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『獣の奏者』ダミヤは本当に「権勢欲の強い」人物なのか。

宇宮7号です。普段は絵を描いたり、世界史の解説動画を作ったりしています。上橋菜穂子ファンです。

今日は『獣の奏者』に出てくる王族ダミヤの話をします。
ダミヤは真王ハルミヤの甥です。30近いのに妻帯せず、たくさんの女性と浮き名を流す、女好きの王族として描かれます。

冒頭からネタバレしますが
『闘蛇編』『王獣編』で国を揺るがす事件の多くは彼が画策したものであり、真王謀殺の黒幕でもあります。それに気がついたイアルを襲撃し、またエリンの奏者ノ技を利用しようと動きます。
こうして並べると大変な悪役です。

Wikipediaでもダミヤを評し「権勢欲の強い狡猾な陰謀家」とされています。
けれど、私はこの記述を読むたびに、違和感を感じるのです。「狡猾な策謀家」は良い、しかし「権勢欲が強い」というのはどうなのだ?と。
ダミヤは確かにセィミヤ(次期真王)と結婚しようとしましたが、それが権勢欲のためだとは、どうしても思えないわけです。

上橋菜穂子作品の特徴は、悪役をわかりやすい悪で終わらせたりしないところです。大きく世界が揺れ動く中で、一つの正しさを実行しようとして動く人物として、丁寧に描くのです。
ダミヤが彼なりの正義を貫いていることも、作中で、きちんと示されています。
けれど、悪役という印象に引っ張られるせいか、それに気がついていない人が多く、まあまあの大衆的信頼度を誇るWikipediaにも、酷い悪の如くに書かれてしまっています。残念でなりません。

私のこの意見も、所詮はいちファンの解釈であると重々承知しておりますので、Wikipediaを編集しようとまでは思わないのですが、まあ自分のnoteでくらい、所見を語っても良いのではないかと思うので、ここからは本文から読み取れるダミヤの意図について、色々と確認しつつ語っていきたいと思います。
どうぞお付き合いください。


以下、
『獣の奏者』→『獣』
『獣の奏者』闘蛇編→『闘蛇編』
『獣の奏者』王獣編→『王獣編』
と記載することがある。


ダミヤの基本情報・行動

まずはダミヤを語るにあたって、彼の周辺情報と、彼のおこなったことを記載しておく。
ただし、真面目に列挙しようとしたら、とんでもなくつまらなくなりかけたので、感情や情熱をそえて語ることにする。

さて
ダミヤの第一印象を、言葉を選ばずにいうと「女好きでビジュが良いおうじさま」である。

リョザ神王国は、王祖ジェ以来、女性が真王となって統治する国で、ダミヤは王位継承権がない。その気楽な身分にまかせ、各地をふらふらして、貴婦人から町娘まであらゆる女に手を出すどうしようもない色好みの王族なのだ。
(『獣』には何だかそういう男が多い。ロランとか。)

ちなみにアニメでは石田彰が声を当てた。
個人的にはぴったりだと思ってる。綺麗だし、高貴さがあるし、怪しいし、裏切りそうだし。



作中では、ダミヤが直接命令を下すシーンこそないが、さまざまな事件の背後に彼がいるように描写されている。

例えば、真王ハルミヤの六十歳の誕生日に、ハルミヤ暗殺のために刺客が放たれる。(刺客の矢があたったリランは怪我をし、カザルムに送られることとなったので、エリンとリランの出会いのきっかけでもある。)この刺客の裏で糸を引いていたのはダミヤであったと、のちにイアルは突き止めている。

また数年後、リランが子を産んだときに、真王がカザルムに行幸し、帰りの船が闘蛇軍に襲われる。おそらくそれも(明言はないが)背後にダミヤがいるようだ。
真王行幸にはダミヤ自身も同行していたので、闘蛇に襲われた彼も無傷ではなかった。船の揺れで頭を強くうち、肩を脱臼している。一歩間違えれば自分も死ぬかもしれない暗殺計画を立てるとか、何考えてるんだ。末恐ろしい男である。

ダミヤと真王ハルミヤとの関係は定かではないが、その様子を見ると、あまり穏やかではなかったのかもしれない。
彼が真王を何度も暗殺しようとしているのは、あやつりやすいセィミヤ(真王の孫)を王位につけたいと考えていたからだろうか。その意図はあくまでイアルの想像としてしか描かれないが、実際、闘蛇の襲撃で真王ハルミヤは崩御し、セィミヤが後を継ぐことになった。

真王となったセィミヤに、ダミヤは求婚する
初めて読んだときはかなりびっくりして、なんだか居心地悪い気分になった。王族には総じて近親婚が多いと知っている今でも、読むとやっぱり微妙な心地になる。
セィミヤは、もともとダミヤに懐いていたらしいのだが、なんというか、そのなつき方/なつかせ方は結構生々しくて、「うーーーん、30と18の親戚同士の絡みか?これが……?」と首を捻る程度には男女関係に近い雰囲気を醸し出しているのだ。やめろ、親戚の娘をたらし込むな。
その後実際に、セィミヤはダミヤの求婚を一度は受け入れたようだが、絶対お前が丸め込んだだろ、女誑しめ!!と思う。いつも思う。人心掌握がうますぎる。


さて、大公との関係に緊張が高まるなか、ダミヤは真王の新たな武力として、主人公エリンの育てた王獣に目をつける。大公との戦いで、王獣を飛ばして闘蛇軍を撃退するよう命令するのだ。

そればかりではない。さらに裏では、大公の次男ヌガンにも接触している。このことは、最後の戦いの様相を大きく変えることになった。彼は大公の一族でありながら、ダミヤの思惑通り、最後の戦いで父と兄に軍を差し向けるのだ。

その他にも、ダミヤが黒幕であると気がついたイアルに毒を盛り、襲撃させ、なき者にしようとする。なかなかえげつない。人の命を、薄い羽だか落ち葉だかのように扱う姿勢には、空恐ろしいものがある。

確かにこうしてダミヤの行動だけを見れば、権力と武力の両方を我が物にしようとしているように見えても仕方があるまい。

しかし、その裏の政治的事情を知ると、彼の見方は大きく変わって見えるだろう。

深く理解するためには、真王と大公の関係理解が必須であるので、次はその政治的背景について解説する。



真王と大公の関係

『獣の奏者』を読み進めていくうえで鍵になるのが、この国の真王(ヨジェ)大公(アルハン)という二者の存在である。

最初にこれだけは理解していただきたいのだが、
真王の象徴は王獣、大公の象徴は闘蛇である。

王獣はこの世で唯一闘蛇を捕食する獣であるが、飼育された王獣は、決して飛ぶことはなく、武力として利用されることもない。
これは、真王と大公の関係を暗に示している


真王は戦争を嫌い、武力を持たない王である。武力面は、代わりに家臣である大公が一手に引き受けている。かつて隣国との緊張が高まる中、あえて手を穢し、対外戦争を任されたのが大公であった。
結果として、大公は国境を広げ、広大な領地を支配することとなった。

真王と大公は、天皇と征夷大将軍、カリフと大アミール(もしくはスルタン)の関係に近い。

武力を持つ者は、権威を持つ者に支配権を委任されることで、その地を支配することができる。
例えば日本の将軍たちは、武力を持っていたが、全土を支配する説得力を持たなかった。そこで、権威を持つ朝廷に認められることで、支配の正当性を得たのである。

国を治めるには、武力だけでは不十分であるが、権威だけでもまた不十分である。
権威と権力が併立して釣り合いを維持していく必要がある。真王と大公は権威と武力の棲み分けをしながら、バランスを保ってきたのだ。

しかし近年は、真王領民と大公領民の対立意識が強まっている。貧しい真王領と豊かな大公領との生活水準格差がある一方で、真王領民は大公領民を穢れた者たちと蔑み、その対立意識は人々に根付いている。
「大公を国の王に」と望む組織も動いている。そうした組織の刺客が真王を襲うたび、真王領民は大公領民を恐れ、対立はますます大きくなっていく。
これまでの釣り合いが崩れているこの状況では、どんな形であれ、なんらかの変化が必要なのだ。

闘蛇による襲撃のために真王ハルミヤが崩御してのち、真王と大公の関係は一気に緊張する
闘蛇軍は大公の軍であり、他に“穢れた闘蛇”を使える者はいない。真王からしてみれば、闘蛇による襲撃は、大公からの叛逆に他ならなかった。
しかし実際には、これらの闘蛇は、陰謀の首謀者により、大公のあずかり知らぬ所で秘密裏に飼育されたものであった。
大公は、心当たりのない襲撃で疑いの目を向けられ、怒りを爆発させる。

大公の長男であるシュナンが、真王となったセィミヤにある提案を突きつける。

「あなたさまが神であり、わたくしたちが国を治めることが滅びへの道であるとおっしゃるなら、どうか、わたくしたちに、それを証明してみせてください。
 四月後の〈建国ノ夜明け〉の祝い日に、雌雄を決しましょう。
 わたくしたちは、この国が始まったという、あの降臨の野にて、あなたさまを待っております。精鋭の闘蛇部隊をずらりと並べ、(中略)、待っております。
 神が、まことに、あなたさまの行為を祝福し、守っておられるのなら、わたくしたちの穢れた闘蛇は、神話にあるがごとく、あなたさまの神威に撃たれて、頭を垂れるでしょう。そういう奇跡が起こったなら、わたくしも父も兵を収め、再びあなたさまの臣下として、黙々と我が身を血にまみれさせて、生きつづけましょう。……しかし──」
(中略)
「そういう奇跡が起きないときは、どうか、セィミヤさま、民のために、その身を、わたくしに捧げてください。」

『獣の奏者』王獣編第八章1 求婚

つまり、軍を差し向けるから真王の神威で止めてみせろというのである。
そして止められないなら、自分の妻になれと。
(んな無茶な)


受け入れたくなければ、真王は闘蛇軍を止めなくてはならない。
ただし、繰り返すが、真王は武力を持たない王である。とても大公軍を止めることなどできない。

その時に、突如浮上した可能性が、エリンだった。この世で唯一闘蛇を殺すことのできる生き物であり、真王の象徴である生き物、王獣。その王獣を野生のままに育て、王獣を実際に屠ってみせた。そんな強大な力を降臨の野に持ってくることができれば、大公軍も止められるのだ。

かくして、ダミヤはエリンを脅し、王獣を飛ばすように命じるのである。



真王との婚姻が意味すること

作中では、真王セィミヤに婚姻を迫る男性が2名登場する。
ダミヤとシュナンである。
一度ダミヤの求婚を受けた(らしい)セィミヤは、降臨の野での戦いを経て、最終的にはシュナンと結婚する。

こうやって書くと少女漫画的というか、お姫様を中心にした三角関係…!みたいな雰囲気が出てしまって良くない(恋愛脳目線)。実際には三角関係♡なんていう生やさしいものじゃない。普通に政治である。以後の真王家のあり方を決める大問題なのだ。

シュナン
大公の長男であるシュナンとセィミヤが結婚すれば、大公領と真王領の分断が食い止められるきっかけになる。もともと大公領民は、真王領との待遇の差に不満を持っている。真王が大公と添うことを選べば、彼らの心も癒されるだろう。
また、真王と大公が結ばれるのは、権威と権力を統合することであり、パワーバランスの崩れた二者の関係を統一によって解決することでもある。
シュナンが添うことで、この国の現実を知らぬ真王セィミヤに、大公領の姿を見せることもできる。国を大きく変える一手になるだろう。

ただしそれは、清らかな真王の血を穢すことでもある。真王家としては、容易には受け入れ難い提案であった。

ダミヤ
ダミヤがセィミヤと結婚すれば、真王の血を純粋なまま保つことができる。
もともと真王家は、清らかな神の血を薄めないために、近親婚を続けてきたらしい(ハプスブルク家みたいな感じか)。だから、実はダミヤとセィミヤの結婚だって、特に珍しいことでもないのだ。

ダミヤがイアルに語った話を信じれば、彼の意図もそこにあるようである。

「わたしは、私欲から、この婚姻を望んだわけではない。……考えてみよ。わたしは、セィミヤの次に、真王の血を濃く受け継いでいる。セィミヤとわたしが結ばれることは、この国のためには、もっともよいことではないか。神の血を薄めず、聖なる血をもってこの国を治められるのだから。」

『獣の奏者』王獣編第八章5 露見

真王の権威を大公の武力が上回っている今、真王の血を少しも薄めるわけにはいかない。
その考えに基けば、大公との結婚など、論外である。
真王家と大公家が結びつけば、権威と武力を兼ね備えた強大な一族ができる。それは他の家臣(貴族)達にとっては大変な脅威である。また何より、戦という穢れを引き受ける大公と、清らかな神の血が混ざることで、真王の威信に傷がつく。

不安定な状況だからこそ、神の血を守ることは、真王家にとって、最優先課題の一つなのだ。


まあ、権勢欲が全くなかったかというと、確かに微妙なところだ。勿論、未熟なセィミヤを操り実権を握ることも、考えてはいたのだろう。
でも、そうだとしても、権力を手に入れることは、ダミヤにとって、目的というよりは手段だったのではないかと思う。



ダミヤの意図(本人談)

彼が己の主義を掲げ、真王家存続のために動いていることは、作中でも本人の口から語られている。

わたしは、一方が強大になりすぎたために崩れようとしている均衡を、もとにもどしたいと思っているだけだ。

『獣の奏者』王獣編第八章3 ダミヤの命令

これは、ダミヤがイアルに語った言葉である。
モノローグでなく、他者に語った言葉なので、もちろん丸ごと信用できるものではないが、このあとイアルを毒で弱らせて襲撃しようと考えている状況であることを鑑みれば、それなりに本音に近いんじゃないかと、私は思う。(死にゆくものに嘘をつくだろうか?という意味で)

これまで各地を巡っていたのなら、大公領の様子も真王領の様子も十分見聞きし、この国の現状も把握していただろう。そんな彼が、様々な陰謀を張り巡らせていたとすれば、確かにそれは真王家のためにほかならない。

もう少し長めに引用する。

「この国の歪みは、均衡が崩れていることで生じているのだ。大公の武力と、我らの権威との釣り合いがとれなくなったことで、雪崩が起きたように片方が押しつぶされて、崩れ去ろうとしている。」
 落ち着いた口調で、ダミヤは言った。
「わたしは、一方が強大になりすぎたために崩れようとしている均衡を、もとにもどしたいと思っているだけだ。同じ国の中で、民と民が殺し合う戦を回避する方法は、それしかない。それとも、そなたはほかに、なにか方法があると思うかね?」

『獣の奏者』王獣編第八章3 ダミヤの命令

彼が忌避しているのは、真王領民と大公領民との戦であるようだ。

真王の権威と大公の権力が釣り合わない状態で、これまでなんとか形を保つことができたのは、大公が真王にあくまで忠誠を誓っていたからだ。

それが崩れはじめ、大公が強大になりつつある今、釣り合いをとるために、真王の力を強めなければならない。
そのための切り札が王獣なのだ。
真王の象徴とされる王獣は、闘蛇を殺すことのできる唯一の生き物である。
これまではただ保護場で飼い殺しにされるだけだった王獣を、エリンが強力な武器にしてしまった。
武力を持たない王に王獣という武力を付与し、象徴的にも実際の武力的にも、大公を凌ぐ力にしようとしているのだ。



セィミヤへの求婚も、血の存続意外に意図があるとするならば、自らを権力の座に置くことで、そうした陰謀をやりやすくするための手段に過ぎないのではなかろうか。
少なくとも本文には、権勢欲があったかどうかは書かれていない。よって、描かれていない「権勢欲云々」は解釈のひとつであり、まあなんというか、Wikipediaに書くほど明確なこととは言えないのではないか、と思うわけである。
彼もまたリョザ神王国のために、自分の正義を貫いただけなのだろう。これもまた解釈だけれど。



真王謀殺の意図は何か

さて、ここまでの考察は、考察というよりもただの読解に近い。読めばわかることの羅列である。

ここで疑問が生じる。
真王暗殺は何のためだったのか

エリンが王獣を操ることができると露呈したのは、真王への襲撃をエリンが救ったときだ。そのとき、抑止力としての王獣軍を構想したのだろう。
ただし、真王暗殺を計画した段階では、そのような力を持つ者がいるなど、想定もしていなかったはずだ。

闘蛇軍に真王を襲わせれば、濡れ衣を被った大公が反発し、内紛になることも予期していただろう。エリンによる王獣軍の可能性がひらけるまで、ダミヤは、何を意図して動いていたのだろうか


おそらく、鍵はヌガンだったのだ。

降臨の野で、エリンが王獣を飛ばさなくても起こっていたことを考えれば良い。
大公と長男シュナンを、次男ヌガン率いる軍が横から襲い、大公は殺され、シュナンも襲われた。
ヌガンは、ヤマン・ハサル(初代大公)を崇拝し、大公はあくまでも真王の家臣としてあらねばならぬと強く信じている。だから真王へ叛逆する父と兄を許せないのである。

彼は『闘蛇編』で、闘蛇商人を通して「さるお方」から手紙を受け取っている。
ダミヤが闘蛇商人と繋がっている描写もあることだし、「さるお方」とは、まあおそらくダミヤであろう。その手紙の内容は、一切不明である。ダミヤや闘蛇商人が動きやすくなるためにヌガンが何かしら協力していたのかもしれないし、『闘蛇編』時点では人心掌握に留めていたのかもしれない。ただ、少なくとも降臨の野の決戦でヌガンが動いたのは、ダミヤの思惑だったのだろう。(エリンもそのように推察している。)

戦に乗じて忠心厚きヌガンを大公にし、自らとセィミヤで真王の権威を高める。これにて、真王位と大公位を安定させるのが目的だったのではないか。

だとするならば、真王ハルミヤには早く退いてもらう必要があろうし、そのせいで大公との直接対決が起こることも、全て想定内だったのだろう。
エリンの出現は、ダミヤにとって、嬉しい想定外といったところだろうか。本来の計画を補強するものではあったが、必須の要素ではなかったのかもしれない。



まとめ


こうして作中を確認するに、彼の意図は、真王と大公のパワーバランスの調整である
ハルミヤを闘蛇を使って葬り、大公に濡れ衣を着せる。忠臣ヌガンを懐柔し、父と兄を殺させて大公位につける。自らはセィミヤと結婚することで、真王家の血を濃いままに保つ。
これが彼の描いた図だったのだろう。

加えて、エリンの登場で、真王家が武力を持つ未来も開ける。真王家は権威と武力をあわせ持ち、盤石になる。これを次善の策として走らせたのではなかろうか。

人の心を操り、涼しい顔で脅しや暗殺もおこなうその姿を見ると、確かに彼はエリンたちにとって、恐ろしい敵ではあった。
しかし、その心のうちは描かれていないので、本当はどう思っていたのかは、誰にもわからない。

さて、ここで冒頭のテーマに戻る。
Wikipediaにある「権勢欲の強い狡猾な陰謀家」について。
「狡猾」と「陰謀家」は疑う余地もない。
「権勢欲」については、間違っているとまでは言えないが、事実とは言い難い。「書かれてはいないので、解釈に過ぎない。解釈に過ぎないことを書くのはいかがなものか。」くらいの結論にしておきたい。


ここからは、解釈にもならない私見を述べる。
ダミヤの望んだあり方は、やり方が強引かつ対処療法的ではあるが、真王家として至極真っ当な進み方だったのではないかとすら思う。
エリンやセィミヤの選択した未来(『探求編』と『完結編』)の結末を知っているので、ダミヤの望んだ未来と比べて、どちらがより良い選択だったかも、正直わからないのだ。

上橋菜穂子氏は、一方の感じる正義だけを絶対的だとは描かない作者である。
ダミヤもまた、そういう悪役のひとりだと、私は考えている。



あとがき(感想)

上橋作品の価値観のなかで、私が好んでいるものの一つが、「皆が変わりゆく世界に対処するなかで主人公側とその敵対勢力が生まれていくだけであって、完全な悪など存在しない」という点です。
まさかWikipediaの一言のためにこんなnoteまで書くことになるとは思いませんでしたが、大事だと思っている部分に引っかかってしまったのですから、仕方ありません。


上橋作品の敵役は、皆とっても魅力的なので、また誰か敵となった人物について語るかもしれません。

以下のマガジンに上橋作品関連の記事をまとめているので、興味のある方はぜひご覧ください。

それでは。
読んでいただきありがとうございました。
宇宮7号

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