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「浅草文庫」つくりたいモノ外堀り埋め作業④ #朝note

常に「やりたいこと」・「カタチにしたいこと」、モノづくりのアイデアで頭が溢れかえっています。『浅草画廊』・『名刺ダス』・『大学事始(ダイガクコトハジメ)』に引き続き。今朝も時間がないのでさわりだけ。

そもそも何故、浅草か?

私には「コンテンツ・デザインで日本を元気にする!」という明確な夢・目標を共有するクリエイター集団、BIOTOPSという活動母体があります。立ち上げてもう15年ほどでしょうか。この仲間が「日本を元気にする!ために、日本・日本人をもっと知ろう、日本の根っこから世界に向けて発信していこう」と浅草に拠点を築きました。日本食料理屋「浅草おと」はそれです。浅草寺裏手、浅草六区のつきあたり、浅草十二階のお膝元にあります。

日本酒とお出汁料理がとてつもなく美味しい日本食料理屋ですが、この1F・2Fの上、3F・4Fを自分たちの活動の工房的な場所にしようと鋭意改造中です。日曜画家のアート作品に出会う画廊『浅草画廊』も準備中ですがこの2Fに拠点準備中です。このような経緯で、浅草です。

テレビが無い時代の情報収集媒体

「一家に一台、一部屋に一台、今では一周回ってお茶の間から消えつつあるテレビ」の日本本格普及は、1964年先の東京オリンピック。ラジオの普及は1925年の関東大震災後だそうです。それより前、映像も音声もない時代、庶民の情報収集媒体は紙でした。新聞、雑誌、書籍です。さらに時代を遡れば木版、浮世絵。

「あこがれのアノ地に行ってみたい」、「未だ見ぬアノ地に行ってみたい」、「食べたことのない料理を食べてみたい」。庶民にそんな夢・あこがれを喚起していたのが、小説です。現代でテレビが旅・グルメをガンガン放送しているように、数多の小説にも日本各地を舞台に、各地の風土・文化・魅力を伝える数多の言葉が溢れています。浅草について、江戸時代、戦前、戦中、戦後、高度経済成長前まで、沢山の小説家・俳人・詩人に愛され、彼らによって様々に魅力が語られています。この「当時の魅力」をかき集めて、当時の人々の口、筆によって描かれた浅草を伝えるのが『浅草文庫』です。浅草を訪れると、ふと「何か懐かしい」という感覚が呼び起されますが、それは「当時の魅力」がそこかしこに残っているからです。

『浅草文庫』

青空文庫の中から、浅草について語る小説・詩・俳句・随筆を発掘し、まとめております。

毎朝出社打刻前15分のnote活動

毎朝出社後、打刻する前に15分noteを書く、を実施中。実際にやってみると、メール処理などがあって大変。。仕事激務時はお休みします。※「それならもっと早くに出社すれば良いのでは?」というお声に対しては、既にニア始発出社であることを言い訳併記。


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