見出し画像

休職日記 #40 温室から外へ、あわよくばもっと外へ

気が付くと、前回の更新から1か月以上が過ぎてしまった。

この間に、産業医面談があり、ついに残業が解禁された。もちろん、無制限という訳ではないのだが「定時になったら必ず帰らなければならない」状況から「定時後も仕事ができる」状態になった変化は大きい。

解禁直後に「連日2時間の残業」というようなことはしなかったのだが、徐々に1時間、2時間・・・という日が増えてきて、この間は休日出勤も入ってきた。いろいろと休職前に戻りつつあるという感じだ。

ただ、この状況になると、やはり不安感は大きくなってくる。自席の隣では、上司や先輩、同僚、なんなら後輩も文字通り四六時中働いている。
ああいう働き方をすれば、また同じことを繰り返すことになるのではないか―そんな考えは始終付きまとう。どうすれば最悪の事態を防げるのかは、この半年間でよく理解した。ただ、頭で理解しているだけだ。理解することと実践することの間には大きな差がある。そして、周囲が(自分にとっては過重な)労働をしている環境に身を置いておくと、つい周囲に引っ張られてしまう。そこまで自我を押し通せる性分でないこともよく分かっているのだ。

休職・復職数か月間は、いわば温室に入れられた作物のように、外の厳しい環境にさらされることなく過ごせてきたわけだが、ついに温室から外に出されはじめた。相変わらず人手不足感の強い職場で、多くの人たちから陰に陽に「早く、前のように、馬車馬のように働いてくれ」というメッセージが発せられている(ような気がしてしまう)。

ここしばらくは、強い疲労を感じる日が多くなった。コロナも流行っているので、人と会ったり、出かけたりも少し躊躇ってしまい、なかなか息抜きもうまくやれていない。先日、整体に行ったら「こり感がひどいですね、眠れてます?」と聞かれ、笑ってごまかすしかなかった。

おそらく、このままいけば、遅かれ早かれ同じこと、あるいはもっとひどいことになる。不確かな社会で生きているはずなのに、この点だけは嫌に確実性が高い。

最近、よくさらに外の世界へ行きたくなっている。単なる現実逃避欲求だとは思う。だけども、同じツラい思いをするなら、もっとやってみたいことをやった方がマシなんじゃないかと思えてしまう。今の仕事だって、やりたいことのはずだった。だけでも”現実的な”観点と”やりたいこと”との間の折衷案を落としどころにしただけだったかとも思う。苦しむなら、やりたいことに振り切ってしまった方が幸せではないか。それで野垂れ死ぬなら、それはそれ。心身ともに苦しみながら生きるには、人生は長すぎる。一種の破壊衝動なのかもしれない。でも、現状を変えるには、少し軽率になった方がいい時もある。そう言い聞かせる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?