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欠けている わたしの世界


まだ
珈琲の香りは
戻ってきてはくれない。

それでも
わたしは 珈琲を淹れている。


✴︎

味覚障害はないので
(嗅覚が ほぼないので
影響がないとは言えないけれど)
わたしの働く店の
しっかりと濃厚な珈琲は 味わうことができる。
他の珈琲屋さんで
あっさりとしていて 香りが命 みたいな珈琲は
楽しめないこともあるけれど。

自分の淹れた珈琲の味がわかったときには
ホッとした。
香りはなくても 舌触りやコク 馴染みある感覚に
これだ、と思う。
その感覚を頼りに 淹れている。

匂いがわかるときだって
自分の淹れた珈琲が
どうしても 美味しいと思えない時期があった。
些細なことで 世界は歪む。

今は 自分の淹れた珈琲が 美味しい。
美味しいと 飲んでくれる人がいる。
それだけで かなり幸せなことだ。

✴︎

「匂いがないと、美味しくないでしょ…
大変だよね…」

心配してくれているのだとは思うけれど
そんな言葉には 反発したくなる。

この3ヶ月。
匂いがすればなぁ、と思うことは
もちろん 何度もあったけれど
ちゃんと 珈琲も 食事も 楽しんできたょ。

100%じゃなくても 楽しめるんだ。

考えてみれば
もともと わたしの世界は
100%なんかじゃなかった。

生まれたときから視力が悪く
ぼやぼや ぼやけた視界で生きてきた。
眼鏡やコンタクトレンズに助けられているけれど
視力のいい人に比べたら
なんて不完全な世界だろう。

劇場の後方の席で観劇すれば
役者の表情は ほぼわからない。
それでも。
姿や声や いろんなことを受け取って
わたしは 舞台を楽しんでいたょ。


みんな
それぞれ
自分の受け取れるものを受け取って
楽しんで 生きていけるんだ。


✴︎

一生、このままかもしれないな。

生きていたら
失うものもあって
そういうこともあるよなって。

悲観的にではなく
諦めでもなく
そう思うこともある。

必ず治る!治す!
って思い詰めるほうが
しんどい。


もちろん回復を切望しているし
いろいろ試しているけれど。

それは嗅覚を呼び戻すためだけのものじゃなくて
総合的に 心地よく健康に過ごせるようにと。
そう考えて 取り組んでいる。


✴︎

欠けていても
わたしの世界が
居心地のよいものでありますように。




サポートしていただけたら とっても とっても 嬉しいです。 まだ 初めたばかりですが いろいろな可能性に挑戦してゆきたいです。