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【日記】旅立ちの季節に歩みを変える

 三月、旅立ちの季節がやって来ました。私は、いままでいた場所を去り、休息期間に入っています。また辞めてしまった、という思いはあるのですが、体調が思わしくなく、体調の回復を優先しました。

 辞めてしまった、諦めてしまったという思いから生じるつらさや後悔はありますが、いまは「休めている」という安心感の方が強いです。回復が進んで行くと、後悔の思いがいまよりも強まるのかもしれません。あの時、あの選択で良かったのかなと思い返すこともあると思います。誰にも選択の正解は分からないのです。私にも、誰にも。結果を見て、あれで良かったのかもしれないと思うことは出来ても、それが正しかったのかは神様にも分からないと私は思っています。だから私は今回の選択の正解を知ることは生涯、叶わないと思っていますが、それでもいま得ている安心感を大切にしたいと思っています。

 歩行時のふらつきやめまいはおそらくストレスから生じているものではという医師の見解がありました。私も、そうだと思っています。前述した場所を去ってもまだ症状はありますが、もし自律神経が疲労しているとしたらすぐには治らないと思うので、通院しながら様子を見ようと思っています。念の為、耳鼻科にも行く予定です。

 近頃、スマホが常に充電器に差しておかないとほとんど使えなくなって困っています。外出時はモバイルバッテリーに繋いでいます。まだ二年間に届かないくらいの使用期間なのに、電池がへたってしまったのかなと思っています。私の近頃の状況はこのスマホのようなものだったのかなと、ふと思いました。常になんとかして充電しておかないと、歩くことすら疲れてしまう日々だったのだろうと思います。だからいまはきっとこれで良いのです、私の生活は。

 人生ドロップアウト。しかしながら、またその言葉が私の頭の中を巡ります。以前に人生ドロップアウトについて触れたエッセイである「過去のブランク、未来の約束」を書いたことがありますが、ここに私の思いは戻ってしまいます。

 人生という長いような短いような時間の中で「辞める」「諦める」ということが、私はとてもつらい思いを抱えての選択になりがちです。大抵、体調を崩してそうなるので、最初は安心するのです。ああ、これでやっと休める、と。けれど、少し時間が経つと、本当にこれで良かったのかなとか、また人生の途中で諦めてしまったとか考え始めてしまいます。そして、通常の日常での楽しみである、執筆や読書やゲームなどを楽しんでいて良いのだろうかという思いまでも生まれてしまいます。こういった趣味を楽しめないくらいに体調が崩れてほとんど寝ていた期間もあるので、今回はまだ趣味をおこなえている為、状態としては良い方かもしれません。それでも生じるのです。本当にこれで良いのかな、と。正解など、誰にも分からないのに。

 あの場所で出会った人々、学んだことを少し思い返す日々です。持って行っていたペットボトルの紅茶が残っているので飲んでいるのですが、その味に触れて思い出すものもあります。私も誰も悪くなどなかったのです。ただ、仕方なかったと思っています。体調が崩れれば日常生活も崩れてしまうことをもう私は知っているのだから、休むべきという選択を私はしただけのことです。それでも、少し心が苦しいのです。

 旅立ちの季節と言われる三月を休息期間として自宅で迎え、心の苦しさがあります。だけどきっと、私は少し休んだ後、ここから新たに歩き出して行けるはずです。心は苦しいけれど、絶望はしていないのです。まだ書きたい物語やエッセイが沢山あるからです。必ず作家に。その夢を諦めていないからです。これだけは諦めることは決してないと思います。

 作家の夢は、私が何度、休息期間に入って休むことを繰り返しても私の中にあります。それだけ私の思いが強いということもでありますし、執筆することが好きということもであります。また、戻って来ることを待っていてくれる夢であると思っています。私が諦めていないからかもしれませんが、諦めていなくても時間の経過によって過ぎて行ってしまう夢もあると思うのです。けれど、作家になるという夢はいつも私の中にあって、私と共に歩いてくれているのです。とても嬉しいです。

 ゆっくり、休んで。そしてまた、私は歩き出したいと思います。

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