【短編小説】今日の夕食は何が良い?

 食用にされるアザラシが可哀想だと泣く女。どうせあとになればけろっとして俺に聞くのだ。今日の夕食は何が良い? と。

 どうせ可哀想がるなら、豚も鶏も牛も植物も等しくそうすれば良いのに。そう思ってそのままを告げると一層のこと泣きわめく女。面倒だなと俺は心の内で舌打ちをした。ただでさえ暑くて疲れている七月に、これ以上の煩わしさをわざわざ持ち込んで来るのはやめてくれないかと溜め息混じりに言うと、ひどい、と女は俺を恨みがましい目で見た。泣くほどつらいのならアザラシのことなど考えなければ良いだけの話なのに。お前がアザラシを想って泣こうとアザラシは何とも思っちゃいない、と限りなく本当のことを言うとますます女の俺を責める視線は鋭くなる。何を言っても火に油だった。

 この感情は何なのか。同情? そんな感情で相手を好きになるほど寂しくはない。別に改めて自問しなくても分かることだ、俺がこの女を厄介なことに可愛いと思ってしまっていることは。年の割に幼い思考で、すぐ泣く幼稚な女。仕事も続かず、社会の仕組みなど理解もなく興味もない。得意なことは人を見下して自分を正当化すること、被害妄想、疑心暗鬼。一緒にいるには少々、疲れる女だ。

 俺が誰からも好かれず寂しくて仕方のない男なら話は変わって来るが、そんなことはない。俺に言い寄る女はいつでもいた。だが、大好きな彼女がいるんだと俺は女たちに告げて断り続けている。俺も良い年だ。もうそろそろ恋愛の駆け引きは飽きたし、落ち着いた家庭を築ける女と結婚しようかと考える。決してアザラシが可哀想だと泣く女と結婚したいと思っていたわけではない。しかし現実はこうだ。何処かから仕入れて来た知識を俺に提示し、それについての感想を求め、気に喰わないと泣いて俺の気を引こうとする。本人は否定するかもしれないが、俺には生憎そうとしか思えない。もうどうしたら良いのかと辟易していると、ひとつ大きく鼻をかんで女が誰に言うでもなく呟いた。

「もう、どうしたら良いの」と。

 それこそは俺がお前に問いたいことだと。いや、俺が俺自身に言いたいことなのかもしれない。一体どうして俺とこいつは出会い、俺は惹かれてしまったのかと。俺はひょっとして少し変な女が好きなのか? いや、とかぶりを振っても確信は持てなかった。

「ねえ、どうしたら良いの」

 その合間にも、女は床に座り込んだまま俺を見上げて俺に言う。そんなものは自分で考えろと言いたいところだが、そう言ったらきっとまたこいつは泣くに違いない。これについては確信があった。だから俺は沈黙した。

「私って、頭おかしいのかなあ」

 今更。そう、今更だ。俺は出会ってからこっち、おかしい奴だなと思った回数がとうに百は超えただろうと思っている。数えなくても分かるくらいだ。

「どう思う?」

 泣いて赤くなった目を乱暴にこすりながら女が俺に問う。知らん、と告げると途端に女はむすっとした表情で不満度をアピールして来る。ああ、面倒くさい。

「面倒くさいって思ってそう」

 女が俺の真実を言い当てる。頷かないだけマシだろう。俺は自分に、そして女に内心で言い、煙草に火を点けた。ガス切れに近いライターが何度も乾いた音を出す。七回目でようやく煙草に火が点いた。最初の一息を大きく吸うと、それとは反対に女がわざとらしく溜め息をついた。

「まあ良いか……」

 自己完結したのならばそれで良い。良かった。俺は心の底からそう思い、存分に煙草を堪能した。

「ねえ、今日の夕食は何が良い?」

 女はやはりけろっとした顔で俺に言ってにこりと笑った。

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