレスコ画に飾られた白亜の王宮が、風光明媚な眺めとあいまって、この世の栄華を誇っていました。なにしろ、多様な風土をもち、多種の資源に恵まれた大陸が後背に控えていましたから、その繁栄の様子は、あたかもシケリアのシラクサイ帝国のようでした。わたしたちの祖先はそのコロニーに住んでいた人々で、この水中ドームはコロニーから本国へ通じる途上の、いわば中継点の役目を果たしていたのです」

リクトスはそう言って、外の海底に沈む残骸を眺めた。

「ヴィクトル、私たちはあなたに、アトランティス・シンドロームのことについてお話ししておかなければなりません」

ミラトスがおもむろにこぼした。

「アトランティス・シンドローム? 何ですか、それは?」

「それは、人間の抱えている一つの重大な問題です。アトランティス・シンドロームとは、種としての人類が有している、ある一連の行為を具現化させる傾向性、いわば習慣的依存症のことで、一種の人類レベルの病気です。つまり、人類にはもともと、文明化すると、アトランティスの場合と同じ運命をたどりやすい、自殺的な呪われた性質があるのです。それで、私たちはこの人類史的なカルマ、いわば『負の記憶』の集合、負の記憶帯を、アトランティス・シンドロームと呼んでいるのです」

ミラトスは説明した。

「アトランティス文明の時に限らず、地球上の文明は、もう何千年もの間、幾度も大洪水に襲われました。地上の洪水はたびたびあったのですが、神話などの形で人類の記憶に残っているのは、その数あるうちのほんの一部にすぎないのです」

アクソスがつけ加えた。

「私たちが知り得た限りでは、ムー大陸文明、レムリア大陸文明、超古代オリエント文明、叙事詩『マハーバーラタ』に伝えられたインドの超古代文明、超古代ウイグル帝国、超古代日本文明、超古代マヤ文明、太陽系の他の惑星の文明、太陽系外の宇宙の諸惑星の文明、歴史上では、バビロニアなどの古代オリエント文明、ローマ文明など、それらのどの文明も、部分的な差異はあれ、アトランティスと似たような運命を体験していました」

リクトスが続いて語った。

                 (おわり)

               1997年制作

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