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【自由律俳句】記憶や思いを作品に込める

にじゅうとびが出来ると英雄だった


 自由律俳句を久しぶりに作ってみました。小学生の頃の気持ちを込めました。もともとは「にじゅうとびが出来ると英雄だった、あの頃」というTwitterへの投稿です。自由律俳句に句読点を使って良いか分からなくて調べたのですが、使わないものみたいだったので上記になりました。句読点を使って良いかどうかの明確な回答は分かっていないので、一度、本を買って勉強したいという気持ちでいます。

 小学生の頃、小学校での授業でも縄跳びがありましたし、縄跳びカードみたいなものもあったと記憶しています。前跳び百回、連続で出来たら書くというような項目などがあったように思います。

 同じく小学生の頃、ドラゴンボールのアニメで使われたオープニングかエンディングの歌を流しながら、かけ足跳びで体育館に入場して縄跳びをおこなうということに参加したと思います。授業だったのか、なにかの演目だったのかは覚えていません。ドラゴンボールのアニメや歌が大好きだった私は、とても嬉しかったです。

 縄跳びはダイエットに良いらしいのですが、一体、何処で跳べば良いか分からなくています。公園も少なくなりましたし、縄跳びをしている子供の姿も見掛けなくなりました。現代の子供たちは、スマホにSwitchにという感じで遊んでいるのでしょうか。私の子供の頃からは考えられない環境です。

 私が小学生の時は「帰ったら公園に集合ね」という感じで友だちと約束をしたり、小学校から帰る時に友だちの家の方に遠回りをして帰って、友だちと話したりしていました。現代ではスマホで連絡が取れますし、無料通話が出来るので、そんなことはしていないのでしょうか。私は子供だった頃から成長して大人になってしまったので、いまは子供たちがどうやって遊んだりしているのか分かりません。

 その時の環境や時間を離れてしまうと、分からなくなってしまうことは多いと思いますし、思い出を置いて歩いて来てしまうこともあると思います。私は今日こんにちまで沢山の自分の思い出を仲間のように連れて歩いていますが、その為につらい出来事もずっと覚えていて、何度も思い返してはつらい気持ちになることもありました。でも、嬉しかった出来事もずっと覚えているので、その記憶が自分を支えてくれ、導いてくれています。勿論、忘れたことすら忘れてしまったこともあると思います。いつかまた、その記憶に再会出来るのかもしれないし、出来ないのかもしれません。どちらにしろ、私の基盤の一部になってくれていると思います。

 懐かしい記憶や、これからの未来への思いなど、多くのことを小説やエッセイや自由律俳句などに綴って行けたらと思います。

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