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休職日記 #24 三省堂書店神保町本店

今年のゴールデンウイークは飛び石連休である。昨日5月6日が少なくない人にとって連休明けであったかと思う。まあ、休職中の身の上なので連休だろうが、連休明けだろうが、あまり関係はないのだが・・・。ただ、そういう日ではあるので、人出がいくぶんかは和らぐだろうと思い、思い出深い書店に最後の挨拶に出かけることにした。5月8日に閉店する三省堂書店神保町本店である。

閉店とはいっても、今回の閉店は建物の建て替えによる一時的なものであり、来月には仮店舗で営業を再開し、建て替え後は現在と同じ場所で今後も営業していく。そのため、別にこれでおしまいという訳では決してないのだが、私にとっては最も世話になった大型書店であり、通い慣れたあの店舗との別れではあるので、挨拶ぐらいはしておきたいと思った次第だ。

私と三省堂書店との縁は上京前に遡る。私の地元で地域最大の売り場面積を誇る書店は名古屋駅にある三省堂書店であった。
基本的には、近所の書店で事足りるのだが、やはりちょっと珍しい類の本になると、そういう書店では手に入らないため、名古屋駅に行くついでに三省堂書店に寄り、お目当ての本を手に入れるというのが、我が家のお決まりであった。
高校生になると通学経路上に名古屋駅があったため、今度は何かにつけて三省堂書店に頼るようになった。話題の小説、背伸びして手を出した専門書、少し前に刊行された新書、良いと勧められた学習参考書、志望校の赤本・・・etc あらゆる新刊本を名古屋駅の三省堂書店で手に入れた。
高校生の私にとって三省堂書店とは、あらゆる本が手に入る魔法の本屋であったのだ。そして、そんな魔法の本屋の本店が、本の街として名高い神保町にあるらしい。しかも、一丁目一番地に。これは是非にと思い、オープンキャンパスにかこつけて上京した時に初めて訪れたのが、三省堂書店神保町本店との最初の記憶である。1階から6階までのフロアにありとあらゆる本が所狭しと並んでいるその姿に神聖さすら覚えたものだ。駿河台にある大学を進学先に決めた遠因の一つに、この書店の存在が全くなかったとは言い難い。

晴れて上京した後も、ことあるごとに三省堂書店神保町本店に赴いた。当時は京王線沿いに住んでいたから、よほど新宿の紀伊國屋書店にでも行く方が利便性が高かったはずだが、私にとって「何でもそろう魔法の書店」が三省堂書店神保町本店であり、三省堂書店に全幅の信頼を寄せていた。他の大型書店の存在は眼中になかったのだ。
ただ、流石に学生で金はないので、そこまで頻繁に行って買えた訳ではない。まずはブックオフで安くなった古本を探して、なければ大学生協(割引が受けられる)、それでもなければ三省堂書店に行くというのがお決まりのパターンだった。だが、話題の新刊本などはブックオフはもちろん、生協もそんなに早くは入れてくれなかったので結局、三省堂で買うというのもよくあるパターンだった。話題の新書、面白そうだと思って手を出したものの結局挫折した哲学書、登山前には必ず買った山と高原地図、生協では売り切れていたので慌てて試験前に入手した教科書・・・あまりにここで買い過ぎたので逐一記憶はないが、当時の私の下宿の小さな本棚にある新刊本のほとんどは三省堂書店で買ったものだった。

ただ、流石は書店激戦区の東京だ。時間こそかかったが私もそのうち浮気を覚えていく。紀伊國屋書店新宿本店は、そのうち三省堂書店神保町本店と双璧をなす利用頻度となっていったし、大学院進学の都合で多摩に引っ越してからは、立川のジュンク堂や国立駅前にある増田書店(一見すると小さな街の本屋さんなのだが、そこは国立大学町クオリティ、良書の品ぞろえがすごい)の使用頻度の方が高くなっていった。社会人になってからは生活圏がまた変わったこともあり、丸善丸の内本店や同じ三省堂書店でも有楽町店などを使うことが多くなっていた。
もちろん、この間にも三省堂書店神保町本店に行くことはたびたびあった。神保町へ行くと、自然と足が向くのだ。だが、その購買意欲は昔のそれとは比較にすらならなかった。かつて、あれだけ輝いていた本棚は、なぜか輝いていなかった。知らぬ間に書店の仕入れ方針が変わったのか、単に私の好みが変わっていったのか、そのあたりは判然としないが、そのうち神保町に来ても、店内に入らないということも少なくなくなった。

だが、私がこの三省堂書店神保町本店から受けた恩は、山より高く海より深い。思い入れは、紀伊國屋書店や丸善・ジュンク堂などとは比にならない。
建て替えにより閉店するという報を受けて、既に何度か足を運んでいたが、流石にこの週末が本当の最後となる。もう一度だけ行って、これを最後にしよう。靖国通り側の入り口から入り、1階から6階までをくまなく歩いた。残りの営業日数が片手で数えられるようになった店内は、空の棚も少なくない。「あの時、あの本を買ったなあ」「ここでずっと粘っていたことがあったなあ」「この売り場、こんな風に変えていたのか」と最初は感傷に浸っていたが、結局いつものごとく良い本がないかを探し求めるようになっていた。気づけば、左手にはレジに持っていくばかりの本が何冊かを抱えている。おかしいなあ、感傷に浸りたくて来たはずなのに。

もはや、ここは私にとって神聖な書店ではない。いつものとおり、そこに当たり前にある本屋なのだ。当たり前になったものに、ありがたさを感じることはなかなか難しい。なくなるということになって初めて、その価値に気付かされることになる。そして、三省堂書店神保町本店への最後の訪問で、それにようやく気がついた。

お会計でつい「お世話になりました」とこぼれた。店を出て再び靖国通りから建物を見つめる。「いったん、しおりを挟みます。」と幕が掲げられているその姿を見て、この店がなくなるという事実を改めて突きつけられた。

もっと、早くこの店のありがたみに気がついて、もっと来て本を買えばよかったな。後悔先に立たずだ。まあいい、この店が終わったわけではない。仮店舗にも行けばいいし、新店舗が竣工されたときには真っ先に来よう。そして言うんだ「また、お世話になります」と、そしてまた私にとって当たり前にそこにある書店にしていくのだ。

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