キャリアウーマンに憧れた話
田舎でもなく、都会でもない街に生まれ育った私は、地元の中高を卒業後、大学で初めて「東京」を知った。
当時、スタバすら行ったことがなく、タクシーにも乗ったことがないような世間知らずの私が、ハイヒールの靴を買って、見様見真似でオシャレして都心の大学に通っていたのだから、見えるものは全て新鮮で刺激的だった。
住まいは相変わらず実家暮らしだったけれど、当時の私には、「東京」は慌ただしく、エネルギッシュで、時に疲れているように見えた。
足早に通り過ぎるビジネスマン、幾重にも重なり轟く電車の発車音。
これらの一部になって働けたら、どんなに充実するだろう。どんなに自分を誇れるだろう。
ドラマに出てくるような、髪かきあげて肩で風切って、高いビルの合間を進む自分。
キャリアウーマン、やってみたい。
やるなら、メーカーがいい。
商品を愛し、良質なメイドインジャパンを広めたい。そして自分のアイデアを形にして、手にとって喜んでくれるひとがいたら、それは素晴らしいことだ。
就職活動を経て、私は晴れて憧れの企業の営業職になった。
採用通知が来た時は、嬉しくて涙が出て、声が震えた。入社後出会う人たちみんな、素晴らしく優秀で頭が切れるように見えた。
実際に働き始めると、ドラマのような華やかな職場とはいかず、汚れ仕事や力仕事も多かった。周りはおじさんだらけ、おまけに激務薄給。
それでも、仕事は楽しかった。自分が世の中に与える影響力が、少しずつ大きくなっていくのを感じられて、充実感があった。
やればやるほど、結果はついてきた。
年次を重ねるごとに、任される仕事の責任は増え、裁量も増えていった。
7時出社22時退社、寝不足で食欲は落ち、肌もぼろぼろ、いつも胃が痛かった。それでもしがみついた。手を抜きたくは、なかった。
気づけば、憧れ、雲の上に思っていた企業で、三年連続売上の優秀表彰をもらっていた。
部署で一番目立つプロジェクトのメンバーにも選ばれた。
慕ってくれる後輩もできた。
大学生の自分が今の私を見たら、かっこいい!と目を輝かせるだろう。
憧れ、目標としていた自分になれた。
なれた、けど。
憧れがいつしか、「日常」になっていた。
そしてそれは自分にとって、ひどく退屈で、つまらないものに感じられるようになっていた。
目指すものがない、着地点がわからない、このまま努力する意味はなんだろう。
そう思い始めた途端、あんなに好きだった仕事が急に味気なく感じるようになった。
同時に私は別のところに憧れと目標を見出すようになっていた。
自分にはないスキル、例えば英語を使って仕事をする人への憧れの気持ち。狭い日本だけでなく、世界中の、70億人を相手にビジネスをする。
思ってからは早かった。
英語は基礎があるから時間をかけて取り組むなら全く別の言語をやろう。いつか南米を一周してみたいから、スペイン語がいいかもしれない。
教材を買って勉強し初めて、二ヶ月でスペイン語検定5級に合格。
その翌月、会社に退職願を出した。
昨今、会社で働くことに否定的な意見や、大学に通う意味がないという声もある。
私はその両方を経験していて、その両方とも、意味があったと思っている。
「憧れてる自分」を叶える場に臆せず立てたこと。そこで努力を積めたこと。理想を叶えられたこと。
憧れに届けば、次は別の憧れに出会うだろう。
スペインに留学しても、いつのまにか「外国に住む」ことが「日常」の味気ないものになるかもしれない。
英語スペイン語を話すようになってトリリンガルにバリバリ仕事をしても、それが「当たり前の毎日」になるときがくるかもしれない。
でも、それでいいと思う。
資格が、経験が、財産が、キャリアが、
なんてそんなものではなく、常に今の自分が大好きと自信を持って言える自分でいたい。
そのためには進み続けることが必要条件なんだと、26年間生きていて、やっと気付いた。
私は、行きたい大学に努力して入れた自分も、憧れの企業で結果を出せた自分も誇っている。
いまは、次もう一段階ステップアップするためのスタート地点にいる。
このゴールの先に見えるものは、なんだろう。ゆっくりだけど、コツコツ進んでいく。
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