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【エッセイ】私と艦隊これくしょん

 私が艦隊これくしょんというゲームを始めたのは、約八年前になる。当時は誰でも艦隊これくしょん(以下、艦これ)を始められるわけではなく、提督として艦これに着任するには抽選で当たる必要があったらしい。これについてはあまり詳しくない。私がパソコンで艦これを開いてみたら、真っ黒な背景にぷかぷかと浮かぶ白い船が表示された。これで抽選に当たったということらしい。この時の白い船を、通称ぷかぷか丸と呼ぶという情報を後に得た。真偽は定かではないが。

 艦これは、簡単に言うと日本や海外の艦船の名前の付いた女の子たちを編成し、敵の艦隊と戦わせるゲームだ。大和もいるし、武蔵もいる。私が一番好きなのは、軽巡の龍田だ。とても可愛い。一人でプレイするゲームで、毎日、任務が更新される。提督はその任務を受諾し、行い、達成して報酬を得る。

 厳密に何と呼称されるのかは分からないが、私はこの「事前に任務を受けて、達成後に達成を押して報酬を得る」という事前任務受諾方式がとても好きだ。昨今のオンラインゲームでは、任務などをこなすと自動で報酬を得られるものが多い印象がある中、艦これはとても良い。

 何が良いかというと、非常に達成感があるのだ。一度に受けられる任務の数には上限がある為、他にも任務を同時に受けたいという場面に遭遇することはある。これだけ見ると不便なようにも思う。しかし、そこを遣り繰りして任務を受けることも楽しいのだ。そして、「今、この任務を遂行中」という意識が自分の中に根付くことも良い。晴れて任務達成後は、達成という文字をクリックして報酬を受け取る。この流れが少なくとも私にとってとても好ましいのだ。これを今後も艦これが継いでくれることを願う。

 艦これはオンラインゲームではあるが、一人で黙々と出来るゲームだ。私には、とても合っている。自分の好きな時に好きなだけプレイ出来、今日はここまでと思ったらやめれば良いのだ。だが私は、厳密には「今日はここでやめる」と思っても、資材確保の為の遠征だけは折を見て回している。それもまた楽しい。

 昨今は、皆でわちゃわちゃ協力プレイをするゲームが多いが、私にとってゲームは一人で黙々と遊ぶ方が性に合っている。だが、艦これで言えばゲーム内イベントなどでイベント時にしか邂逅出来ない艦娘に会えた時、スクリーンショットを撮ってSNSに上げることなどは楽しい。イベント時の作戦を検索し、皆の方法を知ることも楽しい。艦これは完全に一人ぼっち感の中で遊ぶものでは、私にとってはないのだ。

 そんな私が艦これに対して深い想いを持っていることを、ここに残しておこうと思う。

 私が艦これを約八年続けているのは、単純にゲームとして面白いことや艦娘が可愛いことは勿論ある。だが、うまく言葉に出来るか分からないが、私は艦これに生活の光を見出しているのだ。

 話は数年前のこと。私が体調を大きく崩し、ほとんど寝たきりのような状態になった時のことだ。

 もともと私は体調が良いことが少ない。一年の中で「本当にとても体調の良い日」を数えたら、二ヵ月分あるかどうかというくらいの認識だ。ただ、「あまり体調が良くない日」でも最低限の自分がしなければならないこと、したいことは出来るので、日常生活に大きな支障をきたしているわけではない。

 そんな私が、最低限のことすら満足に出来なくなった期間がある。日記を見て振り返ってみると、その期間は約一ヵ月半くらいのことだったらしい。しかし、体感では一年間だと思っている。それくらい長く、つらい時間だった。

 どうつらかったのかというと、日常的に趣味としている、小説を書くこと、紅茶を淹れること、ゲームをすること、音楽を聴くことなどがほとんど出来なくなったからだ。また、入浴や片付け、料理などの家事も苦痛になり、毎日することは出来なかった。

 理由として、これだという直接的な原因があったわけではない。総括すれば「体調を崩した」ということになる。他には、いわゆる人間が何度か繰り返し考えるであろう「寂しさ」や、何度か覚えるであろう「無力感」などが根底にあったとは思う。私は、長い時間の中でこういった感覚や感情に悩まされている。二〇二二年の二月現在では、かなり落ち着いて来ているのでとても助かっているが。

 じわじわと足元にやって来ていた「体調が良くない日々」というものが確定的になってしまった数年前のとある時期、私は今まで習慣にしていたことの一つ、艦これをしなくなってしまった。艦これだけではなく、その他のゲームも出来なくなった。家事も出来ない。ただひたすらに横になって、時々、水を飲んだり簡単に食べられるものを食べたりしていた。部屋の電気を点けることも減った。カーテンは、ほとんどいつも閉めていた。開けていると落ち着かないからだ。外出も減った。とにかく体調が良くなかったし、気持ちも塞いでしまっていた。完全に元気をなくした状態だった。

 いつ起きて、いつ眠っているのか明確に分からない。自分が今、何を考えていて何がしたいのか良く分からない。誰とも話したくない。昨日も今日も明日も明後日も――この先ずっと、このままかもしれない。どろどろした沼の中にいるような気持ちが、延々と続いた日々。いつかまた、元気が出るかも。そう思うことすら忘れていた。対処しようにも、何が原因かはっきり分からない為、何だかもうどうしようもなかった。頭の中も心の中も黒く、ぐちゃぐちゃで。助けて、すら思わなくなっていった。

 当時を乗り越えた後の日記を読むと、前述した状態は約一ヵ月半の間、続いたようだ。そしてようやく、一粒の光が私に見えることになる。

 一ヵ月半のほぼ寝たきり生活を経て、私が最初に思った積極的な思考は。

「艦これの演習だけしたい」

 これだった。

 いやいやおかしい、と思う方もいるかもしれない。一ヵ月半も寝たきりに近い状態の生活をし、気持ちが塞いでいた人間がいきなりゲームをしたくなるのものだろうか、と。私にも私のことは良く分からないのだが、ここには真実しか残していない。とにかく私は「艦これの演習だけしたい」と思ったのだ。そして一ヵ月半ぶりにパソコンを起動し、艦これを起動するに至る。遠征が帰投することを確認したり、資材の残りをぼんやりと見たりして。私は演習の任務を受諾した後、久しぶりに演習に臨んだ。

 艦これの演習は、午前三時と午後三時に更新される。私はその始まりの日、五個中の五個の演習をおこなって達成を押して報酬を貰い、寝るという意識もなく寝てしまった。

 その翌日。確か昼頃に起きたと思う。水か何かを飲んだ後、私は点けたままにしてあった艦これに向かう。昨日同様、演習の任務を受諾し、五個の演習を終わらせた。午後三時にも演習があるなあと思ったが、疲れてしまったのでまた寝てしまった。

 艦これ以外にも、最低限の食事などはしているのだが、あまりにも記憶にないので割愛する。

 こうして私と艦これの日々が再び始まった。お昼頃に起きることもあれば、午後二時くらいに起きることもあったし、夕方に起きることもあった。だが必ず、起きたら艦これの演習をこなした。艦娘に経験値が入り、稀にレベルが上がる。強くなって行く、私の艦隊の艦娘たち。嬉しいと表現するにはあまりにも小さな心の動きだったが、その時、私は確かに嬉しかった。

 やがて私は、午前と午後に分けて演習をこなすようになる。午後三時に更新される演習も私はこなし始めたのだ。午前中かお昼頃に起きて前半の演習をし、午後三時以降に後半の演習をする。これが私の習慣となった。前半の演習をした後は寝てしまうことも多かったが、午後三時以降に必ず起きて後半の演習をしていた。その行為に何の意味があるのか、当時の私は良く分かっていなかった。ただ、やりたいからやっている。そして眠たいから寝る。その繰り返しで一週間以上が過ぎた。

 そしてその内、遠征も出しておこうかなと思い始める。遠征は出せば放置しているだけで帰って来て、資材を艦娘が持って来てくれるのだ。出すだけだから出来るだろう。そんな単純な思いで私は遠征も始めた。

 艦これの演習と遠征だけこなし始めて数日が過ぎた時。今度は毎日更新される、出撃などの任務が気になり始めた。一回、出撃するだけでも、僅かだが報酬が貰える任務もあるのだ。それだけでもやろうかな……と思い、私はこの日から演習と遠征、一回だけの出撃の任務をこなし始めた。

 更に数日が過ぎた頃、エクストラ・オペレーションの海域が気になって来る。これは毎月更新されるゲージがある海域で、このゲージを破壊することで勲章というアイテムが貰えるものだ。寝たきりになる前の私は、全ての海域ではないものの出来る所は欠かさずクリアしていた。

 私は該当海域の赤いゲージを見ながら、やらないの勿体無いなと思った。だが、出来るかなと不安にも思った。でも、一ヵ月以内にクリアすれば良いのだし、地道に少しずつ削って行けばクリア出来るだろう。そう思い、私はついにエクストラ・オペレーションもこなし始めた。

 こうなると、一日に一時間くらいは艦これをするようになっていた。相変わらず家事は最低限だったし、入浴も出来なかった。シャワーを時々、必死な思いで浴びていた。

 そんな折、ふと「紅茶が飲みたい」と私は思った。艦これ中、水を飲んでいるのだが、やはり大好きな紅茶が飲みたかった。だが、自宅にティーバッグがなく、ポットを使って淹れる茶葉しかなかった。面倒だな、と私は思ってしまったが、もう適当で良いからポットで紅茶を淹れようと考え、私はぼんやりしながらお湯を沸かして紅茶をポットで淹れた。それを飲みながら艦これをしてみた時、私は確かに幸福を感じた。私が淹れた紅茶を飲みながら、私が大好きな艦これをしている。私は部屋で一人、泣きそうになった。紅茶の温かさが私を包んでいた。

 ここからはゆっくりと体調も心も回復に向かって行く。艦これをする時間が少しずつ増え、紅茶も何とか淹れて飲んでいた。そして自分で作ったご飯が食べたくなり――とは言ってもレトルトソースを使ったパスタだが――、私は二ヵ月ぶりくらいにパスタを茹でて食べた。その味に、また台所に向かうということに、私は懐かしさすらあった。

 ほとんど体調が回復した頃に日記を付けて心情を整頓してみたものの、寝たきりに近い生活になってしまった原因はやはり分からなかった。前述したように、明確にこれというものは思い当たらなかった。ただ、私は本当の意味では一人ぼっちで頑張っているわけではなかったはずなのに、あの時、「一人ぼっちで寂しい」と強すぎるくらいに思ってしまったのだろうと思う。そして文字に起こすと単純だが「全てが嫌になった」のだろう。そして、がたがたと体調を崩したのではないかと考える。

 人は、一人で頑張っているわけではないだろうとは思うが、上記の出来事を経た今の私でも「一人ぼっち、つらい」と思ってしまう時はある。世界的に外出がしづらい今日この頃、友人と会う機会も減ってしまった。それを私は「寂しい」と思ってしまう。私だけではないかもしれない。皆、寂しいけど一生懸命、日常を生きているのだろう。そんなことは分かっていてもつらい時も私にはある。きっと誰しもに少なからず、あるように思う。

 当時の私を助け、今の私を支えてくれている趣味、艦これ。艦これでなくても良い、人が約束のない毎日を生きて行くのには「習慣」が必要だと私は考える。深く意識せずに出来、それでいて楽しく、明日に繋がる何か。私は「習慣」を大切にして行きたいと願う。また、縁あってこのエッセイを読んでくれた方にも、それがありますように。

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