見出し画像

労働、それは、尖りつつ削られる川底の石のようなもの

ああ、仕事が面倒くさい。

三連休というのに、毎日PCを開いては仕事をしている。

今朝、ついにキレて資料で使う画像を
ぜんぶ「猫ミーム」*にして"終わり"にしてやろうかと思ったぐらいにはイラつき、面倒がっている。

* コレね

私はめちゃくちゃ労働のアンチだ。
常日頃から「労働は悪だ」と漏らしている。

反面、ワーカホリックな体質である。
大学最後の年には勤務先を3つ掛け持ちし、年間150時間働き、扶養の壁を易々と突破し、罰金(罰金ではない)を支払った。

社会人となった今も変わっておらず、
平日は脳内の全リソースを労働に割いている。
「全リソース」なので、家事もできない。
部屋は散らかり放題だ。
今の部屋の状況を見せてあげたいが、想像力と共感力の強い人が見たら泥棒に遭ったと思いかねないため、アップロードは控えておく。

親しい友人からは、私のパーソナリティも込み込みで「なぜそんなに働く?なぜそんなに働ける?」と聞かれる。私にも分からないので、よしてほしい。

基本的に多動な人間なので、
何かに集中する間はマリオのスター状態になる。
そんなわけで、労働というものと相性が良いのだろうと自己解釈している。

しかし、労働は悪である。
いかなる例外も許さず、等しく、悪である。

冷静に考え直してほしいが、
一般的な社会人は「週5日・8時間」を
献上している。
なんだこの悪徳サブスクは。
許しちゃあいけない。

労働の一番ダメなところ、
それは、「面倒くさい」である。

本当に面倒くさい。
最近、面倒くさいと思いすぎて「面倒くさい」と
口から思わず漏れてしまうぐらいに面倒くさい。

それでも、必要だからやらねばならない。
宮崎駿も面倒、面倒と言いつつも
「『面倒くさかったらやめれば?』
 『うるせぇな』って、そういうことになる」
「世の中の大事なことってたいてい面倒くさいんだよ」
と、がりがりと前に進んでいる。

文句を言って腹が膨らむのなら
幸せだったのだが、
社会へのヘイトが金銭に替わる変換技術は
未だ発明されていないため、
我々は生きていくために、自身が対価として差し出せる「労働力」を泣く泣く捧げて、賃金を得ている。

自分が忌み嫌うものに命を委ねている。
なんだ、このマゾヒズムは。

ところで話はやや変わって
先日、このような投稿が流れてきた。

至言である。
前者であればオリジナリティが抜け落ち、
労働のキラーマシンとなり
後者であれば社会不適合者になる。

思うに、労働とは
自分が持つ個性をちょうどいい具合に
社会と擦り合わせていく儀式のようなものであり、
それは周りとぶつかりながら削り・削られていく
川底の石たちのようなものなのではないだろうか。

まぁ、自分が削られるというこの事実が故に
労働は悪なんですけどね。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?