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にじさんじGWで感化されること~ハピトリの歌動画とむぎちゃんの言葉

GWの始まり、最近色んなことがありすぎて感化されることが多いのだけど
あまりにも書きまとめたり読み取るのが大変なものがいっぱい!!

・にじさんじ麻雀杯 花鳥風月戦の告知
 前回麻雀杯から雀魂にハマった自分としては純粋に楽しみな一大イベント
 開催自体は5/22だそうでまだ余裕あるので別記事でまとめたいところ

つばちっぽいさんによる面白い紹介記事、こういうの読むとわくわくする

・相羽ういはの物語「MIA」の始動
 相羽ういは3Dで謎とされていた物語がすぐに展開されだした
 とはいえまだ分かっていることは少なくて謎は深まる

・GW(ギルザレンウィーク)ギルザレンⅢ世10万人耐久、文野環より
 伝説を目の当たりにしてしまった、これもできたら個別記事化したい……
 野良猫の策士っぷりとギル様の矜持が見られた、笑いと熱狂とエモがあった

・ハピトリ三周年「アンノウン・マザーグース」とむぎちゃんの言葉
 普段は音楽にあまり関心がない自分だが
 人物の背景や想いを知ると色んな事を感じさせられる
 近頃は特に家長むぎの人物的な魅力に沈んでいくような感慨深さを得ている

むぎちゃんが出会う人それぞれの手を握り返してくれる人なこともあって
そのファンの声も素敵で、心情溢れる興味深いnoteが寄せられている

蓮さんの記事は、読みやすくお話を整理させてもらったとても良い記事だと思う

すぷとにくさんの記事は、リスナーが配信者に関わる不安に共感したし
この記事でも取り上げる内容に近しいものがあるかもしれない

らむさんの記事は、活力を得た一人のファンの姿があるんだなあと熱いものを感じた
もっと読まれてほしいと思った記事たちだった

……これらが自分の中で渦巻いていた出来事で
一つ一つ文章化するのは難しかったのでまず雑感としてまとめた
色々書いてたらむぎちゃんのことでなんとか文章として形になったので
ハピトリ歌動画関連のむぎちゃん記事になった

note利用者から見る、Vとファンの在りよう

昨年末、ダブルスタ丼氏の記事が異例の注目を集めた
現在3000スキを突破してコメントは100件以上つき
Twitter上でも多くの人が引用ツイートをしていることが見てとれる

個人的には、この記事の内容は好ましくないものだった
でもこの記事を発端に、当時たくさんの反論や見解記事が生まれた

それらの記事自体の良し悪しもあれど(ここに取り上げなかったものも多々ある)
光あれば影ありの逆はあるのか……影あれば光も眩しいという感じで
にじさんじを見るファンの熱意的意見も表出した機会だったなと思う
自分も一つの記事を書いたのがこれだ

このとき自分は「配信者とリスナーの距離感」の言及で

自分にとってにじさんじは「タレント」的存在でいい

と書いた

この意図は、にじさんじは「生主」的な双方向である必要はないということ
ファンが増えて人気があるほど1人1人に手を握り返すのは困難になっていく
ライバー1人に対してファンは数万、数十万人となれば明らかに負担は重い

だからテレビの向こう側のように「タレント」的な遠い存在になっていく
それは仕方のないことだし、それでいいんじゃないか?というものだ
干渉をせずとも、ハッシュタグでつぶやいたりnoteに書いたり
一方向的には書くことができる、それで十分だろうと

自分はどちらかといえば冷めた視聴者だったのかもしれない
……そうしたある日、家長むぎちゃんの哲学配信を見て面白くてnoteを書いた
これは自分にとっては何気ない感想記事だった

むぎちゃんが拾ってくれたことでどきっとした

そして実はこれを見つけてシェアしてくださった方がいて
それをツイッター経由で見つけてくれたからだったようだ
たけゆきさんありがとう……

本人に取り上げていただいたことはもちろん
もし誰かに話せる機会があったらこっそり自慢したいくらいの出来事で
noteのスキやビュー数もモリモリ増えて読んでもらえたことは嬉しかった
……でも一方で、それはむぎちゃんの影響力によるものにすぎない
このスキは自分に向けてつけられたものではないな、とも思っていた
影響力ある人が紹介してくれたらそれはまあ伸びるよねって
変に自惚れてのぼせあがらないよう抑制し、期待をしないようにした

そうして紹介していただいたツイートの返信欄を見ると
少なからず記事に向けての感想をいただけていた
これはどこかしら良いと思って読んでもらえたのは確からしいようでほっとした
どこに共感してもらえたのか何がスキと思えたのか本当は少し知りたかった
自分では何が良かったのかそれほどよくわかっていない

感想書いてくれた方に何かお礼を言えれば良かったかもしれない
けれどTwitterではあまり活動する気がなかったしリプ飛ばす勇気もなくて
良いと思ってくれた人にアクションができなかったなと思った
まあ、あくまで一方向的で良いと思っている自分がやっぱりいるのだろう

でも誰かにとって価値があると思われるものを書きたいという思いは大きくなった

ハピトリ三周年、むぎちゃんの言葉

ハッピートリガーとは
ト(剣持刀也)リ(夕陽リリ)ガー(伏見ガク)に家長むぎを加えたコラボ名

ハッピーは家長むぎの命名で「頭ハッピーセット」が由来だそうな

そして今回のハピトリ3周年記念のカバー動画
wowaka「アンノウン・マザーグース」

これはハピトリのファンが制作した人力動画へのリスペクト込められていることが
むぎちゃんの三周年記念雑談やnoteで語られている

UTAU式人力とは、人物やキャラクターのアカペラ素材から人力で切り出した音素を音声ライブラリ(原音ファイルセット)とし歌声合成ソフト「UTAU」を使って合成された人力ボーカロイドである。 『ニコニコ大百科』より

つまりファンの二次創作作品を受けて
その対象であった本人たちが三次創作をして返答した、そんな作品らしい
なかなかすごい試みの歌動画であったことがわかった

むぎはリスナーと配信者の両者の相互干渉で記録を残していく、成果物を残したり配信を残したり、みんなの心に思い出を残していくっていうことがあると思うんだけど……観測する側の人間、ファンの皆の言葉が配信者側のやりたいことを曲げちゃうとか傷つけちゃうとか、あまりにも影響力が大きすぎるファンの存在が悪い方向に作用させて、配信者のありたい姿をファン側のあるべき姿で汚してしまうっていうことがないとも言いきれないなって、今回そうじゃない形の相互干渉があるんだよっていうのを、この人力動画をリスペクトさせて使わせていただくっていうことをできたのは、ほんとに素晴らしいことなんじゃないかなって、皆の観測してくれてたむぎたちの生き様を改めてむぎたちが感じ取って、答えを、アンサーとしてポンと球を返すようなことができてほんとに良かった、皆と作り上げていくのがにじさんじだよねって言ってるけど、ほんとにそれを体現できたんじゃないかなって思ってる
【雑談】ハピトリ三周年をみんなで祝います。【にじさんじ/家長むぎ】38:35~より
みんなの観測してきたハピトリをみて、ハピトリがそれに呼応する。こんなに素敵な共存はないのでは.....と思います。お互い押し付けのない、敬愛に満ちた生き方だと思います。『自分の解釈が現実になった......』という事ではなく、『ハピトリの生き方の選択肢を広げた(広げただけで、強制はしない)』となっている、ということです。
家長むぎ|note『2021/04/29 「ハピトリで歌動画を出したよのあれこれ」』 より

にじさんじは"「タレント」的存在でいい"と考えていた
自分のスタンスを揺るがしたのが他の誰でもないライバーである「家長むぎ」だった

彼女はどこまでも双方向的に向き合っているのだなと
あまりにもつよい……

自分の根本がそう簡単に変われるわけではないが
その生き様が、自分の価値観を少しずつ変えてきているのを感じた
傍観者で干渉しない第三者、有象無象でいいという考え方から
双方向的に認識される「個」でもいいんじゃないか、と引っ張り込んでくる
こういったことに感化されて、誰かにとって価値があると思われるものを書きたいという思いを抱かされたのかもしれない

誰かにとって価値があるとは何か

どうしたらそういったものを書けるのか?他者の求めるものは何か?
それをふと考えたとき逆の発想が生まれた

他人にもこの気持ちは多かれ少なかれあるのではないか
誰かに認められたいという気持ちは、誰かを認める他者がいて成り立つ
コメント(評価)をもらうのは難しくても、コメントをすることはできる
自分が評価したいと思っているものにもっと言及してみるのもいいかもしれない
表現しなければ伝わらないリスペクトを形にすることでもある

紹介多めだったり冒頭むぎちゃん関係の記事に一言だけれど感想をつけてみたのは
そういう感じの心境での試みだった話

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本当はもっと踏み込んで書いてみたり、色んな紹介とかしたいなと思ったけど
思考と作業のキャパオーバーしてしまったのでこれが限界でしたでスン

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