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初めての投稿なので、ほどほどに自己紹介してみる(3)

小学校の最初の記憶は1年生のとき、和式トイレしかなくて、大を漏らしたことです。

クソ漏らし=ウナギ

ってことでからかいの対象になりました。

小学生になって周りを見ても失禁したのは自分だけという、生まれて初めての自尊心が崩壊する経験でした。それ以降は、学校で大をするのを我慢するようにし、今でも、トイレは絶対に洋式に入るようにしています。

和式しか置いてない施設は未だに許せません。(笑)

そんなわけで、ウナギ少年は義務教育1年目で早くも陰キャ成分多めになってしまったのです。


一方で、勉強の方は自分で書くのもあれですが、トータルでみてそこそこできた子だったと思います。

幼いウナギ少年にとって、授業は遊びの時間そのものでした。算数のときは先生の言うことを殆ど聞かず、算数キッドの中に入っている教材を使って、おはじき遊びや数え棒の組み立てなど、ひたすら1人遊びをしていました。国語のときは、授業に関係ないページを読んだり、これから習うであろう漢字の画数を数えたりしていました。

あまり人の話を聞かない割には、テストの点数が取れてしまうんです。

ただ、国語の聞き取りテストはどうあがいても60点程度しか取れなくて、今思えば、人の話を聞いても忘れるし、疲れるから話を聞きたくなかっただけなのかもしれません。

では、家庭ではどうなのか?

辛かった。ただひたすらに。


それを書く前に、当時のウナギ少年の家庭環境を整理したいと思います。

幼いウナギ少年は没落する前のウナギ家の跡取り息子。

母は遠い北の田舎から嫁いできた。類稀にみる芯の強さがあるが、キャパシティを超えるものについては強い拒否反応を示す。

父はウナギの母にゾッコン。とりあえず、母の機嫌をとる。教育方針はとにかく母に沿う。

祖母は、編み物に関するエキスパート。編み物が流行っていた時代に祖父と共に店を興す。常に自尊心MAX。プライドの塊。孫を甘やかしたい。嫁をよく思っていない。

祖父は、苦労人。宗教家。歴史家。書道家。孫と一緒に遊びたい。

ウナギ弟は、すぐどこかに消える。見失う。興味のある方へ猪突猛進な幼児。


話を戻して、なぜ、家が辛かったか?

ひと言で言えば、母が自分を受け入れてくれてなかった気がしたからだ。

人の話を聞く力が弱いウナギ少年は言われたことをすぐに忘れがちだったし、母も跡取りウナギを一人前に育てなくてはという責任感があったのだろう。

言っても効かないからといって、すぐに拳、そう…パーではなくてグーで殴ってくるのだ。時には、蹴りも出たし、兄弟ゲンガでウナギ少年が悪かった時には、首根っこを絞められた。

だから、ウナギ少年はいつもビクビクしていた。言われても忘れることが多いから、どうやると機嫌を損ねさせてしまうかわからない。わからないまま、殺されるのではないのか…恐かった。



少し疲れたのでまた明日書きます。

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