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【エッセイ】日常生活に住む人々

 本当は、ずっと家にいたいに近い気持ちで私は日々を過ごしています。外出は、少しの買い物と、少しの友人に会う予定ぐらいにしたいのです。でも、そうもいきません。

 新しい環境になってから、数ヵ月が過ぎました。色々なことがあり、色々なことを思い、色々なことを考えました。数ヵ月前の自分よりは、きっと前向きになっている気がします。ただ、家にいたい気持ちが強いことは変わりありません。作家志望であることは、物語や文章を書くことが好きだからという気持ちから生まれた私の夢ですが、作家ならば基本的に家でお仕事が出来るという側面も私にとって魅力的なのだと思います。社会と繋がっていたい、社会に貢献したいという気持ちはありますが、職場への通勤時間は非常につらいと私は考えているのです。

 私は混雑した電車内で立っていると、パニックめいて来ることがあります。それを警戒して、なるべく電車内では座っているようにしています。その為に、私は電車の時間より少し早くに間に合うように家を出て、駅のホームで先頭に並ぶことがあります。そうすると、電車内で座って過ごすことが出来る可能性がとても上がります。しかし、先日は先頭に並んでいた私の前に割り込みをした挙句に、私の座ろうとした座席を鞄でガードし、自分の連れの人間を座らせてしまうという人間の出来事に遭遇しました。自分自身も座っていました。私は他の座席に座れたのですが、朝からものすごく嫌な気持ちになってしまいました。ひとの行動に正解と不正解、善と悪を付けることは困難ですが、思いやりを忘れずにいたいです。

 電車内に設けられている優先席ですが、精神がつらい時にも座って良いのかいつも悩んでしまいます。いま現在は「ちょっと電車つらいな」という気持ち程度だから優先席に座るのは良くないかもしれない、けれども、この後に電車が混雑して来ると「座りたい。むしろ電車を降りたい。なにを考えて良いか全く分からない。つらい」といったような気持ちになるだろうから、いまの内に座っておきたい。そう考えて、私は優先席に座っている時もあります。

 けれど、精神状態というものは身体状態とは違って、見た目では分かりづらいものです。「パニックを起こす可能性があるのでここに座っています」と札を掲げるわけにもいきません。一方で、ご年配の方、杖を付いた方というのは見た目で「大変そうだ」ということが分かりやすく、優先席に座っていても違和感はありません。私はご年配でもなく杖も付いていないのに、ここに座っていて良いのだろうかと、優先席に座っていると悩んでしまいます。

 私は、優先席ではない、通常の座席に座っていることもあります。ただ、優先席の方が三人席の端に座れることが多く、視界に見えるひとの数も少ないので気持ちが楽なのです。通常の座席だと、座席数が明確ではないように思えて何処に座ったら良いかということや、ひとのすぐ隣に詰めて座るべきなのかということについて悩むということ、視界に見えるひとの数が多くて気持ちがつらいことなどがあります。でも、そういった私の気持ちは我が儘なのかなと思うこともあります。なにをどう考えて、どう行動すれば良いのか、電車については良く分からないのです。

 ヘルプマークというものがあることは知っています。それをバッグに付けておけば、私が優先席に座っていても違和感を覚えられずに済むかもしれないと思ったこともあります。しかし、私は怖いのです。ヘルプマークを付け、私は周囲に配慮をお願いしないとならない人間ですと主張することが、とても怖いです。私個人に限ったお話ですが、自分は弱者であると主張することで、被るかもしれない害の可能性を非常に強く警戒してしまうのです。電車内も世界も、優しい人間だけではありません。世の中のニュースを読んでもそうですし、先日の私に起こったように順番に並んでいる列に割り込みをして来る人間もいます。そういったひとたちも、見た目では分からないのです。心の内が見えない人間という生き物の中に、ヘルプマークを付けて行くことは、私は無防備になるようでとても怖いのです。

 私の考え過ぎなのかもしれません。けれど、電車内やヘルプマークに限ったお話ではなく、昨今の世情を見ていると、自分の身は自分で守らねばならないと思ってしまうのです。私のことを助けてくれる友人はいます。でも、誰しもが私の友人ではありません。優しい他者もいることは分かっているつもりです。でも、誰しもが優しい他者ではありません。ひとに期待し過ぎると自分自身がつらい思いをすると、私は思っています。

 けれど、私は、ひとを救うのはひとだと思っています。ひとの優しさ、あたたかさ、慈しみ。とても尊いものです。私も優しい人間になりたいと思っています。私に出来ることは多くありませんが、ひとの気持ちに寄り添える人間になりたいです。そのように近頃、強く思います。

 お話は少し変わりますが、最近、エッセイ漫画を多く読んでいます。学ぶことが多くあります。また、社会福祉についての漫画を読んだり、社会福祉に従事している方のお話を聞かせて頂いたりしています。ひとが、ひとを支えている。その現実を改めて私は認識しています。私たちにとって街灯の明かりが心強いことも、ひとがその明かりを灯してくれているから受けられている恩恵です。そういった日常生活のことを、私はこの頃、良く考えるのです。

 私たち皆が、羽ばたける世界であってほしいと思います。

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