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小説「チェリーブロッサム」第8話

 僕が住む2階建ての木造アパートのこじんまりとした一階の角部屋は、隣も上も静かなものだった。生活の物音が何もしなくて、本当に誰か住んでいるのか? そう思い、2階に上がって電気のメーターを見たことがあった。しっかりと回っていた。しかも思ったよりも早いスピードでメーターの円盤は回転をしていた。「電子レンジか?」そう思い数分の間そこに留まり「チンッ」という音を聞こうとしたが、いくら待っても鳴らなかったので、ジャガイモは時間がかかるんだな。と根拠もなく納得し、一階の自分の部屋に戻った。
 向かいの一戸建ての広い庭では、小さな子供がお母さんと楽しそうに笑っていた。それからも「チンッ」という音は、一度も聞いてはいない。
 僕の部屋の間取りは、しっかりとした2口の火と魚焼きグリルが付いたコンロ(前の住人が置いていったと管理人さんが言っていた)のある台所と、焦げ茶色のフローリングが敷かれた小さな部屋が一つの古い1Kのアパートだった。建物自体はとても古く、木の枠の窓でも良さそうな雰囲気だったが、テラスに向いた窓は頑丈そうな大きなアルミサッシの掃出し窓がはめられていて、建物と比べるととても不釣り合いだった。しかしその分日当りはとても良くて僕は気に入っていたが、そのせいで余計に華奢に見えるアパートの構造に少し不安になった。しかし「まあいいさ」と呟いて、その件は一言で片付けた。

 大きなアルミサッシの窓の外には、護岸され、ボートでも通れそうな幅の川が流れていた。水は思ったよりも奇麗に澄んでいて、小さな魚が泳いでいたり、ときおり白い大きな鳥もやってきた。水深も膝程の深さはあるようだった。水の量が多いからなのか、部屋が暑いときもテラスに出ると気持ちのいい風が川に沿って吹いていた。川の向こうが道路だったこともありとても見晴らしが良く、道路の奥にはすぐ神社があり、何本もの楠木の大木が盛大な枝振りを見せていた。道路は人通りも少なかったので、それほど人の目線も気にせずに、窓からこの風景が毎日見れるというのはとても贅沢だと思った。僕は内覧2軒目のこの部屋で、この窓の外の風景を見てすぐに決めた。家賃4万2千円の僕の城は、とても満足のできるものだった。

 僕は1人でコツコツと引っ越しをした。実家から持って来た物は手で持てる位の小さなテーブルと、洋服周りと何冊かの文庫本。それにコップが二つだけだった。残った荷物は全部実家に置いて来た。母は持って行けとうるさかったが、あれこれ言ってそのままにして来た。あとは全部買おうと考えていた。できる限りの新しい暮らしがしたかった。そして何といっても僕は会社員だ。と僕は毎月の安定した収入と、一人暮らしのできる喜びで少し気が大きくなっていた。これからどんな楽しい1人の時間が待っているのか、お金の不安は多少あったが、楽しみの方が大きく上回っていた。すでに新しく買ったシングルベッドが届いており、部屋で存在感を放っていた。無謀にもそのシングルベッドの上で前回りでんぐり返しをしたものの、もちろん転がる距離もなく、目の前の壁に盛大にかかとを強打した。「おうっ」と変な声を出しながらも、そのまま仰向けで天井に向かい「むふふふ」とにやけた。そんな引っ越し当初を思い出していた。

 引っ越しで持って来た文庫本は、ハルキの他には太宰だけだった。僕はこの太宰治のだめっぷりにも心を満たされていた。「人間失格」なんかを読むと、自分の失格など取るに足らんね「がははは」となぜか元気が出た。もしくは完全に主人公と同調してしまい、仕事も手に付かなくなるくらい落ち込んだりもした。太宰はそんな「やばい」本だった。僕はビールと文庫を片手に窓の外の川の見えるこの小さなスペースで、フェンスに寄りかかりながらの読書をこよなく愛した。外にも小さいテーブルと椅子があれば良いな。と、想像しながらビールを飲んでいると、フェンスに良く分からない種類の小鳥がやってきては奇麗な声で鳴いた。
 ゆり子が僕のアパートへ遊びに来る前の日の夜は……


 ゆり子が僕のアパートへ遊びに来る前の日の夜は、僕は隅から隅へとゴミひとつ見逃さないように捜索隊を結成していた。「隊長っ!、ここに何やらポテトチップスの破片のような物がおちておりますっ! 何っ⁈ すぐに回収隊に連絡し本部に運ばせろっ! ラジャーッ!」と僕はノリノリだった。ゆり子が遊びにくる。明日のお昼にはここにゆり子がいる。そう考えるだけで僕の胸ははち切れそうに鼓動をした。そして照れながら枕のカバーを交換した。

 約束通り、ゆり子は僕のアパートへ遊びに来た。駅で待ち合わせをして、一緒に部屋まで歩いた。僕らはいつものようにふざけながら「きゃきゃきゃ」とはしゃいでいた。今日はゆり子も少し緊張しているのか、いつもより少しオーバーめなリアクションをしていた。歩道に落ちていた空き缶を見つけては「君んちここ? 君んちここなのか⁈」と缶に向かって話しかけては笑っていた。僕も合わせるように自分の腕で輪っかを作り、そこから頭を出しながら「ようこそいらっしゃい、ようこそいらっしゃい」と何度も頭を出したり戻したりとおどけた。気持ちが通じ合っているのをお互いが感じていた。今日は二人に取って忘れられない日になる。そんな予感がした。
 アパートに着き、玄関の前で鍵を出そうとしたがなかなか見つからなかくてとても焦った。「落としたのか?」しかし合鍵は家の中だ、もし失くしていたら二駅離れた不動産屋まで取りに行かなくてはならない。猛烈に焦った。しかしゆり子は余裕な表情でニコニコとしている。僕がもたついている様子を見て、後ろから右手を開いてその手首を左手で握りドアに向け、
「今エネルギー送ってるから」
 とまたいつもの小芝居をして僕を笑わそうとしていたが、僕は焦ったままたじたばたとポケットをひっくり返していた。しかし鍵が見つからない……。
「ない! 鍵がない!」
 ゆり子も小芝居をやめて
「えー、鍵がないの⁈」
 と言って一緒に上着のポケットなどを探ってくれた。がさごそと僕のポケットを探るゆり子に気を取られた。ポケットにゆり子の手が入りドキッとする。気を取られながら、ふとドアノブを見て愕然とし、僕は死んだ魚のような白目になってしまった。それはまるで「鍵」という名の指揮官が、その後を群がる騎馬隊のような様相を呈したキーホルダーを携え、しっかりとドアノブの鍵穴に燦然と、そしてこれでもかという勢いで煌びやかに刺さっていた。僕は普段から鍵を失くさないように、ありったけの持ち合わせのキーホルダーをつけていたものの、浮かれたあまり鍵をドアノブから抜かずに家を出てしまったのだ。
「白目、白目!」
 とゆり子は慌てて僕の肩を叩いた。
「鍵あった……」
 と僕は黒目に戻しながら言った。
「え、どこ⁈」
「ここ……」
 ゆり子はきょとんした後、お腹を抱えて声を絞るように「くくく」と笑い出した。
「なに、きみんち今セキュリティーゼロ? セキュリティーゼロなの⁈」
 とゆり子はなぜか楽しそうだ。
「でも、だ、大丈夫よ、わ、わたしがついてるわ。くくく」
 とフォローしながら必死に笑いを堪えるゆり子。
「これ取られ放題だわ、取られ放題だわー。ははは」
 結局笑いを堪えられずに、言いたい放題のゆり子だった。
「と、取られるもの、な、なにもないけどよね、えへ」
 僕は自分のドジにショックを受けながら、ふらふらの言葉ではにかんで応えるのが精一杯だった。しかし何より鍵があって心の底からホッとしたし、ゆり子は笑いながらからかってはいたものの、「わたしがついてるわ」の言葉に、僕は大きな安心感を感じていた。
 鍵が見つかり安心したのものの、ど、ドアを開けなきゃ。と刺さったままの鍵を回して勢い良くドアノブを引いた。しかしドアが開かなくて、僕はノブを引いた勢いでドアに全身を「ごと」と鈍い音を出しながらぶつけてしまった。ドアの鍵は最初から開いていた。僕は開いていた鍵を回してまた閉めてしまったのだ。向かえに行く前、僕は本当にただ鍵を鍵穴に挿しただけで出かけていたのだ。まったくその時の記憶はなかった。その様子を見たゆり子は笑いが止まらなく、
「何の新喜劇なのそれっ、わざと? もうほんとやめてお腹いたいよ……。くくく」
 と言って彼女は俯きくすくすと笑いながらも、僕の右肩を両手で優しく掴んでくれていた。「ゆり子の手が僕に触れている!」とドキっとし、全神経をその手が触れた右肩に緊急召集させる。まだ僕らはキスもしたこともなくて、たまに手をつなぐ程度の親密さだった。ポケットに手が入ったり、肩を優しく掴まれたり、その程度で僕の恋心は、大輪の花を咲かせるのだ。貴重な彼女との接触に、僕はすっかり興奮してしまった。しかし優しく掴んでくれている僕の右肩からは、ゆり子の小さな笑いと同調した小刻みな震動が伝わってきた。その後もゆり子は笑いの底からは這い上がれずに、僕の右肩を掴みながら「ツボ、ツボ」だとか「君天才?」などと大受けだった。「はあ、さい先悪いな」と思いながらも、彼女の細い指が触れた僕の右肩の感触をしっかりと観察すると、悟られないように心の中でにんまりとした。そしてその触れられた右肩は、ふんわりと熱を帯びていた。
 楽しそうに笑うゆり子を見ていると、彼女という位置にいる人を、これだけ笑わせてあげられるということは、何よりの幸せのプレゼントなのかもしれない。僕は満足を感じていた。そして、
「わたしこういうのほんとにツボで大好きで笑いがとまらないの、ごめんね。くくく。でもわたしこんなに笑えてほんとに幸せよ」
 と、笑い涙を拭いながら言う彼女のその「幸せ」というワードに僕の心はまたドキッとした。


「お邪魔しまーす」
 鍵ひとつのくだりで一日が終わるのかと思うくらい右往左往した僕の気持ち。しかしゆり子は笑いの余韻も含ませながら、余裕な雰囲気でそう言いながら玄関に入った。僕が先に玄関を上がると、ゆり子は靴を脱ぎ丁寧に向きを直して並べた。そして僕の靴も同じように隣に並べてから玄関を上がった。昔に付き合っていた彼女は、決して自分の靴も、ましてや相手の靴なんか並べるような子ではなかった。僕はずっとそんなことが引っかかっていたけれど、当時は何も言えないまま我慢していた。なのでこんな些細なことだけど、ゆり子は丁寧に相手を気遣える人なんだと安心した。しかしすぐに「こんなの当たり前だよね」僕は心の中でそうつぶやいた。傲慢のスイッチが「カチリ」と入る音がした。けれど僕自身に、その音は聞こえてはいなかった。
「ふーん、なかなかがんばったね、きみ」
 ゆり子は部屋を見渡して、僕が必死に掃除をしたことを見透かしたようにそう言った。
「わたしの出番はなさそうね。ふふふ」
 と言ってちょっと残念そうだった。しかし僕にはまだ部屋を掃除してもらう勇気はなかった。
 ベッドに二人で並んで座ると、僕は緊張のあまり、あのシミがどうのとか、昨日そこを蟻が通っただとか、トイレの鴨居に頭をぶつけただとか、「ふーん」としか返せないようなどうでも良い日常を、事細かく説明していた。
「日当り良いね」
 とゆり子は話題を逸らそうとしたのか、その不釣り合いな大きな窓を見ながら言った。
「出てみる? 川が流れてるんだ」
「うん! ずっと見てみたいと思ってたよ」
「そうだビールでも、の、飲む? の、飲もうよ!」
 僕は要らないと言われたらどうしようという緊張感で、ゆり子に畳み掛けるように勢い良くビールを進めた。
「それ良いね! 最高だね」
 ゆり子は嬉しそうに返事をしてくれた。この緊張感の中コミュニケーションも取れてきて、満たされた気持ちを感じられる余裕も出てきた。ゆり子も僕もビールが大好きだった。しかし昼間からお酒を進めるなんていやらしいなと気が引けていた。けれど僕は、ゆり子とこの景色を見ながら昼間にビールを飲むことをとてもとても楽しみにしていた。良いねと言ってもらえたこの時の僕のほっとした気持ちは、へたり込んで倒れ込み、そのまま床に身体が溶けてなくなりそうなほどだった。まずは第一関門クリア! なんの?
 太陽の高さはまだまだピークを保っていて、日差しも注燦々と注いでいた。まだしばらくはぽかぽかしていますから。と太陽も言ってくれているような優しい暖かさだった。玄関から靴を取ってから僕らはテラスの外に出てビールを開け、缶のまま乾杯をした。昼間に飲むビールほどの至福はない。「昼のビールは正義だ」が僕の持論で、しかも目の前にはこんなに可愛い「僕の彼女」が微笑んでいるのだ。僕は幸せすぎてどうにかなってしまいそうだった。「もう会社なんて辞めてやる」僕は取り返しのつかない妄想を暴走させていた。しかしゆり子のほんのり桜色になった頬を見て、僕は正気を取り戻す。「会社はぜったいにやめないぞ」と。暖かい日差しの中を、気持ちのいい風が吹き抜ける、その小さな川をゆり子はとても気に入ってくれた。
「このシチュエーション、これどんな極楽よー、どんな極楽なのこれー、えー? おいー、答えて、きみ答えてよー」
 とゆり子は酔いも回り始めたのか、さらに陽気にきゃっきゃとはしゃいでいた。わざと抑揚を消す声のトーン。乱暴すれすれでいて攻撃性は無く、不思議とサブカルの匂いがするゆり子の可愛いボキャブラリーは、いつだって僕の胸を甘く苦しく締め付ける。ゆり子のシャレの利いたこの言葉達を、僕はとても気に入っていたし、ゆりこが僕のことを「きみ」と呼んでくれることが僕は大好きだった。それはなぜか僕の心の中のどこかにある幸せのボタンを押す。そのボタンは一体どんな存在で、そしてどこにあるかは今の僕には検討もつかなかったが、気にしなくてもよさそうだった。僕は今幸せを感じている。
「きみと一緒にいれてとても幸せよ。きみの優しい顔を見るとわたし幸せを感じるの」
 しばらく黙って川を見ていたゆり子は、僕の顔を見るとそう言った。
 直球で甘く優しく、そして包まれるような言葉に僕は目眩がした。ゆり子はいつだって自分の気持ちを正直に歪み無く優しく僕に届けてくれていた。それは裏も表も無い、清らかなゆり子の本音だった。僕は今まで誰も認めてくれず、誰も触ってくれない部分をゆり子が触ってくれるような気がして、どう受け止めていいかわからない感覚になった。僕は愛され慣れていなかった。けれど、このゆり子の愛情だけは偽りなく僕の大切な部分に届いていた。
「でもきみのその一生懸命生きている姿が、わたしはいちばん好きよ」
「そ、そうかい?」
 と言って僕は照れた。
「その顔、きみモテるでしょ?」
 ゆり子は酔っているようだった。
 小さな川からそよぐ風と、隣には理想を超える可憐な吾が恋人ゆり子がいる。そしてゆり子は僕に沢山の愛情を見せてくれている。僕は酔った、ビールにも、そしてゆり子にも。 僕はこの幸せを受け止めきれるのか、本気で心配になった。
 ビールの缶も軽くなった頃、僕は顔を赤らめながら、川の流れを目で追うゆり子をぼーっと眺めていた。しばらくするとゆり子が、手すりの上に置いた僕のビールの缶に手を伸ばして揺らした。
「もう一本飲むかい?」
 空になっていることがわかると、ゆり子はそう言って僕が返事をするまでもなく、ちょこんと部屋に入り冷蔵庫を開け、新しいビールを持ってきてくれた。そしてプルタブを開けると、
「はいどうぞ」
 と優しい笑顔でそう言いながら渡してくれた。ゆり子は根っからの世話焼きやさんだった。それも押しつけも無くきらきらと世話をやいてくれる。この宝石のようなシチュエーションを目の当たりにすると、たとえ60年ローンでも手に入れたい代物だ。僕は心の中の銀行に行き、窓口に座った。
 受け取った新しいビールを持ちながら、嬉しさのあまり白目になっていた。目をぱちぱちとまばたきをさせながら。
「自分白目やーん、おいー」
 と僕の白目のに対して、ゆり子は得意の小気味の利いた返しで笑わせてくれた。
「きみ、今まで4回白目になったことあるのよ? なんと今日で4回目!、どれだけポイント溜めるつもりよー。そんなに白いお皿欲しいの? それ春のなにキャンペーン? くくく。ねえポイントカードみせてみ」
 ほろ酔いも進んだゆり子は、指を4本立てて笑いを堪えながら、意地悪な表情で本気でポイントカードを奪おうと僕ににじり寄ったかと思うと、突然僕の頭の上を「いーこいーこ」と手のひらで優しくなでてくれた。そのしぐさと感触はとても柔らかくて暖かく、僕の心の堤防をあっけなく欠壊させる。そこからは暖かい水が溢れ出ていた。僕は「なーん」という意味のわからない言葉で照れながらごまかした。身体の芯まで嬉しかったのだ。白い砂浜のビーチで体育座りをしていると、温かく優しい小さな波が僕の足を洗ってゆく。そんな波打ち際にいるような幸せが僕に訪れていた。
 ゆり子は「ちょっと酔ったかも」と言って部屋に入ると、ごろんとラグの上に寝転がって両手を頬の下に置き、流し目のような視線で僕のことを見た。その艶かしい姿に僕のなにかのスイッチが入った。無論正常な若者としてのスイッチだった。衝動に駆られ、そのまま覆い被さりたかったが照れくさくなってしまい、
「お、おまえにもポイントお、押すぞ、お、押しちゃおうかな、へへ」
 僕はズボンのチャックを開けるような仕草でにじり寄った。完全に酔っぱらいの下ネタである。
「やめて、そのポイント押さないで、押さないでー、あははー」
 と笑いながら、ゆり子はベッドまで逃げて行き、背中を見せながら寝転がった。僕は追いかけていこうと歩き出したが、酔った足をもつれさせて、背中を見せながら寝転がるゆり子に覆い被さってしまった……。一瞬僕は怯んでしまったが、嫌がる様子も見せないゆり子の気配に、僕は後ろから片手だけを回し、そのまま抱きしめた。
「腰に、あ、当たってるよ……、きみの、すごいポイント……、これじゃお皿、貰えちゃうね……」
 酔った勢いで自制心をなくしたゆり子の返しも下ネタだった。酔った僕らの会話はめちゃくちゃだった。しかしそれは遠回しに僕を受け入れてくれる言葉でもあった。
「じゃ、ゆ、ゆり子のお皿も、貰えるかな……?」
 僕はゆり子の耳元で、愛のささやき……、ではなく愛の下ネタをささやいた。そんな下品な会話も僕らの気持ちの距離を縮めてくれた。
「うん……」
 そう言うとゆり子は、胸の前の僕の腕を優しく掴んだ。しばらくそのままゆり子を抱きしめたあと、僕の方に体を向けさせて、ゆり子が目を瞑るのと同時に、僕らは静かにキスをした。
 その日、僕とゆり子はお互いのすべてに優しく触れて確認をし、小さなベッドで朝まで一緒に眠った。
 僕のチェリーブロッサムは、華やかに青く解放され、自由に咲いた。ゆり子は僕のすべてを受け入れてくれた。次の日も僕らは日が暮れるまで、小さな花が咲く森の奥の木々の間で、まるで眠りから覚めた熊のように体中に草や花を付けながら寝転がり、木漏れ日を浴び春をよろこんだ。

つづく

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