一瞬と永遠
物心ついた頃から私は、「本ばかり読んでいる子ども」だった。
最初の記憶は、宗教絵本。
自分勝手でケチな(いかにも悪人顔の!)「アラブの王様」は、必ず「神様」の怒りに触れて破滅する。
父の書斎には、山岡荘八の全集と、「水滸伝」「南総里見八犬伝」。
薄い紙に二段組、辞書みたいな分厚くて重い本は大層、立派で、幼い私はその装丁をそっと見てただけ。
姉の部屋には、「恋の詩集」「リルケ詩集」「二十億光年の孤独」。
姉の留守中、勝手に部屋に入り込んでは、ドキドキしながらこっそり開いた。
小学生になると私は、多くの時間を学校の図書室で過ごすようになった。
「ビアンカの冒険」「メアリーポピンズ」「オズの魔法使い」「不思議の国のアリス」。
グリム、イソップ、アンデルセン、リンドグレーン、ケストナー。
本なら何でも良いわけではない。
優れた「物語」だけが、つまらない日常も、寂しい気持ちもすべて、一瞬で消し去ってくれる。
私にとって「物語」は、一種の麻薬だった。
効果が切れてくると苦しくなるから、私はしょっちゅう、「物語」を自己投与しなければなならない。
静かに本を読んでいる子どもに対して、大人は総じて肯定的だ。
うっかりすると、その存在自体を忘れられてしまい、薄暗くなった部屋の片隅で、私は一人、いつまでも本を読んでいた。
こうして私は、「透明な子ども」になった。
私がまだ幼かった頃、母が喘息発作を起こすと決まって、近所の開業医の先生に往診を頼んでいた。
口数が少なくて、滅多に笑わない、おじいちゃん先生だった。
母は、広い座敷の衝立の向こうで臥している。
ゴホンゴホンと咳込んで、絶え間なく、ヒューヒューと喉の鳴る音が聞こえる。
先生も、父も、難しい顔をしていて不機嫌だった。
「注射を打って、早く発作を止めてほしい」
と、言う父に
「これ以上、強い薬を注射することには責任が持てない」
と、先生は譲らない。
診察が終わると先生は、部屋の隅で本を抱えて座っている私に
「医院まで、薬を取りに来なさい」
と言う。
家から医院までは、だいたい二百メートルくらい。一本道だけど、街灯がほとんどなくて、人通りもない真っ暗な住宅街を行く。
本当は、そんなことはなかったのかも知れないけれど、幼い私には、先生がいつも怒っているみたいに見えた。
「お母さんの病気は、風邪をひいたら途端に悪くなる。だから絶対、風邪をうつしてはいけない。あなたが、風邪をひいてはいけないんだよ!」
こうして私は、「決して風邪をひいてはいけない子ども」になった。
母がこのまま死んでしまうのではないか、と私はいつも怯えていた。
「人の命は儚い」
と、幼い私が言語化して認識していたわけではない。
ただ、この得体の知れない恐怖は、そのままではあまりにも重かったから
「永遠への憧れ」
と、形を変えることで、どうにか幼い私でも抱えられる質量にすることができた。
例えば、百年前に書かれた「物語」が、今もこうして図書館に並べられているという事実が、大いに私を勇気付けた。
百年は、幼い私にとって、「永遠」と言える時の流れだった。
「もしも、自分の書いた「物語」をこの世界に残すことができれば、百年後を生きる、会ったこともない人たちの元へ届けられるかもしれない」
それは私にとって、大きな大きな希望だった。
誰もまだ読んだことのない「物語」を、会うことのない、百年後の誰かに当てて、私は書くのだ。
こうして幼い私は、「永遠を生きる作家」を夢見た。
「一瞬」のことのようでも、そこには常に「永遠」とも思える瞬間がある。
言い換えれば「一瞬」は「永遠」の中にあり、「永遠」もまた「一瞬」の中に潜んでいるのだ。
「物語」の世界の中で、私はいつも「永遠の時間」を旅していた。
それはまさしく、瞬く間に内包された「永遠」だった。
今日も世界中で、「物語」が生まれている。
誰もまだ見たことのない「物語」が今も、「紡ぎ出される瞬間」を待っているのだ。