見出し画像

近ければいいってもんじゃない


カフェオレおじさん
マンデリンさん
ベッキーさん
ハミングおばさん
B3のひと
ミミナシのおねえさん

などなど

喫茶店には
このような愛称で
密やかに呼ばれているお客さんが 少なからずいる。
たいていは常連さんで
それでも喫茶店では名前を名乗ることは少ないので
よく頼むメニューや わかりやすい特徴で名付けられ
スタッフの間で 便宜上呼ばれているのだ。

わたしは この距離感が好きだ。

初めて訪れた
ある新しいコーヒーショップのカウンターで
コーヒーを頼んだら名前を聞かれ
出来上がったときに
高らかに名前を呼ばれて渡されたとき
なんだか とても居心地悪く感じたのだ。
名前を教えてもらったから
私たちは もうフレンドよ〜!みたいな
急な距離の詰めかたには 慣れていなくて
後退りしたくなってしまう。

わたしの場所では なかっただけ。

お客さんと恋仲になった女の子もいたし
店長の子どもの誕生日プレゼントを
当日中に渡すために
夜に必死にやってきてくれる常連さんもいて
それは とっても微笑ましいので
親しい付き合いを決して否定したいわけではない。
いい物語も いっぱいあるけど。


適切な距離感。
なにものでもなく いられる場所。
それが わたしの好きな喫茶店だ。


たとえば
毎日ほとんど1番乗りでやってきて
決まった席に座るカフェオレおじさん。

同じ空間と時間を共有する。

名前は知らない。
職業も知らない。
知っているのは
カフェオレは ちょっとミルク多めがいいこと。
毎日 本を読んでいること。

カフェオレおじさんから見たら
わたしは 喫茶店の店員のひとり。
朝番だから だいたい 毎日顔を合わせる。

天気の話くらいはするだろうか。

それだけだ。
それで いいのだ。
いや、それが いいのだ。

社長も 先生も
フリーターでも 無職でも
結婚してても してなくても
子どもがいても いなくても
たとえ犯罪者だったって
この空間では平等に過ごすことができる。

長く働いていて話す機会が増えたりすると
お互いの背景が
ちょっとずつ見えてきたりもするけれど
それもいいんだけれども
雰囲気のいい写真の背景みたいに
ぼやかしておいて。

ほとんど話したこともない お客さんから
不意に ぽんっともらうプレゼントは格別だ。

長めの休みのあとに復帰したら
わたしの顔を見て ホッとしたように
「辞めちゃったのかと思いました。」と
言われたとき。

急に転勤を報告されて
「歴代の中で あなたの作るチーズトーストが
1番美味しかった。出張の際には 寄ります。」と
言ってくれた 最後の会話。

特に親しく接していたわけではないのに
その人の心の片隅に
ちゃんと いられたことを知れたとき
このうえなく 幸せな気持ちになる。

そんなプレゼントは
絶妙なタイミングで わたしに届く。

家族や恋人や友達には できない。
この距離感だからこその癒し。


あたりまえのように そこにいて
いないと ちょっと寂しいと思う。
だけど 追いかけたりなんかしない。

辞めた女の子は
お嫁にでも いったかなぁ、なんて想像しようか。
就職してバリバリ働いていて
どこかの喫茶店の常連になっているかもしれない。
ぱったりと来なくなった おばあちゃんは
高齢だから よくない想像も過ぎるけど。
日常は流れて 優しい気持ちで思い出す。

わたしたちは
喫茶店を通り過ぎてゆく景色の1部になる。

今の世の中
距離を詰めることは
そう難しくはないのだろう。

だけど。
近ければいいってもんじゃない。

矛盾も いっぱいあるけれど
わたしは
もどかしいような
この距離感を 確かに愛している。


近すぎず 遠すぎず
喫茶店で過ごす あなたの
ぼやけた背景に わたしは なりたい。


この記事が参加している募集

サポートしていただけたら とっても とっても 嬉しいです。 まだ 初めたばかりですが いろいろな可能性に挑戦してゆきたいです。