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地球家族 VOL.1 直海窯 陶芸家               菊池 勝太郎さん              

なぜ、焼き物を作り続けるのか。


日本の焼き物の歴史は長く、およそ1万6000年前の縄文土器に遡ります。紀元前3世紀から紀元後5世紀において、日本では弥生土器や土師器、また埴輪が誕生していますが、これらは900度以下の低温で焼くいわば素焼き状態のもので、「野焼き」と呼ばれるものでした。現在のように天井がある窯の中で作られたのではありません。 
 その後、紀元後5世紀から7世紀にかけて、古墳時代に入りましたが、その時代に須恵器が誕生します。これは斜面に窖を穿った昇炎式の窯で、1000度を超える高温で焼かれたものでした。江戸時代になると初期の16世紀後半には、登り窯が導入され、近代的に大量生産の時代に突入し、多くのものがヨーロッパに輸出されるようになりました。
 現代は薪式ではなく、エネルギー源が電気、ガス、石油等に大半が変わりましたが、技術的には昔から何一つ変わっていないのです。私はこの古典的な2つの窯、窖窯と登窯を使って陶芸家としての志事をして参りましたが、私の物造りの根底には、焼き物の原点である「縄文の心」が宿っており、フランスの社会人類学者「フロート・レビストロース」の言う、ブリコラージュの考え方を実践しています。
 つまりそこには、構造主義という考え方があり、1個1個の作品を作り上げるというよりは、その土の素材が持っている本来の成分の力と窯が持つ焼き具合の力を融合させ、それぞれの力が織りなす能力を引き出したものが、結果、構造を形づくり、私はただそこに手を添えるだけの感覚で、そのものの個性を引き出すことに重きを置いて、造形に打ち込んでいるのです。そこがとても面白くて焼き物を続けているのかもしれません。

料理を引き立てる器              

自家製の茶蕎麦をいただく

自家栽培した季節の野菜と、打ちたてて湯掻いたばかりのお蕎麦を自らが
造形した器でいただく。一つ一つ個性溢れるその器は、一層料理を引き立ててくれる。料理も器も心が溢れ出す。食する側もおもてなしを感じずにはいられない。北海道の素朴な料理の美味さも実に身に染みるのである。

蕎麦粉と抹茶をブレンドした自家製蕎麦
自分で焼いた器が料理を際立たせる
旬の北海道食材を味わう
洞爺の自家製野菜たち

生活と一体化した焼き物 

日常の中の自然の姿が心地よい

日常の生活空間の中に散りばめられた焼き物たち。味わい深い使い勝手の良さがその価値を放つ。それはまさに生活そのものであり、自然かつ必然なのである。 生きた造形の証ではないだろうか。

野に咲く花と手水
味わい深い 手水
扉を引くのも楽しい
取手も個性的

造形が生み出される環境

力強いオブジェクト

生家を活かしたこの工房には、先代が残したものたちが新たに再生されている。馬小屋が窖窯へ、農業倉庫が工房やギャラリーに変わったりと、時代とともに生き抜いて来た家族の証でもある場所だ。そこで生み出される造形物もまた後世に伝える物であることを願う。そこは志事を成し遂げ、語り伝える場所なのだから。

今にも動き出しそうなオブジェ
農業倉庫を活かしたギャラリー
登窯
手作りの工房

生誕の地

大自然の中で育まれた北の大地

遠方に羊蹄山を望むこのエリアの冬は過酷である。しかし、野の花は四季の移り変わりと共に、陶芸家の目の前に凛と咲き誇る。生花を嗜む陶芸家の心は、自然界の営みを感じるとともに、命の継承である生物たちを通じて、造形にこだまする。遥か彼方より今に息づく生命たちの営みは、まさに造形に映し出す鏡なのかもしれない。

洞爺湖町から望む北の富士羊蹄山
洞爺湖畔
工房の庭に咲く野の花
庭先に咲く旬の花
野に咲く花の美しさ

菊池勝太郎さんについて

工房 直海窯 にわたづみがま
昭和23年11月  北海道虻田郡洞爺村字大原に生れる
42年      伊達高等学校卒業
43年              柔沢デザイン研究所入所
45年                 奈都府宇治市、炭山工芸材にて御装の道に入る
46年           滋賀県大津市、岡伸一氏に師事
47~48年           萩焼窯元、岡田仙川窯にて修業
49年                   洞爺村字大原(生地)に登り窯を築築、
             直海窯(にわたづみがま)と命名
60年                  札幌市の要請により、「ふれあいの森"(札幌市有明)に
                           穴窯を築窯
62年          道の海外交流事業により、中国各窯を研修
       平成元年 道の海外交流事業により、磁州窯の古陶  
       磁研究技術者、劉志国氏を招聘
4年      穴窯を築窯、内寸・中2m、長さ10m、高さ1.4m
5年      京都書院より「陶」Vol.63 菊地勝太郎を出版
       昭和50年よりこの間、道内を中心に個展を開く
6年      東京(東急本店)、新潟県中条町、宇都宮等にて個展
8年      穴窯の焚き方を、水を使った止め焚きに変えて、
         やわらかい土肌と美しい緋色を得る
10年          東京銀座(工芸むらた)、宇都宮、新潟等にて個展
13年          (株)国際薪窯研究所の要請により、栃木県鹿沼市に
               登り窯(3連房4室)を築窯
14年            東北各地、白河市、盛岡市、銚子市、米沢市、青森市等、
           東京銀座黒田陶苑にて個展
17年      伝統工芸新作展入選(19年)
20,21,24年       韓国 開慶伝粉茶器祭り招待出品 出席

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