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自己紹介

自己紹介

うみしばという名前に特に由来はない。年の割に幼く見られる三十路女。人生経験のなさがきっと顔に出ているんだろう。ただ、心身ともに健康な人ならまず経験しないで済んだ色々なことは経験してきた。このまま死ぬんかなと思ったことは何度もある。仮面うつから始まって自律神経失調症とか不安障害とかで10年以上いつも体調が悪め。底を見てるのに這い上がれない。克服とかあるんだろうか。今は割と会食恐怖症に悩んでいる。その影響で心身の健康に対する知識が蓄積しまくり。哲学やら心理学やら精神世界に興味関心。とか言ってスピリチュアル好きでもない。占いはするが微妙な線引き。
中学生から現代文が好きだったが、そこから詩の世界が好きになった。生粋のポエマー気質。いや、パターソンと呼んでくれ。。
普通を目指して生きてきた節があるが実は普通とか一般的という言葉が似合わないし好きでもない。洋服は黒が多いが、奇抜な格好をしても似合う顔と体型だと思っている(人からも言われる)。

シャトレーゼがあるレベルのちょうど良い田舎に3歳から住んでいる。歴史深い土地で、史跡等が沢山あって、そこが好き。どこかの中央区でビルに囲まれた一人暮らしをしてから自分には緑の存在が大切と気づいた。地元に帰ってきてからはよく森林浴をするようになった。
人生迷子。これからどうしたいとかどう生きたいかを大人になってもずーーっと考えていてずーーーっとモラトリアム。「自分はこういう人間です」と言えない。人に差し示せる分かりやすいアイデンティティがない。普通の人のする恋や結婚や子育てや仕事、何もかもに縁遠い。(縁遠くしているのはもちろん自分!) 姪っ子たちの存在が私の人生で唯一キラキラとしている。割とマジで中身が中二で止まっていると思う。文章から滲み出る、サブカルに浸るイタイ学生感を自覚している。いまだにヴィレバンとか行ってそう。行ってないけど。

出没地

・山の麓
・神社や寺
・美術館
・博物館
・図書館
・植物園もしくは園芸店
これからはもっと他県や海外に軽い気持ちで出没したいと思っている(引きこもり体質)

書くこととブログについて

ご覧のとおり、現在わたくしのnoteは完全に「壁に向かって話し続けている」状況である。文体も、「〜なんです!」「~やってます!」のように、読者に話しかけるテンションで書いてはいない。
なぜなら、もうそんな文章を考えたり、書いたりすることが嫌だからである。たまたまの巡り合わせで、壁にある落書きを読むような軽い気持ちで読んでほしいだけなのだ。(それにしては長文)
これからも壁に向かって語り続ける予定のため、スキの数やフォロバなど重視しないつもりである。
というか、noteにこんなに業者がいるとは知らなかった。ビジネスなんて毛頭考えない暗い凡人の日記なんてますます読まれないのだろう。

過去、「読まれる文章」を書こうとしていたら、だんだんと何も書けなくなってしまった。ネットに溢れる文章をこれでもかというくらい読んだから、きっと自分も、上手く有意義かつユーモアな文章を書いて沢山の人に読まれなければという気持ちになってしまったのだ。(←こういう気持ちや、こういう気持ちにさせる文章が、人生に対して潔癖にさせる)
しかし、「誰かに自分の文章を読まれる」という事実は自分を救うということを、私は小学生のころにはもう知ってしまった。誰かがこの落書きを読んでくれる限り、私はずっと書き続ける。

影響される(た)文章

辻仁成の日記
誰かの書いた秀逸なレビュー
占いの文章ってポジティブだから読んでいて気持ちいい。⤴︎︎︎ 石井ゆかりは文章の人。
河合隼雄の。
養老先生の。
詩。いつ読んでも良いのは、茨木のり子
もちろん谷川俊太郎!
ほかにもたくさん良い詩人が居すぎて書けません。←めんどくさいだけ
ASKAの書く歌詞。←いつか紹介したい
それでいうと草野マサムネの書く歌詞も
オモコロとデイリーポータルのライターたち
ARuFaは文章というより生き様が…
翻訳された文章がすき(翻訳家の指定なし!)
加藤諦三の強気な文章は安心します
中勘助の銀の匙
坂口安吾の。
モンゴメリの。
ターシャ・テューダーの。
こう見えてラップとか好き。唾奇の歌詞。


その他諸々(数が多すぎて列挙あきらめ)

言葉を集めているということについて

よく分からないが何故か「言葉」に執着している。
最近できた友人にも、「言葉の人って感じ」とよく分からないがよく分かってくれているようなことを言われた。
身近な人であれ、映画のセリフであれ、誰かが言ったことで心に残る言葉はよく覚えている(みんなもそうかな?)。だから自分が発する言葉にもいろいろ気をつけていてそれで対人恐怖症なのかもと思うくらい。自分の言葉に責任を持ちすぎているとも言われたことがある。
アン(「赤毛のアン」の)が喋っている最中に本の文章を引用するような。それと同じようなこと。アンにもきっと言葉を集めている意識は無いだろうが。気づいたら収集しているという感じ。
言葉に固執しない人生ってどんなのか分からない。言葉に頼りすぎていない人生はとても健やかそうで憧れる。言葉にできないものがこの世のすべてだとも思うのに。

ここまでで2206字

こんな長文の自分語りを書いたのは人生初めてではなかろうか?着地点がない。何もかも超くだらないが、これが私である。書いててとっても楽しかった。
読んでくれた人がいたら、どうもありがとう。

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