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右手と左手

今から数年前に、私はソマティック・エクスペリエンシング(SE)療法と出会った。

当時私は、人生で何度目かの、そしてたぶん、これまでで最大級のピンチに陥っていた。ところがせっかく繋がった治療だったのに、その時は事情があって継続的なセラピーを受けることが難しく、その効果を身に沁みて実感するには至らなかった。

トラウマとは心の問題ではなく、身体に、その痛みや苦しみが残っているのだ、と言われても、最初はうまく腑に落ちなかった。

ましてや「身体へのアプローチ」と言われても、マッサージすら苦手な私にとって、施術としてあちこち触られることには抵抗があった。


現在、国内で受けることが可能なソマティック・エクスペリエンシング療法には、様々なアプローチ、手法がある。
文字通り、クライアントの身体に、カウンセラーが手で触れるようなセラピーもあれば、会話で誘導されて自分自身で深く掘り下げ、気付きを得ていくという方法もある。
カウンセラーとクライアントは、納得がいくまで話し合って一番良い方法を選び、ゆっくりとスモールステップで進めていく。


今年になって、ようやく時間や環境の準備が整い、私は、自分と向き合う作業を再開しようと決めた。

カウンセラーは、過去のトラウマや、辛かった出来事ではなく、あくまでも現在、困っていることや、気がかりなことを話してください、と言う。
そしてその際、自分の身体の様子を注意深く観察し、考えずに感じるように、と指示された。

私はソファーに座り、両手を膝に乗せて話していた。するとどういう訳か、手の平がとても暑く感じはじめた。
「手の平を上にしてみましょうか」
と、言われるままにひっくり返すと、今度はその両手の平がふわふわとして頼りなく、心許ない不安を感じた。

「体のしたいようにさせてあげましょう。どうしたいですか?」
と、カウンセラーは言う。
私は咄嗟に、何かにつかまりたいような気がした。それはちょうど、小学校の校庭にある鉄棒のイメージだ。

「……鉄棒のような、ちょうどいい太さのバーにつかまりたい感じです」
と、私は言って、こんなふうに、と実演してみせる。
「それでは、そこにちょうどいいバーがあるつもりで、しばらく掴んでみてください」

私は、その見えないバーを握りしめると、心持ち首元へ引き寄せた。あるいは、自分の体をバーへ寄せたのかも知れない。より体を密着させて、しっかりと掴むために。


その動作とともに、不意に、ある光景が脳裏に浮かんだ。それは、幼い頃に住んでいた家の二階の、腰高窓から見た外の景色だった。

昭和中期の、地方都市の下町。まだ二階建て住宅が少なく、窓からは瓦屋根が見渡せた。たぶん夕暮れが近い時間帯なのだろう。所々に物干し台があって、洗濯物が風に揺れている。

その窓には、転落防止用のバーがついていた。幼児だった私は、ちょうど首のあたりにくるバーに両手でつかまって立っていた。

その家に住んでいたのは、私が三歳になる前までだったので、これらの光景は、二歳の頃の記憶ということになる。
家の中で、私はいつも一人でいた。
そのバーに掴まって立ち、そのバーを頼りに横へ横へと伝い歩きをした。


どれほど記憶を辿ってみても、私には、父や母と手をつないで歩いた経験がない。

両親や、年の離れた姉たちと一緒に出かけたことは勿論あったけれど、いつだって、私を同行していることを忘れているみたいに、誰もが無言で急ぎ足だった。
私は、前を行く大人を見失わないように、必死で目で追い、雑踏の中を小走りで後を追うのが常だった。

「ちょっと待って!」「手をつないで!」
そんなふうに声をかけることを私は知らず、まったく考えつかなかった。
もしも幼い私がそう言葉にしていたら、あるいは母は、手をつないでくれたかも知れない。
ただ私は、それを思いつかなかったのだ。



「それでは、ご自分の右手と、左手をつないでみましょう」
と、カウンセラーが勧める。
私は、自分の右手と左手を、しっかりと握り合わせた。

「左右どちらかの手を『自分』、反対の手を『他者』と仮定してみてください」
カウンセラーに従って、私は右手を自分だと思うことにした。
そうして、気が済むまでしっかりと握りしめたあと、自分の意志とタイミングで、右手の方からゆっくりと離す。

不思議なことに、右手はとても満足していて離したあとも清々しい感覚が残る。一方、離されたほうの左手は、唐突に置いていかれたような、不本意で理不尽な淋しさを感じた。
どちらも正真正銘、私の右手と左手なのに。

このワークは、とても興味深い印象を残した。
試しに左右を入れ替えてやってみると、やはり意識して離す方は清々しく、置き去られた方はヒヤリとして淋しい。
私は何度も、自分に見立てた手を左右入れ替え、交互につないでは離してみた。

繰り返すうちに、やがて私は、不意にストンと腑に落ちたのだ。

手をつなぐことも、離すことも、自分で決めていいんだ!と。

つないだ手と手はとても温かくて、ゆっくりゆっくり、心拍数が落ち着いていくのがわかる。
何度も繰り返すうちに、離した手も、離された手も、徐々に充足感に満ちていく。

人は何度でも、何歳になってからでも、自分の意志で生きることができるんだ。

こうして私は、また一つ、自分を取り戻した。


果てしない闇の向こうに
oh oh 手を伸ばそう
誰かの為に生きてみても
oh oh Tomorrow never knows
心のまま僕はゆくのさ
誰も知ることのない明日へ

Tomorrow never knows/Mr.Children 


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