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海猫沢めろんインタビュー「関西地獄篇」

デビュー当時の初インタビュー。

今読み返すと完全にアウトな部分があったので編集してお届けします。


二〇〇四年、パンブキンノベルスというマイナーレーベルからのリリースながら好評を得た小説『左巻キ式ラストリゾート』の著者・海猫沢めろんは一体どういう人間で、今、何をしているのか? ゲーム『ぷに☆ふご~』のノベライズでありながら、先行する美少女ゲームへのメタ的な言及も含んだ奇妙な作品『左巻キ式』。アンシブル通信編集部は、一部から熱い注目を受けためろん先生に、とあるルートからコンタクトのつてを得た。元ホストという噂どおり、イケメンなルックスで登場しためろん先生は、こちらの予想を超えるすごすぎる人物だった――。

聞き手:やまだ+塩澤

■海猫沢めろんインタビュー「関西地獄篇」

――海猫沢さんは昨年、『左巻キ式ラストリゾート』を出し、一般的にはあまり知られていないレーベルから刊行された作品ながらDTP的に非常に凝ったつくりのもので、タニグチリウイチさんをはじめとして書評などでも取り上げられ評判になりました。そもそもどういった経緯であの作品はリリースされたんでしょうか?

海猫沢 この作品は、セレブリティなエロゲームのノベライズなんですよ。知り合いが何かエロゲーの企画を出さなきゃいけなかったときに「なんか出してみて」って言われて、ノリでオレが書いた『ぷに☆ふご~』っていうゲームの企画を出してみたら、それが会議を通っちゃって。「え? マジでやんの? 漢だね」みたいなのがそもそもですね。


――『ぷに☆ふご~』は「大富豪」のエロゲ-版と伺っていますが……。

海猫沢 個人的にいわゆるエロゲーは「ゲーム」じゃないと思ってるんですよ。Keyとかの作品は「ゲーム」じゃなくて「ビジュアルノベル」。それで、自分がつくるのは「ゲーム」だから「大富豪」をやろうと。ゲーム=大富豪という発想が貧困ですが。最初はゲームにはシナリオすらない予定だったんですよ。純粋な「ゲーム」にしようと思ってたから。でも、「書いて」って言われたから書いたんですけど。
オレの中では、データベース理論を駆使して、今、人気のある女の子を12パターン出せば、動物的なやつらは買うだろう、これで大ヒットだ! 『シスプリ』より売れるぜ!
……って思ってたんですけど、やっぱ魂のないゲームは売れなかった。たぶん1000本も売れなかったんじゃないかな……。

――採算取れてるんですか?

海猫沢 いや、けっこうヤバい。ゲーム会社には悪いことをしてしまった。

――(笑)。そこから、『左巻キ』を出すにいたったのは?

海猫沢 そもそもは本を出すためにゲームをつくったんですよ。「『ぷに☆ ふご~』はすごいことになるぜ!」って思ってたから。契約書つくるときに、アニメ化とかノベライズとかメディアミックスしたときの権利を全部オレが持つことにしてて。でも、ゲームがさっぱり売れなかった。まさかと思った。わりと凹んだ……。
ノベライズは、最初別の方が書くはずで、プロットまで上がってたんです。けどやっぱゲーム買ってくれた人に対して何らかの贖罪というか。買ってくれたのにこんなんで申し訳ないという気持ちがあって、ギリギリまで悩んでやることにしました。プロットまでやってくれた作家さんにも、大変申し訳なかった……。
『ぷに☆ふご~』の世界観は、もともとはコミカルなものだったんだけど、1000本売れてないゲームの本出して何冊売れるんだ!? とか思ってそんじゃ全然違うものにしたほうがいいだろうとか考えて。
小説出してくれるレーベルの社長がいまいちやる気がなくてねえ……。お金が取れるかどうかわかんない作品に対してリスク負いたくない、っていうようなことをはっきり言われて。もっともなんですけど。話聞いたら、ほとんどの本は初版売り切りで増刷かけないらしいので。

――そうなんですか? 『左巻キ』、昨日(1月31日)新宿の紀伊国屋で見たら品切れになってましたよ。

海猫沢 そもそも仕入れてないんじゃ……まあ、とにかく出版社の社長さんには「初の増刷かけましょうよ!」って言ってたんだけどね。重版とかいう前に、なぜか台湾版が出てしまった……150元。いくらなんだろ……そもそもお金はいるのかな。
続きを話すと、レーベル側のやる気のなさ――というか、今考えると単に慎重なだけだった気がしますが――に「もういい!」と思って、小説書くのもDTPも、全部自分でやることにしたんですよ。でもギャラは**万円しかない。表紙はゲームのパケ流用するって言うから「いやそれは違うんじゃ……」とかって言ったら「変えてもいいけどお金だせない」って言われて。
それなら「どうせ自分の金なら、オレが好きなエロ絵描きさんでなおかつ人気がある人に頼もう!」と思って、三浦靖冬さんと鬼ノ仁さんの連絡先を調べた。


快楽天とメガストア編集部に電話して「あ、あのすいません……わたくし……う、海ネコ沢めろんといいまして……先生に、ぼ、ぼくの小説の絵をかいていただきたいのですが……」「はあ!? なに、だれ!?」とか言われて。たぶん痛いファンだと思われてたんでしょうね……そのとおりなんですけど。
三浦靖冬さんは直接こっちに電話をいただいたんだけど、ちょっとタイミング的に無理だった。で、鬼ノ仁さんとお会いして打ち合わせして、最初は表紙だけ描いてもらうはずだったんですけど、書いた原稿渡して読んでもらったら中も描いてくれて。それを**万とかでってのは仕事としてまずいから、結局二人で折半して**万ずつですね。

――全部本つくって、取り分**万ですか?

海猫沢 うん。デザインもDTPも……とにかく全部やって**万。一ヶ月もたない……オレ、この作品出たあと、フツーに半年バイトしてるからね。出てしばらくは何も反響なかったしね。「終わった……」って思ってたもん。

■オタ→男塾→ブルーカラー→ホスト→○○○→?

――作品の話や反響についてはまた後に伺うとして、ところで海猫沢さんってゲームをつくる前は、どういう経歴を歩んできた方なんですか?

海猫沢 経歴? いやー、話すと長いよ……。順番に言うと、オタク、土方、ホスト、○○○、デザイナー、で、今に至る。

――え???

海猫沢 遡って最初から話すと、オレ中学校の頃は超いじめられっこのオタクで。教室で『ダーティペア』の下敷きをヤンキーに折られたりとかしてたんですよ。


――ユリとケイがまっぷたつに。

海猫沢 うん。その頃は完全な二次コン。二次元コンプレックス人間。ほとんど宗教ですよ。アニキャラは御本尊様ですよ。当時はアニメのキャラのフュギュアとか今みたいになかったけど、もしあったら、絶対毎日拝んでるね。神棚に祀ってますよ。アニメのキャラが神聖すぎてオナニーのネタにもできないくらいのピュアな少年で。現実の女の人を見ても全然勃たなかったし、興味なかった。三次元なんてカス以下ですよ。
酒鬼薔薇が言った「透明な存在」まではいかないけど「半透明な存在」。ヤバイ。ギリギリですよ。絶対「何か」降りてきてましたね。

■オタが放り込まれたリアル『男塾』

――何か転機はあったんですか?

海猫沢 そのヤバすぎる状態はいったん高校で抜けて。
っていうのも、オレは出身が関西なんですけど、ダウンタウンの浜ちゃんもネタにするくらいに関西では超有名な全寮制の男子校があって、そこに通ってたんですよ。なかば少年院……というか「少年院よりひどい」ってヤンキーからすら言われてた、とんでもないところで。そこは性格が悪いやつと、頭が悪いやつと、育ちが悪いやつしかいない学校で……ホントに。
超厳しい学校でしたね。家に帰れるのは二ヶ月に一回だけ。山の上に学校があって、山の下に寮がある。街からも隔離されて、周りは山しかない。生徒が逃げられないように敷地の周りに有刺鉄線が張ってあるんだよ(笑)どう考えても高校じゃない。夜になるとサーチライトが煌々と輝いて、門の前には怖い守衛さんがいる。前にホームページ見たら「我が学園は衛星軌道上からも見えます!」って衛星写真が載ってた。

――『魁!!男塾』みたいですね。

海猫沢 そうそう、「ここが絶対『男塾』のモデルだ」ってみんな言ってた。『男塾』の方が楽しそうだったけどね……。
自由時間がないんだよ。寮は1部屋36人のタコ部屋で、机とベッドしかない。朝5時半に起きて、3秒で自習机につかないといけない。できないと先輩からリンチされる。で、起きがけに毎日3キロマラソンするんだよ。しかも山だから超きつい斜面。どんな凶悪な不良も、そこまで走らせれば暴れる気力も起きないっていう戦略らしいんだけどさ(笑)。で、マラソンがない日は体育館――道場って呼ぶんだけど――を「ワッショイ! ワッショイ! ワッショイ!」ってかけ声出してハードコアにヘッドバンキングしながら雑巾がけをする。冬はみんな頭から湯気出て、自分の出した湯気で視界が曇る(笑)。そういう生活を続けてた。

――じゃあ、テレビも全然見れないような環境だった?

海猫沢 テレビは寮に1台だけあって、チャンネルの権利は『男塾』で言うと大豪院邪鬼にあたる学園のボスが持ってるから、下級生は後ろの方で「休め」の姿勢をしながら見なきゃいけないんですよ。もちろん座っちゃダメ。
そこまでしてテレビ見るのもバカバカしいから、オレはテレビ見なかった。で、そこで初めて夢中で本を読むようになるんですよ。

――というと?

海猫沢 その学校は自習時間が1日5時間くらいあるんですよ。その間、動いちゃいけないし、立っちゃいけないんだよ。トイレ行くにも音を立てちゃいけないから、靴を脱いで裸足でいかなきゃいけないくらい静かにしなきゃいけない。当然、勉強なんかしたくないからやんないんだけど、マンガも雑誌もダメ。でも小説はOK。
……っていうところで、オタ絵がついてる小説はマンガと小説の間だから「これだ!」と思って。ギリギリOKだったんだよ。それで、そういう学校にもオタクはいるから、仲間4人で購買リストをつくって、2ヶ月に1回実家に帰るときにみんなで分担して本を買ってさ。A君はソノラマ担当、B君は大陸書房とアニメージュ文庫、C君はハヤカワとコバルト、オレは主に富士見とスニーカー担当、《グインサーガ》とか《幻魔大戦》とか長大なシリーズものもコンプリートして回し読みした。でも頭悪いから、基本は表紙の絵を見て本を買ってたんだけどね(笑)。言っちゃ悪いけど、中身なんかどうでもよくて。だから、たとえば菊地秀之の本は絵が高尚だったからオレは買わなかったし。海外ものとかブラシ系の絵はアメリカンだからダメ。やっぱ真鍋譲治だよ! とか言って。『魔群惑星』買ってた。



そう、ちょうどその頃が、『スレイヤーズ!』とかのラノベブーム期にぶちあたるんですよ。ラノベっていうかオタっぽいイラストついてるから「オタク小説」略して「オタ小」って呼んでたんだけども……。オレは1988年の〈ドラゴンマガジン〉と〈角川スニーカー文庫〉〈富士見ファンタジア文庫〉創刊年がラノベ元年だと思ってるのね、勝手に。もうね、角川系列の会社の本は万引きするくらい欲しかった。出てたライトノベル全部買ってたもん。ドラッグと一緒。角川書店は悪ですよ! ○○○漬けですよ!

――あそこの偉い人はホントに○○○漬けでしたけどね……。

海猫沢 それで、高校から小説を読むようになって、自分でも創作するようになった。創作っていうか垂れ流し。メソッドもないから『ムー』で得たうすーい知識でおもしろくない自己満足の妄想をノートにびっしり書き込んでた。あと「この閉ざされた檻の中から抜け出して……」みたいな痛いポエム書いてたら寮の先輩に見つかって回し読みされて「お前のポエムおもろかったよ」とか晒しものになったこともあったね。「もう絶対書かねえ!」って思ったけど。

――ところで、海猫沢さんは音楽もやっていると伺ったんですが、いつからですか?

海猫沢 高校からギターを始めた。っていうか高校のときの知り合いがソフィアのドラムやってるんだよ。赤松って言うんだけど、当時、ビジュアル系の話をできるのが赤松だけだった。BOOWY全盛時代だったんだけど、オレらは Zi÷killとかデランジェとかDIE IN CRIESとか横須賀サーベルタイガーとかが好きでさ。『特攻の拓』的に言うと「あいつだけがロックンロールのことを話せた」って感じだね。元々はオレ、アニソンとイメージアルバムとゲームミュージックしか聴かなかったんだけど、高校でビジュアル系に目覚めましたね。ビジュアル系の人たちはみんなキャラ立ってて、アニメキャラっぽかったからなじみやすかった。

――静かにしてなきゃいけないのに、楽器はどうやって練習してたんですか?

海猫沢 寮でギターがある日解禁になってギターブームが巻き起こった。アコギじゃなくてエレキだとアンプなけりゃ静かだから。そこから練習しまくりですよ。オレはいきなりイングウェイとかから入って。


――イングウェイ・マルムスティーンは全然ビジュアル系じゃないんじゃないですか(笑)。バカテクギタリストをお手本にしてたんですか?

海猫沢 いや、最初にギターをはじめるときに、世界で一番上手いヤツを参考にしたらきっと半分もコピれなかったとしてもかなり上手くなってるはずだと……。それにイングウェイとビジュアル系は耽美的なところが通じなくもない。で教本に載ってたパガニーニの「24のカプリース」とかをギターで練習してた。もちろん最初は全然弾けなかったんだけど、反復練習を続けるうちに脳内革命が起こって突然できるようになった。でもコードはロクに押さえらんないんだけどさ(笑)。で、ビジュアル系バンドをやってた。卒業してからもしばらくは赤松と会ってたんだけど、ある日家に電話したら親父さんが出て「●月●日CD発売……●月●日テレビに出演……」とかって宣伝マシンになってて、それで連絡先教えてくれなくて……そしたらいつの間にかソフィアになってた。


たぶん今会ったら「誰だっけ?」って素で言われそうな気がする。覚えてるかなあ……赤松※。

※補足 2018年に連絡が来て久しぶりに会えました。

■ブルーカラー時代~最強伝説海猫沢~

――男塾を卒業した後は?

海猫沢 高校卒業した後は、バイトで溶接工やってたんですよ。いじめられっ子だったけど、そういう高校で鍛えられたから、地元帰ってきてヤンキ-とかヤクザ見ても、もう、界王様のとこに行って帰ってきた悟空ですよ。下界は重力が五分の一くらいの世界なんですよ。「やべえ、オレ強くなってる」とか思って。三倍界王拳が使えるようになってたわけですよ。全然こわくなくなってた。

――それでいじめられっコを脱出したと。

海猫沢 で、まあ、工場で働いていつつも作家に憧れてる超DQNワナビーで。花村萬月が好きだったから「とにかく色々経験しなきゃ。作家にとっては経験が財産だ!」とか思ってバイトいっぱい掛け持ちしてたりしたんだけど、同時に「地方で土方やって、一生このままで終わるな」っていうのもわかってて。その頃はよくわかんないままに大江健三郎とか村上龍とか村上春樹とか水上勉とか丸山健二とか安部公房(笑)、全く中身は理解してないんだけどフッサールの初歩的な解説書みたいな哲学の本も読み始めてましたね。「現象学が!」とか土方のオッサンにふっかけたりしてた。あとは流行ってた構造主義とかの本。さっぱりわかんなかった。


――読書の趣味がめちゃくちゃですね。

海猫沢 基本はオタクなんだけど、なんでもありなんですよ。今もそうなんだけど、ジャンルを全く気にしてなくて。体系的な読み方を全然しなかった……っていうか友だちがほとんどいなかったから、教えてくれる人もいなかったしね。横に浅く広く、ランダムに読んでた。
当時、現場で本読んでたら土方仲間のオッサンとかに「ハカセ」ってアダ名つけられた。お前らよお! まんまじゃん! ひどすぎるよ! っていうか高卒じゃんオレ! ……っていうような環境ですね。
でも「オレ、頭いいかも!」って錯覚もしててさ。働いてても他の人と話合わなかったし、色々あって工場の職人さんとケンカしてしまうんだよ。鍛冶屋の職人とケンカして、そのオッサンをトラックで曳き殺そうとしたときがあって。

――トラックで曳き殺す(笑)

海猫沢 「透明な存在」まであと一歩のやつだったからね(笑)。そしたらその職人がキレて「やめる!」っつって帰っちゃった。でもオレはたいした技術もない、仮面被って溶接するだけのペーペーだからね。だから親方が「悪いんだけど、お前が辞めろ」と。
最後に親方がキャバクラに呑みに連れてってくれてさ。やめるやつをキャバクラに連れていくっていうのがオヤジのセンスだよね。でも、オレは二次コンだから「三次元の女なんか全然興味ねえ」とか思って嬉しくもなくて(笑)。
で、そのときにキャバクラの姉ちゃんに「あんた、仕事ないの? じゃあ、かっこいいからホストになりなさいよ。ラクだよホストは」って言われて、次の仕事なんて全然決まってなかったら「お願いします」って言って、それで次の日からホストになった。紹介されたホストクラブの名前がすごいんだよ。「ジゴロ」。

――そのまんまじゃないですか(笑)

海猫沢 ホストやってるときに、おいしいシチュエーションもいっぱいあったけど、二次コンだったから全部ダメにしたなあ……パラメーターの上げ方がよくわからなかった。

■オタ+○○○=悪魔合体時代

――ホストの後が……○○○ですか?

海猫沢 ホストクラブの元締めが○○○だったんですよ。で、その事務所にクラブの売り上げ金を納めに行ったりしてるうちに、なぜかいつの間にか。
ホストクラブ自体はすぐに潰れちゃうんだけど、オレらの給料出てなくてオーナーの家に取り立てに行ってたら電話が掛かってきて「新しい仕事を紹介してやるからもう来るな」とか言われて。んで、そんときたまたま知り合ってたやつと二人で、ポーカーしかない大人のゲームセンターみたいなもの(笑)をやることになって。

――90年代「データハウス」の世界ですね。

海猫沢 怖いお兄さんが来ると、店の倉庫が魔空空間になるんですよ。あまり詳しく言えないけど。その頃も本読んでるんだけどね。ハヤカワから出てる『SFハンドブック』見て古本屋で片っ端からSFも買って読んでたり。大人のゲームセンターでラヴクラフトとか幻想文学読んでた。超アンダーグラウンドだったね。「ラヴクラフトやべー、別次元から旧支配者が来るんだよ。ふんぐるむなう~」とかオタ二人で言いながら、店仕切ってるわけですよ。狂ってた。


――(笑)

海猫沢 あの頃はオタクと○○○が絶妙に悪魔合体してたね。「コンゴトモヨロシク」だった。邪教の館ですよ。ヤバい。ナイロンのトロピカルのズボンに、女の人の絵がプリントされた膝下まであるシャツ着て、首から金の十字架ぶら下げて、しかも金髪を『餓狼伝説』のテリー・ボガード風に後ろで結んで、セカンドバッグはパチモンのハンティング・ワールドとかさ。で、靴はよくわからないデッキシューズ。ハイブリッドすぎた。全然意味わかんない。こいつのルーツがわからない。超生命体。トランスフォームしてた。コンボイ司令官を余裕で超越してた。しかもオレ、自分のことオシャレだと思ってたからね。それで店でオタ小説読んだり、アニメイトに行ってたんだよ。地元の声優イベントで水木一郎先生と一緒に『マジンガーZ』の主題歌歌ったりさ。新しかった。

――○○○+オタの後は……?

海猫沢 オレは店やりながらせっせせっせと貯金してて。カネに汚いところでイヤになったっていうのもあったし、さすがにこのままこんな仕事続けててもマズイのもわかってたから、「もうやめよう!」って考えてお金を溜めて。
秋山瑞人の『猫の地球儀』ですよ。「ぼくはこの惑星から脱出するんだ!」ですよ。ダークな重力に魂を囚われてたからね。もう、スカイウォーカーの気分ですよ。100万円溜まったところで足を洗った。オレは幸い住んでるところも知られてなくて、当時は携帯もなかったから、いきなり消えたらよっぽどのことがない限り捕まらないんですよ。それで縁が切れた。

■スーパー編集/デザイナー時代

海猫沢 で、100万溜めたお金で大阪の編集の専門学校に通うことにしたんですよ。

――なんで編集の専門学校なんですか?

海猫沢 その頃、オレは編集者になりたかったの。小説家にもなりたかったけど、典型的ワナビーで、話の冒頭しか書けない全然ダメなやつだったからね。大阪はほとんど出版社ないからメディア幻想もでかくて。出版とか編集に超憧れてたんだよ。出版社ってソニーみたいな大企業と同じイメージ。「編集者」って土田世紀の『編集王』に出てくるような人ばっかだと思ってたからね。常に「ウワー!!」って叫んでる、テンションの熱い人のことだと思ってた。実際の編集者に会ったらそんなことなくて、「おかしいな」って思ったもん。
まあ、でもそこの学校は阪神の亀山の弟くらいしか有名な人が出てないんだけどね。


――出版と全然関係ない(笑)

海猫沢 その頃ちょうど大震災があってさ。家の本棚が倒れて本の角に攻撃されて死ぬかと思った……。そんで電車が不通になっちゃって、大阪で一人暮らししながら北新地のキャバクラでバイトしてたんだけど、震災後だから客が全然こなくて。それでずーっとそこでも本読んでた。幸せだった。

――その頃はどういう作品が好きだったんですか?

海猫沢 新本格直撃。高校の頃の角川に続いて講談社ノベルスにやられた。そこから遡ってポーとかカーとか乱歩、中井英夫とか読んだりしてミステリに目覚めた。専門学校のときに『エヴァ』があったんだけど、もうキャラを拝めなくなっちゃってたねえ。二次元キャラを信仰できなかった。その頃は堕落して三次元でもヌけるようになっちゃってさ。洗脳が解けちゃったんだよ。しかもオレは 80年代OVAのビキニアーマーの女の子とかが好きだったから、『エヴァ』は絵的にもピンとこなくて。もちろん作品としては最高なんだけど。キャラに恋は出来なかった。
そう! 80年代ビキニアーマーはヤバいんだよ!!!! オレはビキニアーマーものOVA全部買いましたよ。ドリームハンター麗夢、アウトランダーズ、夢幻戦士ヴァリス、幻夢戦記レダ、厳密にはビキニアーマーじゃないけど夢次元ハンターファンドラ、SF・超次元伝説ラル……そしてビキニアーマーの同人誌で、オレはあらいずみるいさんと出会ってるんですよ。だから『スレイヤーズ!』あらいずみ先生の絵がたまらないわけですよ……ってダメだ! こんなこと言っててもキリないよ!
あ、あとこの頃バンドにもハマッてたね。


――ビジュアル系バンドですか?

海猫沢 いや、この頃はさすがにグランジにカブれてた。ビジュアルっ子だったから最初ニルヴァーナ聴いたときも「なんでシャクって歌わねえんだよ!」とか、ビジュアル系的にはギターに噛ますエフェクターの基本は「ディストーション+コーラス」だから「こんなギターの音は耽美じゃない!」とか思ってたんだけど。でも、気づいたら冴羽僚がJ・マスシスになってたんですよ。ダイナソーJrのギタリストね。『Where You Been』をカセットテープで聞いて一曲目の「Out There」で痺れた。轟音泣きギターにやる気がないへろへろヴォイス。ニールヤングのパチもんだと思ったけど、よりカオティックだった。たまたま交流が再開した近所の幼馴染みがマニアックで、ジム・オルークとかのエレクトロニカ系やシー・アンド・ケイクなんかのシカゴ系を聞いてて。一緒にライブも行ったりしてたな。基本的に人が多いところ嫌いなので、客が入らないバンドしか見に行かなかった。マーキュリー・レヴのライブで音楽聴いて初めて泣いた。


――ビキニアーマーとグランジの組み合わせも悪魔合体のニオイがしますね……。で、専門学校を卒業して、東京に出てきたんですか?

海猫沢 いや、その後は編集の学校で覚えたデザインで仕事してた。デザイナーとして3年間大阪でサラリーマンやってましたね。東京出ないと出版社なんてないから「大阪から出ないと」って思ってたんだけど、最後にどっか一個会社を受けてみて、それで落ちたら東京に行こうって決めたのね。
で、オレが大阪で受けたのは「人生を一緒に変えましょう」って求人広告に書いてる超うさんくさい会社があって、そこに仕事が「編集」って書いてあったの。
「これだ!」と思って受けに行ったら、社長が一人しかいないヤバそうなところで突然ファミコンの話をされた。モト冬樹そっくりの社長に「ファミコンの卸売りのチラシ配布の仕事を副業でやっていたんだけど、ぜんぜんダメだ」とかそういう話を聞かされて「今時ファミコンはないっすよ」って言ったら「そうか…… 君はハイテクだな」みたいなことを言われて……。仕事が食品会社の販促ツールをつくるとこだったんですよ。でも「採用!」って言われちゃったから、そこでデザインの仕事とかをするわけ。スーパーの「つくね」とかの販促グッズのね。そこでクォークとかDTPソフトを覚えた。Macがまだ「漢字Talk 7.0」とかのときだよ。
そこの会社で「ホームページ作成業務を先駆けてやろう!」とか言って、やらせてもらったんですよ。そこでネットを始めて、初期の読書系サイトの人たちと知り合って、東京にも知人ができた。オフ会とかに遊びにいけるようになったわけ。閉塞的な環境から抜け出して、救われた。

――そう言えば海猫沢さんはテキストサイト勃興期に伝説的な書評サイトをやっていたと聞いたんですが……。

海猫沢 伝説的……いや誰も知らないと思う……「Freak Scene」(後にDEATHぷに)。1995年くらいからやってた。でも書評じゃなくて感想なんだよ。もっと正確に言うと罵倒しかなくて。どの本の感想見ても「死ね」とか「焼く」とか「ゴミ」とか「燃やす」とかしか書いてなかったね。ひたすら思いのたけをぶちまけてた。
ただ、ラノベとかミステリとかSFとか、とにかく文芸全部を網羅してるサイトってなかったんですよ。そんときは本についての意見はかなりどうでも良くて、○か×だけ分かれば良かった。だから量で勝負するサイトを求めてたんだけど、その頃はまだジャンルにこだわらない読書系サイトがほとんどなかったから、自分でつくった……つもりだった……。まあ、とにかくあれがきっかけでいろいろ助けられました。

――話を戻すと、ホームページ作成業務をやりつつ書評サイトもやりつつ……の生活がしばらく続いた後に上京ですか?

海猫沢 いや、オレはデザインの仕事やってる時間以外はノイローゼ気味な時期があって。そんときエロゲーにもハマッてたから、なぜかアリスソフトを受けようと思ったんですよ。住んでるところからチャリで通えるくらい会社が近かったっていうのもあって。
オレが一番最初にハマったエロゲーは『あゆみちゃん物語』。あと『闘神都市』とか。アリスソフトは神だったんですよ。『あゆみちゃん物語』は、ただヤるだけのソフト。延々とあゆみちゃんっていう女の子とヤるだけのすばらしいソフトなんですよ。ラッシャーヴェラグ先生の絵がエロくて……あゆみちゃん大好きだった。すげえ好きだったなあ……せつないなあ。マジで泣ける……青春だ。実写版も出たんだけど、実写版は断固認めなかったね! ここでFM-TOWNS の話とかしたいんだけど……やめよう! それもアンダーグラウンドすぎる。キリがないから、次行こう、次。
まあ、アリスソフトに『RPGツクール』のオマケで付いてるようなソフトでつくった音源を送りつけたりしたんだけど、全然引っかからなくて。


――えーと……東京にはいつ出てくるんですか?

海猫沢 会社やめようと思ってるときに、ラジオで10枚が上限の短篇小説を募集してて、それに応募したら入選して。「書いてみませんか」っていうオファーが来て、それで地方のFMが主宰の番組にメルヘンちっくなラジオストーリーを毎月書いてたの。でも、10枚だからモノにならないんだよね。小説じゃないんだよ。どうしてもダメでさ。そのラジオストーリーの入選者同士で講評会 ――まあダメ出し会――とかをやってるんだけど、10枚だからどうしようもなくて。やっぱり先が見えなかった。
それでいろいろあって、やっと東京に出てくる。そのとき24歳か25歳ですね。


海猫沢めろんインタビュー「東京煉極篇」へ続く……

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