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ブックジャンキイ

「娘さんはもう正気に戻れないかもしれません」
父を亡くしたばかりの母に30代のまだ若い医師は言ったそうです。
私は数ヶ月精神病院の閉鎖病棟の隔離室に入れられており、母は面会も許されていませんでした。
聞こえるはずのない声を聴き、あるはずのないものを感じ、独りごとを言い続け、看護師をヒットマンだと思って暴れる私は確かに正気ではなかったし、立派な狂人でした。
それから4年。
私は自宅の部屋で澄んだ朝の空気に包まれのんびりとこれを書いています。空は青い。
幻聴は聞こえないし、あるはずのないものは私の中の物語たちだし、お世話になった看護師さん達には足を向けて寝られません。
実は前回の入院は退院するまでに1年かかりました。
新しく担当になった私より5歳若い先生との相性が最悪で、多少良くなって隔離室を出られた後も院内散歩(病院内を散歩すること)すら許されず、看護師さんたちが「ここまで回復したのにどうして外出も外泊も禁止なのか知らねえ?」と首をかしげていました。
いわゆる長期不当拘禁です。
1日に渡される小銭は100円と決まっていたから、公衆電話で母と話せる時間は数分でした。
その数分で私は「元気になった」とアピールし、「父の死後がくんと力を落とした母」をいたわりました。
そして同時に、裁判所を巻き込んで病院を出たいと申し立てたのです。
書式を何枚も整えて、何ヶ月も裁判所の日程を待って、頑張ってがんばって、申し立ては却下されました。
母の
「夫が亡くなったショックで、娘の面倒は見られません。うちでは引き取れません」
の一言で。
閉塞感と絶望に一度克服した狂気が……戻ってはこなかった。良かった。
ただ、薄いカーテンで仕切られた狭いベッドの上で少し泣きました。
そして、そんな私がベッドの上で書き始めたのは今の自分の状況をまんがや文章にしたものでした。
病院の売店で買ったノートに書いては直し描いては直し。
誰に見られる予定もないものを隠れて書いていました。
時たまバイタルを測りに来た看護師さんが
「あらー、今日も書いてるのね、好きねぇ」
と、笑ってくれました。
違います、これを書かないと私、頭が爆発してしまうんですよ、と、心の中で思いました。
閉鎖病棟にはトンデモな人がたくさんいました。
女子トイレを陣取って入ってきた人に性器を出し「握れ」というおじいさん、自分を松田聖子だと思っている50代女性、末期がんで治りようがなくてペインクリニックだけ通って死と狂気に向き合う老女、目にも耳にも障害があるのに幻視と幻聴だけがあってそれに抵抗するために壁を叩きまくるから三点拘束をされる中年男性、元ホストで夕食後ホストクラブごっこを始めてしまうアル中、その元ホストにお茶を注がせながら「私、退院したらホストクラブに直行して酒飲むんだー」と笑う5年以上入院していると噂の美貌のアル中。
飽きる暇などなかったけれど、こんなにバラエティ豊かじゃなくてもいいのに、と思うこともありました。
一般に統合失調症の患者さんは文章を書くのが苦手だと言われています。
しかし私は得意かどうかはともかく文字を書くのが好きで、これが気分転換になります。
ベッドサイドには「きのう何食べた?」と「カラマーゾフの兄弟」を持ち込みました。
長編の「カラマーゾフの兄弟」の合間に一話完結の「きのう何食べた?」を挟みつつ、一年を乗り切ったわけです。
閉鎖病棟という一歩も外に出てはならない世界で、一日1時間廊下を歩く習慣を作り、寝る前はベッドの上で簡単なストレッチと筋トレをしました。
間食は母に頼んでナッツ類を届けてもらい、ジャンクなものはなるべく避けました。
「治りたい」と強く思っている人しか治らないのが精神疾患、強く思っても治らないことがあるのも精神疾患。
私はその「治らない」をつぶしていこうと思ったのです。
「外出したら酒飲みますわ!」
「外泊したら徹夜で遊びに行く!」
とか言っている人は数年入院コースになって社会に出られない。そして数年入院したら社会性がおかしくなって退院後すぐ入院してしまうようになる。それこそ退院数日後にでも戻ってくる。
そんなパターンの人を一年の間に私はたーんと見ました。
一般に精神疾患の入院期間は三ヶ月と言われます。
私はその三倍入院していました。
前後不覚だったりボーッとしていた期間もありましたが、周囲から
「なんで退院できないんだろうねぇ」
と言われながら過ごしていた期間が長かったのです。
それはおそらく私に裁判所に訴えられた医師が「こんなにも長く悪い期間があった」と実績を作りたかったのだろうと退院後いろんな福祉サービスを利用しようとして気づきました。
きちんと化粧をして服装を整え、どんなに丁寧な口調で話そうとも、態度をぴしっとしていても「入院一年」の一言で皆が手の平を返すのです。
また、その医師が出していた薬がめちゃくちゃだったことも後に分かりました。
薬が効きすぎて起き上がれなくなり、過食の副作用を起こした私は退院後半年で15㎏太ったのです。
ジスキネジアという口が震えて止まらなくなる副作用も出ました。
飲むべき薬が飲めず、飲まなくていい大量の薬を飲んでいた私はご飯を食べることと本を読むこと以外ができなくなりました。
というか、この状況でも活字は読んでいた。
結局20年近くお世話になっていた昔の医師を頼って行くと、私を一目見るなり彼は
「君、どうしちゃったの!」
と珍しく感情をあらわにしました。
15㎏増量していた体型と、死んだ魚の目をしていたのを見たからだと思います。
その時にも私の手には本が握られていました。
「文字を追えるのは集中できている証拠です。良いことですよ」
と、言われましたがそのとき読んでいた本の内容が今となっては思い出せません。
でも、常にインプットとアウトプットを繰り返していた私の脳は、少しずつ癒えていったらしい。
ある日、前に読んでイマイチだった本を再読してみたら、めちゃめちゃおもしろかったのです。
シナプスに電気ががつーんと通った気がしました。
このめちゃめちゃおもしろい再読体験はしばらく続き、今は大体の本もまんがも楽しいです。
インプットがなおったのだと思いたい。
そして、絵に色を塗ると脳が活性化するという文を読んでまんがに絵を塗り始めました。
最初はド下手なこともあってイライラしましたが、最近はド下手もふくめて楽しめるようになりました。
海馬かなにか知らないけれど、人の脳にはいくつになっても発達する場所があるらしいですね。
新しい体験、会ったことのない人、交わしたことのない言葉、それも大事だけれど、
「もう戻らない」
と言われた私がこんな文章を書いているのは活字中毒だったからではないか。
嬉しい中毒です。

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