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【短編小説】窓のない部屋

  自室に窓がない。否、厳密に言えばひとつある。だが、それは嵌め込み式となっており、内側からも外側からも開かない仕組みとなっている天窓だ。物件の下見の時点で分かっていたことだった。だが、割合に最寄り駅が近く、そして家賃が安いことから、私は当面の住居としてそこを選択した。その選択に後悔はない。私は少しでも多く貯金をし、安心を得たかったので、生活に掛かる費用は削れるところまで削りたかったのだ。

 自宅を、開く窓のない部屋と決めた時、私の脳裏に浮かんでいたのは「洗濯物を外に干すことが出来ない」ことと、「窓の開閉による換気が出来ない」ことのみであった。また、それくらいはさしたる問題ではないと思っていた。

 しかし、一週間も住んでみればもっと切迫した問題があることに気が付いた。それは、精神的な圧迫である。窓が開けられない部屋は閉塞感を強くもたらすということに私は気付かされたのだ。



 東京に来て最初に強く認識した感情は、さびしいということだった。こんなにも人が大勢いるのに、私のことを知る人はただのひとりもいないのだ。

 栃木県の田沼町を故郷とする私の友人は、その多くが今もそこに住んでいる。ある友人はそこで仕事をし、ある友人は家庭に入り、ある友人は実家で暮らしている。

 私は、家出も同然でここに来てしまったがゆえに、最早、故郷と呼ぶべき場所を自ら失わせてしまったかのようにも思う。親しい友人が多く住んでいる田沼の町が懐かしく思えることは、こちらへ来てから現在までの僅かな間の中で幾度もあった。正直に言えば、家族は今日、どんな風に過ごしたのだろうと思わないこともなかった。だが、私は学生の頃から憧れ続けた「東京」という街で住む場所を見付け、仕事を見付け、お金を貯めたかった。その行き着くところに何があるのか、学生の時分にはおそらく良く分かっていなかっただろう。それが今なら分かるのかと聞かれても首肯出来ないが、いずれは掴み取ることが出来るだろう。きっと。

 幸い、住む場所も仕事も割合にすぐ見付けることが出来た。私は今、特に理由もなく経理事務の仕事をしている。この頃は会計ソフトなどという便利なものはなく、日々の仕訳から試算表、決算書の作成までの全てが手書きによるものだった。商業学校を出た私は一応、簿記の二級を持ってはいたが実務経験はゼロであり、やはり勉強をしたとは言え、実際に仕事として取り組んでみると行き詰まることもしばしばあった。

 基本的に経理の仕事というのは、その日にどのような取引があったかを記録することである。こう書いてみると単純至極のような印象を受けるかもしれないが、実際は少なくとも簿記三級程度の知識はないと、自分の頭で判断して経理の仕事をしているという充足感は得られないかもしれない。取引が生じた時、その表面上、目に見えている数字や勘定科目を並べるだけの単調、かつ、つまらない仕事と化し、また、その取引や数字が自社にとってどのような影響を与えているのかという深層を知らずに経理をこなしてしまうかもしれないという、雇用側にとってもリスキーな事態を招きかねない。その点では、私は一応とは言え資格を持っているので、雇用者としてはある程度の信頼は寄せてくれたのかもしれなかった。

 だが、そのせいなのか単に多忙なのかは分からないが、いわゆる指導してくれる人間がただのひとりもいなかったことは私にとって大きな困惑となった。初めて社会人として、正社員として働き始め、経理という仕事の概要や勘定科目などは分かっているつもりでも、会社によって独自の仕訳をしていたり補助科目を作成していたりする。多少、専門的な話になってしまったかもしれないが、とにかく、経理事務をその会社で務めて行く上でそれに関して細々としたことを教えてくれる人間、判断に困った時に尋ねることの出来る人間がひとりもいなかったことはとても心細かった。

 それでも、仕事だ。私はそれによってお金を貰う立場だ。そして私の判断が間違えば、最終的なところ――決算書によってもミスが生じ、納税の際に重大な事態を招くことも会社の損失となることも有り得る。

 しかしながら、何しろ判断を仰げる人間がいないのだから私の間違いに気が付くことの出来る存在は他ならぬ私しか、少なくとも今はいないのである。自分だけが頼りだ。私はそう言い聞かせ、言い含め、日々の仕事をこなしていった。繁忙期ではなかったことが幸いだった。

 仕事は、いつしか慣れるだろう。もしかしたら間違う時もないとは言えない。だが、それを恐れては何も出来ず、そのあまりに出来るはずのことまで間違ってしまったら目も当てられない。当面、留意しながらこなしていくしかないだろう。私は早々にそのようにして割り切りを付けた。

 だが、いつしか慣れるだろうと、割り切ることの出来ない事柄もある。窓の問題だ。まさかこんなにも閉塞感を、圧迫感をもたらすとは夢にも思っていなかった私は、ここに住み始めてそろそろ一ヵ月が経つという頃の時点で、既に引っ越したいという独り言が心内で洩れるようになっていた。朝、起きても。夜、帰っても。開く窓のない部屋に住んでいるという目に見える現実は当然のように決して変化することがない。



 ――やがて、だんだんと仕事にも慣れて行った私は、そういった面では少しばかりだが余裕が出て来るようにはなった。簡単な間違いは早々起こさなくなったし、もしも起こしたとして、仕訳の段階で修正の利くものには早くに気が付き、正せるようになった。勘定科目の意味は勿論、借方と貸方、資産と負債の仕訳、減価償却の意味も理解し、顧問税理士との打ち合わせにも上司共々、参加した。

 十二月が決算期となるその会社で十一月を迎える頃、月々の決算書を問題なく作成出来るくらいには、私は自他共に認めるほど経理事務のポストで成長をしていたのだ。それは会社にとっては有益なことであり、私にとっても自信と安堵に繋がることだった。何しろ私の他に経理事務を担う要員がいない為、それに関する些細な事柄ですらなかなか尋ねられない環境にあったことが相当の不安とストレスの原因であったのだ。しかし、自らの知識を総動員し、また、多少ではあるが顧問税理士の好意によって質問を受け付けて貰うことも出来るようになった為、私は徐々にではあるが確実に経理に必要な知識や判断力を身に付けて行ったのだ。

 だが、反面、私はうっすらとだが気が付いていた。心の内側で車輪が軋むような音が聞こえることに。それは日々、本当に少しずつではあるが音を大きくし、私の表面に顕れようとしていた。そんな気がしていた。

 それでも会社は休むわけにはいかない。あの会社に、経理事務の出来る人間は私ひとりきりしかいないのだ。特に今は決算を控えた大事な時期だ。過去の仕訳の確認や、減価償却の計算、決算書の作成と確認、他諸々の提出書類の作成など、すべきことは沢山ある。加えて、日々の仕訳、入出金の処理、預かり金の精算などもある。それでなくとも現代社会において「会社を休む」ということは良しとされない。慶弔を除き、社会人として不適格とみなされる。それがたとえ、風邪であってもだ。体調管理不足ということで前記と同様だ。そういうことが私は社会に出て約八ヵ月を経て分かり始めていた。



 会社も、私も、現実も止まらない。規則正しくではなくとも、毎日は整然と廻り続ける。そこから外れた者は現実の外側で、それの流れ行く様を眺め続けるか、流れの余波に踏み潰されるしかないのだ。いつしか私はそのように考え、それは時として強迫観念のようになってはしばしば私を襲い、心の内側から私自身を苦しめた。

 そんな折、ひとりの友人から電話が掛かって来た。携帯電話の液晶に浮かび上がった名前は、高崎《たかさき》怜《れい》。高校でのクラスメイトで、私が東京に憧れ続けていたことを知る数少ない人物だ。同時、私の東京行きをひどく心配してくれた存在でもある。肯定も否定もせず、ただ、心配してくれていた。私は、そんな友人にですら何も告げず、三月に高校を卒業して一週間と経たない内に東京行きの電車にひとり乗って故郷を去ってしまったのだ。私が今、ここにいることはほとんど誰も知らないだろう。厳密に言えば、この「東京」という街のこの住所に私が住んでいることは、私以外、誰も知らないのだ。

 ぴぴぴ、という連続する三音の組み合わせが三度鳴ったところで私は携帯電話の通話ボタンを押し、少しの躊躇いの後、本体をそっと右耳に押し当てた。もしもし、という一体いつの時代からお決まりになったのだろう、通話の始めの呼び掛けが機械を通して私の内耳の奥底に静かに沈むようにして聞こえた。それは紛れもなく私の友人、高崎怜の声だった。久しぶりに聞くその声に思わず私は言葉を失い、代わりに微かな唾液を音もなく飲み込んだ。その時、私は他にも何か正体の分からないものを飲み込んだように思う。もしもし、という声が先程よりも幾分か訝しげに聞こえた。私は小さく息を吸い込んでから、それと同じ言葉を機械越しに返した。

「もしもし」

「深里《ふかざと》か?」

「そうだよ。誰だと思って掛けていたの」

「いや、無言だったからさ。話していて大丈夫か?」

「うん」

「何か元気ないな」

「ちょっと、声を抑えているだけ。コーヒー、飲みたくなったから外に出るね」

「家にいるのか?」

「うん」

「家だと、まずいのか。誰か来ているならまた今度、掛け直すよ。寒いだろ、外」

 私はその言葉に曖昧に答えながらコートを着込み、ポケットに五百円玉一枚と家の鍵を入れる。互いがぶつかり、かちゃりという音がポケットの底で鳴った。ショートブーツに足を入れ、とんとんと履き慣らし、玄関扉を開けて閉める。施錠する。

 不意に私は、ほっと溜め息をついた。それは寒さから生じるものではなかった。それは明らかに安堵の、安息の溜め息でしかなかった。白い、息。静かに階段を下りる。

「深里?」

「うん?」

「外に出たのか?」

「うん」

「大丈夫か、寒くないか?」

「大丈夫。ちょうどコーヒーを飲みたかったの、自販機の。だから気にしないで」

 吐く息は白く、見上げた空は灰色と白の入り混じる、ひどくさびしく無感動な色に染め抜かれていた。アパートを背にして私は近くの公園へ向けて足を進める。その間、高崎は一言も発せず、黙りこくっていた。それは私も同じことだが。

 一分か二分くらいだろうか、それぐらいの時が過ぎた後、高崎がぽつりと降り始めの雨のように言った。元気か、と。それに返す言葉を私はすぐには見付けられず、連動するかのように私の足が止まった。冷たい冬の空気が私を押し包む。

「元気だよ」

 やっとの思いで私はそれだけを言い、再び歩き出す。自販機を備えた公園はすぐそこだった。

「ずっと、気になっててさ。だけど、聞いて良いか分からなかった。誰にも言わずに消えるようにいなくなってしまった深里のことだから、こういう風に構われることが嫌なんじゃないかと思ってたから」

 それは当たらずとも遠からずと言ったところだ。両親にも最後まで東京行きを反対され続け、元々、不仲と言っても過言ではないその環境に好い加減に辟易していた私は、いっそ私のことを誰も知らないところで生きてみたかった。それがたとえひどく苦しく悲しくあったとしても、どこであっても、ここよりはきっとましだと思えたのだ。そして、そういった決意は誰に告げるべきでもないと私は思っていた。口にすれば、それはたちまち嘘めいてしまうような、熱を失ってしまうような、そんな気がして。

 だから私は本当に誰にも何も告げず、故郷の田沼町を飛び出すようにしてここへ来た。この、「東京」という場所へ。ここで私は春と夏と秋を過ごし、今はこうして冬を過ごしている。ポケットに入れたままにしていた片手に五百円玉を握らせ、自販機に投入する。あたたかい缶コーヒーと釣銭が落ちて、思いの外、大きな音が響いた。それは携帯電話の向こう側にまで伝わったようだ。

「コーヒー、買ったのか」

「うん」

「好きだったよな。自販機でさ、コーヒーを買うの」

「今も好きだよ。こうやって時々、会社の帰りとかにここで買ってね、近くの公園で飲んだり……家で飲んだりする」

「会社、行ってるのか?」

「じゃなきゃ、生活して行けないよ。どうやって私がここで生きていると思ったの?」

 少しだけ、私は笑った。その小さな自分の声が高崎のもの同様、ひどく久しぶりに聞いたもののような気がして違和感を覚える。私は私の声を聞き慣れているはずなのに。

「何も、本当に何も言わないでいなくなってしまったから。他の奴も、深里のことは何も知らないって言う。どこに行ったのかも、何をしているのかも。ここへ、帰って来るのかどうかも」

「もう帰らないよ」

 私は公園内にひっそりと置かれている木製のベンチの表面を軽く払い、座る。そして、言った。ぎし、と冬の空気に折り目を付けるようにしてベンチが軋む。その音に私は聞き覚えがあるような気がした。同時、少し言い方がきつくなってしまったように思う。高崎は何も悪くなどないというのに。

「ずっと、そっちで暮らすのか」

「そのつもり」

「もう……帰らないのか」

 高崎は、おそらく確認の意味も込めて再び私にそう尋ねた。私はやはり、先程と同じ答えを返す。そうか、とだけ高崎は言い、またも声は途切れてしまう。久しぶりに高崎と話す私は、何をどう言葉にすれば良いのか分からなかった。それは高崎も同じだったのかもしれない。急に掛けてごめんな、と不意に思い出したような口調で高崎は言う。私はてっきり、そこで通話は終わるものと思っていた。

 だが、意に反して高崎は、私が今どうやって暮らしているのかを尋ねて来た。とは言っても、生活する為の仕事についての話ではない。私の部屋にどんな家具があって、この冬にはどんなコートを着ていて、体のあたたまるようなものを食べているかどうかとか。他愛もないことだ。けれど、すぐに分かった。高崎は私を心配してくれているのだと。故郷での折と同じように。

 私は尋ねられたことに、ひとつひとつ、簡潔にではあるが極めて丁寧に答えて行った。私は怖かったのだ。それじゃあ、と電話を切られてしまうことが。しかし、私から時間を繋ぐように話題を振ることはどうしてか出来なかった。離れていた数ヶ月のせいなのか、あれだけ気遣ってくれたにも関わらず何も告げないで東京に来てしまったことへの負い目なのか、単に敢えて話したいということはないのか。それは自分でも良く分からなかった。だから、高崎がひとつひとつ質問をしてくれることが、私はとても嬉しかった。

 気が付けば、あたたかい缶コーヒーはすっかりぬるくなり、缶の底に少しだけを残すのみとなっていた。結構な時間を話し込んでいたのかもしれない。遠く遥かの上空に、メレダイヤのような銀色を放つ小さな一番星が私の視界に映り込んだ。

「何だか、話し過ぎたかな。悪い、そろそろ切るか」

「……うん、そうだね」

「迷惑だったかな」

「そんなことないよ。嬉しかったよ。ここに来てから私、ほとんど誰とも喋っていないから。ああ、仕事以外でね」

「こっちに友人、いただろう。電話とかメールとか、してないのか?」

「うん。黙って来てしまった申し訳なさもあるし、それに……」

「それに?」

 自分でもそれと分かるほど不自然に途切れてしまった言葉の先を促される。だが私は結局、その続きを喉の奥底に飲み込んだ。

「何でもない。今日はありがとう。本当に、嬉しかった」

「こっちこそ、寒いのに外に行くことになってごめんな。でもさ、その」

「その?」

 今度は私が言葉の続きを促す番だった。数秒の沈黙の後、高崎は幾分か遠慮を滲ませた声で言った。

「また、掛けても良いかな。メールでも良いんだけど」

「電話の方が嬉しい。今度は私から掛けるよ」

 こうして、東京に来てから初めての旧友との電話は終わりを告げた。ボタンひとつで途切れる電波の行く先で、高崎も同じ空を見ているだろうか。あの星が見えているだろうか。この冷たい冬の空気を感じているだろうか。私と話した言葉、ほんの一部でも、脳裏で思い返してくれているだろうか。私のように。

 私は残っていた缶コーヒーを飲み干し、ダストボックスに入れる。からん、と乾いた音がした。寒気に染まった携帯電話をコートのポケットに入れて私は歩き出す。窓のない部屋へと。もう、心の内側で言う必要はないだろう。厳密に言えば窓がないのではなく、天井に嵌め込み式の天窓がひとつはあるのだ、と。内側からも外側からも開かないその窓は最早、私にとってそうとは呼べない代物になっていた。今日も私は窓のない部屋に帰るのだ。





 ――冬は深まり、十二月が訪れた。私は相も変わらず会社に行き、経理事務の仕事をこなし、家に帰っている。あれから、高崎からの電話はない。メールもない。メールより電話の方が嬉しいし、私から掛けると言ったのだから私がそうすれば良いだけの話だ。もしかしたらそう告げた私に気を遣って高崎は連絡して来ないのかもしれない。

 そう思いながらも私は帰宅した部屋の中でひとり、携帯電話のサイドボタンを押して背面ディスプレイを点灯させる。そこにはいつものようにデジタル時計が無機質に表示され、それは明かりの点いていない部屋で怖いくらい不気味に浮かび上がった。約十秒程で消え失せ、部屋は元のように暗くなる。気のせいか、それ以前よりも辺りが静かになったような感じがする。本当に、気のせいなのだろう。

 近頃の私は、きっと少し疲れているのだ。まるで軋轢音あつれきおんのようなものを感じてしまうのも、気のせいか思い違いだ。だが、連続した世界で既にありふれてしまった言葉ではあるが、しんとしたこの世で、私はひとりきりで生きているように思い始めてしまっていた。

 ストレス。その四つの音が実は幾度も幾度も、ここ数ヵ月の間に脳味噌の中心でぐるうりと回転を続けては私に幻を見せているような気がする。幻というのは幻覚の類いという話ではなく、私は疲弊してしまっているのだという錯覚や、何か不安や不満が強まっているのだという追い込まれるような感覚、そういうものだ。実際にひらひらと舞う蝶などが真冬の寒気に溢れた空や、果ては部屋の中で見えているわけではない。

 だが、この不可思議さを一体どうしたら良いのか、私は相当に困り果てている。これだけは本当のように思えた。何がいけないのだろう。私は自ら望んでここに来たのだ。故郷の田沼を出て、東京に来た。ずっと憧れ続けていた街へ。そして経理職に就くことが出来た。簿記の資格も持っている。貯金も僅かながら出来始めている。贅沢をしなければ月々の給料で充分に暮らして行ける。ある程度なら欲しいものも買えるし、食べたいものも食べられる。衣食住には困らないのだ。それで一体、私は何故、足元から針金で締め上げられて行くような感覚――錯覚を覚えなければならないのだろう?

「あれ」

 私しかいない部屋で私は言葉を発してしまった。紛れもない独り言である。思えば、この部屋で言葉を出したことは今が初めてかもしれない。そして、涙を落としたこともここでは初めてのことかもしれない。泣くつもりなど決してなかった。そうだと言うのにも関わらず、一度、零れ落ちた涙がすぐに止まることはなかった。

 私は明かりも点けない部屋の入り口に立ち尽くしたまま、涙が止まることを、ただそれだけを待っていた。拭う気にも耐える気にもなれなかった。人間はずっと泣き続けるということはないだろう。だから待ってさえいれば、そのうちに自然にこれは止まるのだ。冷えた頭の隅で私はまるで他人事のようにそう思考し、どこを見るともないまま視線を動かさないで、ただそこに立っていた。

 暗闇で見えはしないが、小さい卓袱台ちゃぶだいの上に置いたままにしてある懐中時計の刻む規則正しい時の音が少々、私の心に作用したようだった。静寂に押し包まれたその部屋に佇む私の涙はいつしか止まった。ああ、やはり人間の涙は放っておいてもやがて止まるものなのだと、どこか見当違いとも取れることを私は冷えた頭の中で考えていた。

 その時、部屋に明かりが生じた。携帯電話が私の片手の中で青白い光を放ち、明滅している。導かれるように右手を目の前に捧げて目線を落とすと、ディスプレイには先日と同じ名前が浮かび上がっている。高崎怜。私はひどく迷ったあげく、静かに携帯電話を開いて通話ボタンを押した。お決まりの、もしもし、という声が私の耳の奥底に投げ掛けられる。どうしてだろう、私はまた、もう少しで泣き出してしまうところだった……ように思う。

「もしもし」

「よう、久しぶり。ってほどでもないか。電話するって言ったのにないからまた掛けてしまったけど」

「うん、ごめん」

「あ、切るか?」

「違う、掛けなくて、ごめん」

「そっちか。そんなのは良いよ。ただ、元気かなーって勝手に気にして掛けてるだけだから。話していて、平気?」

「うん」

 私はそのまま、壁に背を付ける。そして、ずるずると座り込む。ざらざらとした壁が洋服と擦れる音がして、私は微かに衣類のダメージを気に掛けた。だが、それはすぐに消えてなくなる。そんなことはもう、どうでも良かった。たとえ洋服が破れてしまっても、それに思いを馳せるだけの余裕も何も私にはないだろう。壁の薄さを気にして声を抑える必要もないように思われた。元来、私はたびたび人に指摘されるほどには少し声が小さいようだし、以前の電話の時のようにある程度の覇気を以って話せるようには思えなかったからだ。

 高崎は先日の電話と同じことを聞いた。元気か、と。私はそれに頷き、元気だと答えた。そして少し、間が空いた。

「考え違いなら良いんだけど、あまり元気には思えないんだよな」

「そうかな。声を抑えているからじゃない? ここ、この家は壁が薄いみたいでね、だから小さな声で話すようにしているんだ」

「ああ、だからこの間は外に出たのか。悪かったな。今は平気なのか?」

「うん、多分。隣の人とか、出掛けているみたいだし」

 私の言葉は嘘にまみれていた。隣人が出掛けているかどうかなど私は知らないし、今日は声を抑えていると言うよりも勝手に小さくなっているだけに過ぎないのだから。そして、おそらくのところ私は元気などでは有り得ない。壁の薄さに関してだけが本当だった。

「最近、どうしてるかなと思って。特に用事ってわけじゃないんだ」

「ありがとう、気に掛けてくれて」

 それは間違いようもなく本心だった。さり気なく返事をしたつもりだったが、どうしてか言葉の終わりにまるで小さな涙のようなものがするりと滲んだように思える。私はそれを高崎に気取られていないか不安になった。

「あのさ。もし、迷惑じゃなければだけど。今度、遊びに行っても良いかな」

「え?」

「ああ、いや、深里の家にってわけじゃなくて。東京の街も見てみたいしさ。どうかな」

「うん、良いね。すごく」

「……なあ、やっぱり何かあったんじゃないのか。声が、無理をしているように聞こえるんだ。本当に、声を抑えているだけなのか?」

 沈黙が訪れる。私は咄嗟に返答をすることが出来なかった。何か、何か言わなければ。焦燥が募る。だが、不意にそれはぷつりと簡単に途切れてしまった。焦りなど、最早、どうでも良くなってしまったのだ。

 私は電話の向こうの高崎の存在すら数秒は忘れ、何も考えられなくなってしまったまま、冷たい携帯電話を緩く持って宙を見つめていた。そこには嵌め込み式の窓がいつもと同じようにあって、私を嘲笑うかのように見下ろしている。星が、幾つか見えた。綺麗なものだ。だが、私にはもういっそ目障りだった。手の届かない外など、私には必要ないのだ。

「深里?」

 高崎が私を呼ぶ声が遠い。それは、あの窓の向こう側、遥か遠くから電波に乗ってここまで飛んで来ているのだ。その自由な様子を思うと私はひどく羨ましくなった。自嘲的な笑いが音も声もなく生じる。

「あのね。私の家、窓がないんだ」

「窓がない?」

「厳密にはひとつあるんだけどね、天窓が。だけど、開かない窓だし手の届かない窓なの。椅子に乗っても届くかどうかは分からない。試したことないけど、多分、私の身長じゃあ無理かな。それでね、そのことが近頃とても憂鬱なの。手が届くかどうかじゃなくてね、実際には窓があっても開かない窓なんて意味がないように思えて。閉じ込められたような気分になるの。引っ越せば良いと思うでしょ? だけど、まだ契約したばかりだし、そんなに沢山のお金もないの。壁は薄いみたいだけれど、さほどうるさいと思ったことはないし、近所には猫がいて、可愛いの。駅も近いから会社に行くにも便利なの。でもね、私は窓を開けて外へ出て行きたいの。朝に起きても窓が開かない。夜に帰って来て玄関の扉を閉めると、もうどこへも出て行けない気がする。それでも朝はやって来て、私は玄関の扉を開けて会社に行く。だけど、もう、それが嫌なの。たまらなく、どうしようもない気持ちになるの」

 せきを切ったように私は話してしまった。こんなことを話すつもりでは決してなかった。ここに住むことを決めたのは私。今すぐには引っ越すことが出来ないのは私の責任、私の事情。ここが嫌なら、お金を貯めて引っ越せば良い。たったそれだけの話。だが、私はたったそれだけの話をいつしか受け入れ難くなっていたようだった。

 話しながら私は泣いていた。幸い、声にそれはほとんど滲まずに済んだ。しかし、その安堵もすぐに不安に変わって行く。せっかく旧友が私を心配して電話をくれたというのに、私はまとまりのない話を唐突に自分勝手にぶつけてしまった。案の定、電話の相手は黙り込んでしまった。高崎の指は通話を切るべく動いているのかもしれない。それを想像し、私は更なる悲しみと困惑に押し包み抱かれた。何故、こんなことを話してしまったのだろう。

「明後日の土曜日、休み?」

「え。う、うん。土日休みの会社だから、休み」

「俺もそうなんだ。次の土曜日、会わないか。会って話してみたいんだ、深里と。今の話もちゃんと聞きたい。会って顔を見て話したいんだ。駄目か?」

「駄目じゃない、けど。けど、こんなの話されて疲れちゃったんじゃないの。ごめん、急に自分の話ばっかり」

「聞きたくて掛けたんだから良いんだよ。やっぱり家に行って、良かったら、窓を見せて貰えないかな。もしかしたら内側から開くかもしれない」

「ううん、開かないよ。最初の契約の時、大家さんから説明されたもの。内側からも外側からも開かないって」

「それでもそこに決めたのか?」

「うん。こんなにね、息苦しくなるとは思わなかったから」

「そっか……とにかく、次の土曜日に会おう。気分転換になるかもしれない。どこかでおいしい物を食べて、それから家に行って窓を見るよ。何か、強引かな」

「そんなことないよ。うまく言えないんだけど、本当に嬉しい。もうずっと、ずっとここにいなくちゃいけないのかなって思ってたから、こうやって聞いて貰えたことが本当に嬉しいよ。ありがとう、高崎」

「改めて言わなくて良いよ、そんなこと」

 高崎は少しだけ照れたように言った。私はそのあたたかな空気に間接的にでも触れられたような気がして、私もやっと少しだけ笑えた。その後、私達は待ち合わせの日時や場所を決めて通話を終えた。

 私は、途切れた音声の先を僅かに恋しく思った。力なく下ろした携帯電話を持つ右手が床に軽くぶつかり、こつ、と音を立てる。部屋はどこまでも静かで、ひとりきりだった。ぼんやりと見上げた先には天窓があり、先程よりも星の数が増えているように見えた。微かに私は笑う。そこに自嘲はなかった。



 ――約束の日曜日、私達は東京駅で待ち合わせた。高崎は本当にやって来た。私にはどうしてかそれが少し、信じ難い出来事として自分の目に映ったことを自覚した。それが態度に出ていたのだろう、高崎は不思議そうな顔で、どうした? と尋ねた。私は、何でもない、と答えた。けれど、もう二度と帰らないであろう私の故郷に住む高崎が、こうして私の隣を「東京」という街で歩いていることがとても不思議で、私は幾度も高崎を見上げては、この瞬間が本当であることを無意識的に確認していた。

 駅の近くのおしゃれな喫茶店で軽く昼食を済ませた後、私達はふたりで私の家に向かって歩いた。東京駅から二十分程歩いたところにある小さなアパートは、駅前の喧騒さからは大分遠ざかっており、申し訳程度だがアパート周辺に植えられた細い木々が私は少し、気に入っていた。天気の良い日は、その木の下で黒猫がまるくなって眠っていることもある。今は冬であるし、天候が薄曇りのせいもあってか姿は見えなかった。

「ここか。何だか緊張するな」

「そんな緊張するほどの家じゃないよ。言っておいた通り、窓はないし。ああ、天窓があるけど開かないし、狭いし、綺麗なところじゃないからね。希望を持たないでね」

「友達の家に遊びに来て、希望を持たないでくれなんて初めて言われたよ」

 高崎は声を押し殺したようにして喉の奥で笑った。私が鍵を開けて先に入ると、よいしょ、という声と共に高崎は玄関先に上がり、扉を閉めた。次いで、お邪魔します、と丁寧にも告げる。どうぞ、と私は答える。高崎は手に持った、割合に大きな荷物を抱えて細い廊下を私に続いて歩いた。

 駅で会った時から気になっていたのだが、高崎は大きな正方形の真っ白な包みを大事そうに持っていた。それが何なのかと尋ねてみても、あとでのお楽しみと言われてしまい、私はそれ以上、尋ねることが出来なかった。高崎は、その白い布に包まれたものを壁に立て掛けた後、椅子に乗って良いかと尋ねた。私が支えて高崎がパイプ椅子に乗る。案の定、天窓は開かなかった。

「ね、開かないでしょう」

「そうだな。じゃあ、あっちを開封しようかな」

 高崎の目線の先には、先程に部屋の隅に立て掛けた白い包みがあった。飄々とした様子で高崎はそれを再び手に取り、部屋の中央、奥の壁に立て掛け直す。そして、おもむろに包みをほどいていった。私は、一連の流れを良く分からないまま、ただ見つめていた。

「どうかな、これ」

 ばさり、と乾いた音を立てて布が床に落ちる。現れたのは一枚の油絵だった。そこには、開かれた出窓から見える青空と太陽、広い草原と鳥が衒(てら)いなく描かれていた。私は文字通り、言葉をなくした。代わりに涙が溢れた。立っていたはずの私は、いつの間にか崩れるように膝を折り、床に座り込んでいる。

「深里」

 慌てたように高崎が私の名前を呼んだ。それが、どうしようもなく嬉しかった。

「悪い、その、泣くとは思わなくて。変だったかな、俺の思い付き」

「変じゃない。すごく、良い」

 私は首を思い切り横に振り、それだけをやっとの思いで伝えることが精一杯だった。この狂気にも似た歓喜と感動を、どうしたら言葉に出来るのか。否、どうしたら伝えることが出来るのか。私の肩に手を掛けていた高崎に、私は縋るように抱き付いた。もうそれしか、私には方法が思い付かなかったのだ。

「ありがとう。本当に、ありがとう。描いてくれたんでしょ、忙しいのに、これ」

 私の言葉は断片的で、それとは相反するように脳裏では確かな思い出が回転灯篭のようにくるくると廻り、学生時代、高崎が美術部に属し油彩を好んでいたことをきちんと思い出させていた。

 私は部活動などは面倒という、ただそれだけの考えで帰宅部を選択していたが、友人である高崎から幾度か絵の話を聞く内に、彼の描いた絵を見る為だけに美術室に足を運んだことがある。高崎はもっぱら風景画が好きだったようで、夕方の橙の鮮やかな丘の上、早朝の青白さに包まれた荘厳な街並みなどの油絵を、私は特に気に入っていた。時々、色鉛筆で鳥や植物の模写もしていたようだった。そういう、たった今まで思い出さなかった、まるで色褪せることも通り過ぎてしまっていたような懐かしい記憶が、くるくると美しく私の中を巡った。

「窓がないって言ってたから。さすがに壁を破って窓を作ることは出来ないけど。引っ越すまで、これを飾って貰えたら少しは深里が楽になるんじゃないかと思って。うまくないけどさ、真剣に描いたから。真剣に好きだから、深里のことが」

 さらりと高崎は、私のことを好きだと言った。その言葉は確かに私の内耳の奥底に届けられたのだが、私は声もなく泣きながら高崎にしがみ付いたままで、ただ頷くことしか出来なかった。

「何も言わずに東京に行ってしまったから。連絡するのも結構、迷ったんだ。迷惑かもしれないと思って。でも、声を聞いたら、もう駄目だった。それで、窓がないっていう苦しそうな深里の声が何回も頭の中を廻ったんだ。電話をしている時も、電話を切った後も。何とかしてやりたくて。本当の窓が贈れたら良かったんだけどな」

 その声にも、私は答えることが出来なかった。

「とりあえず、これで我慢してよ。油彩だし、そんなに簡単には日焼けしないしさ」

「うん、ありがとう。ありがとう。本当に」

 不意に私の言葉を遮るようにして高崎が今までよりも強く私を抱き締めた。冷え切った冬の部屋、暖房も入れていなかったそこで、高崎の体温はまるで世界でひとつきりの明かりのようにも思えた。

 私は経理事務をしている際、その作業を自分の人生に照らし合わせている時があった。借方と貸方という左右の数字の合計は、経理上、必ず同じになるはずなのだ。だから相違があった場合、どこかが間違っているということになる。その場合は仕訳を見直し、間違いを正す。そうすると貸借は一致する。私はその作業を、まるで辻褄合わせのように感じていた。辻褄も何も、間違っていることを正しく直しているのだからそれで良いはずだし、そうするべきなのだが、私には本来の答えを歪めてまで左右のバランスを揃えているような、そんな気すらしていたのだ。単に私が経理事務員として未熟で、自分が最初に行った仕訳が間違っていた、という話なのだが。

 間違い探し。辻褄合わせ。合わない左右の数字を無理矢理にでも同じに揃える、一致させる。私は私の本心を、いつも偽っているように思えていた。言い訳を重ね、たとえそれが正しく間違いようのない正論であっても、私にとってはほとんど無理矢理に自分を納得させる為の行為に他ならなかったのだ。

 家族とうまく付き合えないこと、「東京」という街にずっと憧れ続けていたこと。憧れの街に来て勤め先も見付かり、徐々にだが仕事にも慣れて来たこと。住むと自分で決めた部屋には嵌め込み式の開かない窓がひとつあるきりで、他に窓がなかったけれど都内にしては家賃が安かったこと。お金を貯めたら引っ越そう、それまで頑張ろうと思ったこと。故郷の田沼にはもう戻りたくないのだから誰にも告げずに東京に来たこと。ゆえに、誰とも連絡をこちらからは取りづらかったこと。全て、全て自分が望み、自分が決めたことだ。そこには誰のせいにする余地もないし、誰かが入り込む隙間もない。

 だが、高崎は私のことを忘れていなかった。私のことを考え、思い、迷いながらも連絡をしてくれたのだ。そして、窓がなくて息苦しいと嘆いた私に、開かれた窓を与えてくれた。高崎の絵筆で描かれた出窓と、そこから見える風景は悠々として美しく、深く鮮やかでどこまでも自由だった。あたたかみのある木製の出窓の枠と、筆を刷くように滑らせた柔らかな青空と太陽、それと対であるかのような草原、羽を広げている白い鳥。手を伸ばせば、そこに入れるような気さえした。

 急に気恥ずかしくなって私は高崎から少し離れた。身じろいだ私に気が付いたのか、高崎は少し私を抱く力を緩める。躊躇いがちに顔を上げてみると、やはりと言うべきか、私は高崎と目が合う。だが、私は改めて目を見て言いたかったのだ。

「ありがとう」

「そんなに何回も言われると照れる」

 僅かばかり、困ったように笑った高崎。私も照れくさくなり、少し微笑んでみた。思ったよりも自然に笑えた気がする。

 ――その日、高崎は田沼町に帰って行った。駅で見送る私は思った。高崎にとっては帰る場所であっても、私の帰るべきはもう既に、ここ「東京」のアパートになっているのだと。だが私は最早、息苦しさを覚えない帰途になっている。ひとりきりで辿る家路もさびしくはなかった。いや、全くとは言えない。だが、こうして冷たい鍵で扉を開けた廊下の先、高崎が置いていった窓がある。そこには、青空と太陽と草原と鳥がある。私は、この窓の先からどこへでも行ける。

 高崎とはまた会う約束をした。開かれた先で私達はどこまでも行ける。そんな気がした、冬のとある日。

 もう一度だけ呟いてみた感謝の言葉は冷えた部屋でくるりと廻って私の中へ還る。この表現し切れない喜びと感謝を、今度会う日にはもっとちゃんと伝えようと思う。

 翌朝、私の部屋には開かれた窓があった。その日の夜も同じだった。私は、もう息苦しさを覚えない。ありがとう。



 ――あれから私は幾度か職場を変え、幾度か引っ越しをした。今の家は、物件自体は古いが和室と洋室がひとつずつあるマンションで、何故か窓の数が多い。私が東京に来て一番初めに住んだ窓のないアパートと比較してしまうと、本当に驚いてしまう。日当たりも良く、風通しも良い。私はここで、快適な暮らしを営んでいる。

 どこに引っ越す時も、私は当たり前のように高崎から貰った窓を持って行った。窓がひとつもない家に住んだのは初めの時だけだったが、高崎が描いてくれた開かれた窓を眺めているだけで私はとても自由な気持ちになれた。職場で嫌なことがあっても、帰宅すれば、青空を見せてくれる窓がある。そして、そこにはおそらく高崎の込めてくれた気持ちがあるのだ。作品とはそういうものだ。

 高崎は田沼町で仕事をしている為、東京にいる私と会う機会はそうそうないが、窓の一件以降、良くメールや電話をするようになった。それは本当に他愛もない話ばかりで、元気か、とか、仕事の内容とか、休日はなにをしているかとか、そんなことばかりだ。だが私には、それが嬉しかった。

 ひとり暮らしというものは声をなくしてしまうことが多い。どんなに嬉しいことがあっても、どんなに悲しいことがあっても、誰に言うこともなく眠り、また翌日を迎えてしまうということが多い。それは当然のことと私は思っていたが、高崎と話すようになり、私の生活はたちどころに変わった。

 私は高崎と電話をする時、自宅にいる場合なら高崎のくれた窓を見ながら話していることが多いと気が付いた。最初の頃は無意識だったのだが、数を重ねるごとに自覚をした。何故だろう。そう自問することもあるが、何となく、何となくだ、と自答して私はまた別の日も、高崎のくれた窓を見ながら高崎と会話をしている。

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