【掌編小説】声 to 声
良く晴れた夏の暑い日に、ぴこ、と音が鳴ってメッセージが届いた。それは私が登録していたアプリからのお知らせだった。新着メッセージの文字をタップすると、一人の男性からの短いメッセージが表示された。
「プロフィール拝見して、お話してみたいなと思いました。良かったらお返事下さると嬉しいです。」
良くあるテンプレートみたいなメッセージだなと私は思った。差出人の名前はツキ。ツキという人に対する私のファースト・インプレッションは、さして良くなかった。
それでも、そのメッセージに返信を書いたのは、正直に言うと暇潰しだった。いや、もっと正直に言えば私は寂しかったのだ。誰でも良いから私の話を聞いてほしかった。特別に何かに悩んでいるとか、そういうわけではなかった。
ただ、ささやかに密やかに私の言葉を聞いてほしかった。私の日常、私の趣味、おすすめのおいしい物。そういった、本当にささやかというか、人によってはくだらないと一笑に付されるであろう言葉達を。
私の返信に対して数分でツキからの返事は来た。
「お返事ありがとうございます。是非、お話しましょう。いつ頃がご都合良いですか?」
ぽんぽんと私はそれに返事を書いた。
「こちらこそありがとうございます。今でも大丈夫です」
その五分後くらいにアプリを通して私にツキから電話が掛かって来た。
「もしもし」
「もしもーし」
昔からの言葉で私達は第一声を交わした。
「お返事ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ」
私はスマホの画面を見ながら答えた。
ツキという男性のアイコンは、にこにこした男性のイラストだった。
「いま、何してたんですか?」
「んー、良く晴れてるから洗濯しようかなあ、どうしようかなあと思ってました」
「お洗濯、良いですね」
「あはは」
洗濯の何が良いのか、さっぱり分からない。私は家事が嫌いだ。出来るなら家でお茶を飲んでゲームをして、買い物にでもふらふらと行きたいのだ。そして時々、こんな風に誰かと話がしたいだけだ。
「あのアプリ、良く使うんですか?」
「あんまり使ってなかった。登録して、ちょっと喋って、放置してありました」
私はツキの質問に嘘偽りなく答えた。
「俺は結構使ってたんですけど、まあいろんな人いますよね」
「うん。私はちょっとしか使ってないけど、変な人もいたもん」
「ねー、そうだよね」
「うんー」
ちゅんちゅんとスズメの鳴き声が網戸の向こう側で聞こえた。もう夏も終わりだ。蝉の鳴き声は聞こえて来なかった。太陽の暑さだけが季節の忘れ物のようにギラギラと残っている。
「普段、どんな時間帯が話しやすいですか?」
「私? そうだねー、夕方とか夜とかかな。ただ、たまに仮眠しちゃってる時あるんだよね」
「そうなんだね。俺は夜が話しやすいかな。今日は休みだけど、リコちゃんも休み?」
「うん、休みー」
「お休み、良いよね」
「ね」
空を見上げていたら、またスズメがちゅんちゅんと鳴きながら視界を横切って行った。鳥は自由で良いな、などと考えても仕方ないことを私が考えていると、ツキが言った。
「趣味って聞いても良いですか?」と。
「お茶淹れて飲むのが好き。紅茶が一番好きだけど、緑茶とか焙じ茶も好きだし、コーヒーもたまに飲むよ。あとはゲームしたり」
「あ、俺も紅茶好きだよ」
私はツキのその言葉を、話を合わせる為の方便だと思ったのだが、どうやら本当に紅茶が好きなようだった。
「この時期だと水出しもおいしいよね。味をしっかり楽しみたいならお湯で抽出した方が良いかもだけど。最近はティーバッグにテトラタイプあるから、ティーバッグでも味が出やすくなってる気がするな。リコちゃんは何の紅茶が好き?」
「飲みやすいのはダージリンかなって思うけど、セイロンのミルクティーが好き。チャイも好きだから、手鍋で良く作るよ」
「お、詳しいね。チャイは甘いの飲みたい時にぴったりだよね」
「うん。ツキさんも詳しいね」
「好きだからね」
「うん、私も好き」
紅茶が、とお互いに言外に含んでいるはずなのに、私はその「好き」という言葉をまるで恋の言葉と錯覚してしまいそうだった。疲れているのかもしれない。
そう、私は疲れているのだ。体も、心も、全て。だからこんな通話アプリなんてインストールして、プロフィールを登録して、デタラメな名前で顔も知らない誰かと話をしているのだ。
部屋に入って来る太陽の光の明るさとは裏腹な場所で、私はそんなことを思った。
「昔ね、ファミレスにハーブティーがあってね。赤い色の。おいしかったんだけど、ファミレスがなくなっちゃって飲めなくなってしまったんだよね」
「赤い色か。ローズヒップか、ハイビスカスかな?」
「んー。そんなすっぱくなくて飲みやすかったんだよね」
「オレンジとかブレンドしてあったのかなあ」
「どうだろう。もう謎だけど。飲みやすいハーブティーを探している今日この頃です」
「ハーブティーも良いよね、ノンカフェインだし」
「そうそう。寝る前にも安心して飲める」
「ねー、そうだよね。俺のおススメのハーブティー、教えてあげよっか」
「うん、教えて!」
私達二人は他愛ない話を三十分くらいしていた。それは日常的でささやかである会話で、私の望んでいたものだった。
やがて会話が一区切りして互いに黙った時、ツキが言った。
「俺、そろそろ出掛けないといけないんだ」と。
それを少し名残惜しく思いながら、私は「そっか、じゃあ」と言った。
「あ、待って。もし良かったらお気に入り登録してまた連絡しても良い?」
ツキはそう言って、私の返事を待つように黙っていた。
「うん、是非。私も登録しておいて良い?」
「うんうん。また話そうよ。俺、リコちゃんの声とか話し方、好きだなー。明るくて元気で」
「ホント? ありがとう」
「うん、ホントだよ。じゃあ、また連絡するね」
「うん、分かった。じゃあ、またね」
「またね」
そこで通話はぷつりと途切れ、部屋には私一人だけになった。
否、元から私は部屋に一人だ。こんな広い部屋に一人でいたって、持て余すだけなのに。そう思いながら私はスマホを床に置いた。ごとり、と思ったより大きな音がしたが私は特に気にすることなく網戸の向こう側を眺める。青い空、白い雲が広がり、室内には陽光が差し込んで来ている。日当たりの良い部屋を選んで正解だったかもしれない。今日は洗濯物が良く乾きそうだ。
私は思い切って立ち上がり、一つ大きく伸びをした。そして一人分の洗濯物を洗濯機に洗って貰うべく、ぺたぺたと足音を立てて移動した。
今日も退屈な一日が始まる。
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