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輝きを止めないで、愛

 中秋の名月からいく月が過ぎた。ススキや秋の虫の音を感じながら団子を食べる、といった昔ながらの事はしたことがない。
 様々なメディアによると昨年、今年、来年は3年連続満月だという。その日は毎年満月というわけでもないので、大変貴重なんだとか。
 最近では皆既月食を家族と観賞した。月はただ月のまま生きているのに、地上で黄昏ているのは我々人間だけだ。


 新月と満月に合わせて生活をしているが、上弦と下弦の月が右側もしくは左側なのかが未だに把握できていない。月に合わせて生活するとリズムが整うので、是非オススメしたい。
 因みに私は新月に歯ブラシなどの消耗品を新調し、満月が近づく頃には財布やバッグ、身の回りのものを整頓する。


 七夕で曇天の日は「2人は会えなかったね」というが、地球から見た状態であって空の上は晴れているので、宇宙では会えていると私は感じる。
 夢壊しをするようだが、人間か宇宙人かも分からない織姫と彦星なので空想の話にすぎない。


 「ペンギンは宇宙人かもしれない」というニュースの見出しを見た時、ベッドから視線を感じた。怖かったので見出しだけで済ませたがどんな内容なのか気になる。が、それ以上探らないのが独自のルールである。


 ポケットの怪物のキャラクターでは、水タイプの属性が好みで、その中でも青いペンギンが好きなので少し恐怖を感じた。小学生の頃に買ってもらった2つのそのぬいぐるみ。
 最近ではぬいぐるみを「ぬい」と呼ぶらしいので、それにあやかってみる。


 1つ目はミニぬい。東京の浜松町辺りにあり、だいぶ前に閉業してしまった大きなショップで出会った。テンションは爆上がり。弟は緑色のカメが好きらしいので一緒に買ってもらい、旅行へ行く度に旅のお供として連れて行っていた。
 ある時、大切に使っていたはずのミニぬいの頭に穴ができてしまったので、母にピンク色の糸で縫って貰った。海外アニメのように私がいない時に遊んでいたに違いない、と睨んだ。穴を空けたはずがないのにどのようにして穴が空いたのだろうか。やはり遊んでいたのだろう。

 2つ目はデカぬい。小学校中学年くらいの頃に誕生日プレゼントに貰った。箱に入っていたので、早く開けたい気持ちと、丁寧に迎え入れたい気持ちでいっぱいだった。
 四角く小さい機械をお尻にあるチャックを開けて入れ、ONにすればポワポワと喋る。故障した機械は廃棄し、今ではチビぬいと仲良くベッドに居座っている。
 今ではチョウチンアンコウを模したぬいぐるみが新たに家族に加わった。同じキャラクターだが、全て形等が異なる。

 様々なグッズを集めて並べることで幸福感を味わう人もいれば、少数あればいいという私のような人もいる。愛情の注ぎ方は十人十色。


 年に何度か断捨離をするので、その度に手放そうか迷う時がある。必要・不要で線引きをし、一度は不要エリアに入れるも思い出を駆け巡らせれば、必要エリアへ移動させる。
 今では家具からおもちゃまで、様々な物を手渡しできるアプリなどもあるので有効活用しているので利便性が良い。良い時代になったものだ。


 そのキャラクターが好きだと知っていた、当時の友だちは手紙にそれを描いてくれていたのでその手紙も大切に残している。住所は知っていても、今はもう同じ道ではない大切だった友達である。

 3日坊主で終わるだろうと思っていたゆるいエッセイ。それから1年以上経った。たくさんの下書きを保存しながらも、次々と書きたいモノが溢れてくる。今では大学のレポートに苦戦していて手につかないが、他人のエッセイやレポート、論文を目にすることで新しい発見がある。


 月のような優美で時に冷酷な天体生活をして、チヤホヤされる生活を送ってみたいものだ。今年の秋は、勉学と映像がミルキーウェイ級に美しいアニメーションで彩られた秋であった。


 餃子について、素敵な論文を完成させて卒業できるその日までレポートとぬいぐるみと共に生きていく。これからもずっと続けていけますようにと眠りにつく前に1日の振り返りと共に夜空にお願い事をした。
 


※わたしが描いたイラストです

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