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痛い痛い日記 〜病気と記憶と感情と〜

高校2年生、夏。私は突然病気になった。
初めはすぐに治るだろうと思っていた。すぐに元の生活に戻れると信じて疑わなかったのに、気づけば4年が経とうとしている。

一番最初の症状は失神だった。疲れていたり寝不足だったりすると失神するという話を聞いたことがあったため、最初は「ちょっと疲れているだけだろう。」と思っていた。

2ヶ月が経ち3ヶ月が経っても症状はなかなか良くならない。病院へ行き検査を受けたものの原因はよく分からず、結局診断はつかなかった。絶望の淵に突き落とされたような気持ちだったことを、今でもよく覚えている。

失神の次は横になったら治る頭痛、その次は発熱と、増えたり減ったり繰り返したりする得体の知れない症状たちと、イヤイヤながらもこれまで付き合ってきた。今は失神と体中の激しい痛みと格闘しながら、大学生活を送っている。

・・・

最近、高校時代からの友人が家に遊びに来てくれた。二人で会うと、高校時代の思い出話に花が咲き、いつも時間を忘れて盛り上がる。

思い出話をしているとき、かつての記憶は楽しかったり嬉しかったことばかりが蘇ってくることに気がついた。実際には、大変なことやつらいこともたくさんあったはずなのに。

自分一人で過去を振り返って考えるに、良かったことはより良い記憶に、悲しい過去は美しい記憶に書き換えられるか、そうでなければ忘れてしまっているのではないかという結論に行き着いた。

今はまだ思い出そうと思えば暗い記憶も蘇ってくるものの、これもいつの日か忘れ去られてしまうのだろうか。ちょっと不安になった。
時間が気持ちを癒してくれるように感じるのは、辛かったことや悲しかったことを忘れてしまうからなのかもしれない。


病気になってからというもの、私は小さなことで落ち込んだり、励まされたり、勇気づけられたりしてきた。そのたびに、「人間はこんなにも多彩な感情を持ち合わせているのか!」と思うくらい色んな気持ちを味わった。

「こんなにつらいのだから、すぐにでも忘れてしまいたい」と思うこともある。その一方で、この時間を忘れてしまうのは悔しいような悲しいような、そんな気持ちも持ち合わせている。この気持ちはなんだろう。

医師でも看護師でもなく、病気を克服できたわけでも、真面目に闘病しているわけでもない私の体験談が、何かの役に立てるとは思わない。病気について広く知ってもらいたいとか、理解してもらいたいとかそういう思いがあって書いているわけでもない。私の行動や考えが、同じ病気で苦しむ人たちを代表するようなものではないだろうと思うからだ。

私は、一度噛み締めた感情を忘れないように、そしていつでも安心して忘れられるように、私の日常をここに書いておきたいと思っている。もし、私のエッセイを読んで「こんな人もいるんだな」と思ってもらえるのであればとても嬉しい。そして、今病気と闘っている人が「一人じゃないんだ」と思える一つの材料になれるのなら、私はこの上なく幸せである。


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