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夏の方舟 #01-05

#05

 黒坂は俺が小学校五年生の春に、県の移住者プログラムに応募して母親とふたりで島にやってきた。新しい人が移住してくるのはめずらしいと言って、村のひとたちが好奇心まじりに話していたのを思い出す。
 教会の信者だった母子は、牧師──つまり遠野宮の父──の檸檬畑で仕事をはじめた。派手な美人の母親と、端整な顔をした利発そうな息子。すぐにうわさになった。
 ある日、俺は寝坊したせいで一〇分ほど遅刻して登校した。
 島の学校は子供の数が少なく、一六人程度なので、上級生も下級生も同じ教室で授業を受ける。俺と遠野宮は五年生で、小学校では一番年上だった。
 教室に入り、席に着いて一息吐き、隣を見ておどろいた。
 いつのまにかしらない生徒がひとりまぎれていたのだ。

「きょうからこのクラスに来た転校生の黒坂聖くん。四年生よ」

 四年、年下か。
 黒坂、聖。
 目があった瞬間、心臓がどきどきした。
 波打った長い髪と大きな瞳は異国の血が混じっているのか、色素が薄く、まるで深海に住む綺麗な魚のようだった。光っているみたいな白い肌と、信じられないほど華奢で細い手足を見ているだけで、なんだか危うい気分になった。

「女子……?」

 性別が、わからなかったのでそう訊ねると、クラスの数人がくすくすと笑って黒坂を見ながら「オカマ」「変態」とささやいた。

「みんなやめなさい。黒坂くんは男の子よ」

 黒坂は興味なさそうにあさっての方向を見ていた。

「はい、じゃあみんな授業をはじめましょう」

 先生が黒板のほうを見たそのとき、「しね」という小さな声とともに、脳天にものすごい衝撃が走った。襲ってきた激痛に混乱していると、椅子が蹴り倒されて床に転げ落ちた。苦痛に呻きながら、となりの席の転校生を見あげると、平然とした顔で?杖をついて黒板をながめていた。
 机の中から縦笛がはみ出しているのが見えた。
 涙をふきながらよろよろ立ち上がると、先生がきょとんとした顔でこちらを見つめていた。

「どうしたの?」

「なんでもありません……」

 椅子に座ると、黒坂はこっちを見て、口許をすこし歪めて笑った。

 休み時間になると、黒坂はいきなり話しかけてきた。

「さっき僕のこと女だと思っただろ」

「……まあ」

 と返すと、何も言わずにニヤニヤと笑いながらこっちを見つめてくる。居心地が悪くてそわそわしていると、他の四年が黒坂に言った。

「おい、おまえ。年下なんだからちゃんと先輩には敬語使えよ」

「は? なんで?」

「いいから。そういう決まりなんだよ」

「めんどうくさいな」

「おまえ生意気だな」

 そのとき、遠野宮が四年の男子のあいだに入った。

「黒坂だっけ。前の学校じゃどうだったか知らねえけど、一応うちの学校の決まりなんだよ」

「はいはい先輩。名前なんでしたっけ」

「遠野宮だ。こっちは水無月」

「わかりましたよ。遠野宮先輩と水無月先輩」

「おう。それでいいよ。じゃあ一緒に遊ぼうぜ。なにする?」

 休み時間になると一応は下級生らしく俺たちのことを先輩と呼んだが、それは面倒を避けるために得だからといった打算が感じられるものだった。ひねくれた性格にあきれながら、その見た目に、誰もが魅了された。
 黒坂には遠野宮とは逆の、暗くて湿った色気のようなものがあった。

(つづく)






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