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夏の方舟

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『夏の方舟』(KADOKAWA)を無料公開しています。 内容にはご注意ください。
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記事一覧

夏の方舟 最終話 #04-07

最終話 07  翌日、学校へいくと先生が言った。 「はい。今日は重要なお知らせがあります。宇仁田ハルキくんが、海外の学校へ行くことになりました」  後半は上の空だった。  うに子がいなくなった? うそだろ?  なんでもアメリカだかどっかの大学からスカウトされてあっちに行ってしまったらしい。  あまりにあっさりしすぎて冗談みたいだった。前から、その大学からはスカウトされてたんだけど、ずっと断ってたって話だ。あいつのいってたMIBっていうのはその大学の頭文字で、しかも間違っ

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夏の方舟 #04-06

06  三〇分ほど歩いてコンビニを見つけたのでそこでジュースを買って二人で飲んだ。  駐車場には誰もいなくて、ぼくとうに子だけが疲れた足を伸ばしてそこへ座っている。 「あ」  ケータイに着信が入った。着信名は家。ぼくはすぐに電源を切った。 「どうしたの?」  うに子はミネラルウォーターのキャップを開けながら小首をかしげる。 「なんでもねーよ」  家のことなんか考えたくない。  カルピスソーダを一気にあおると渇いた口の中で炭酸がはじけて痛い。  駐車場のすみで、なにかが

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夏の方舟 #04-05

05 「そういうわけなんで、ちょっと家出してきます」  隣の姉ちゃんの部屋のドアをあけ、ベッドの上に座って本を読んでいるSに言うと、 「思い出した」  そう言ってポケットからよれよれの茶色い革の二つ折り財布を取りだしてうに子に放り投げる。 「それ、返しといて」  うに子が不思議そうにそれをあけると、中には免許証とうに子の写真が入っている。 「これ、うちのお父さんの……」 「あとで慰謝料払ってもらう。用意しとくように言っといて」 「……え?」 「君の父は僕を

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夏の方舟 #04-04

04 「お、おおう」  家に帰って部屋に入ると女がいた。 「どど、どうも……どうもです」  マッジッで何勝手に部屋はいってんだよこのボゲェ! とか言いたくならなかったのは、女がベッドに腰掛けて本を読んでいる姿がけっこうかっこよかったからだ。ぼくはランドセルを椅子の背中にかけて、ポケットに手を突っ込んだままSの前に立つ。 「な……なによんでるんですか」 「これ、読みたかった小説。すごい趣味してるね小学生なのに」  おいおい、小学生だからってナメんじゃねえぞ、謝罪の言

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夏の方舟 #04-03

03  翌朝おきて学校に行くと、一時間目からファックな展開が待っていた。 「はーい、今日はこないだのテストを返しますよ~はなまるの人が今回はふたりもいますよぉ~」  そうテストの結果発表だ。それはおいといて、この若き女教師であるところのコナミ先生はテレビの子供番組の司会者と教師という職業を勘違いしているとおもう。彼女の振るまいは、むしろ見ているぼくらが恥ずかしいので、温かく見守ってやっている。おかげでこのクラスは学年でいちばん学級崩壊していない。大事なのは慈悲の心だとお

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夏の方舟 #04-02

02  家に帰ると、すぐにトイレにこもる。  東京の南の郊外の一軒家。猫の額ほどの土地にもかかわらず、べらぼうな値段で、本当ならばいまだ我が家はローンを払っているはずだが、それはそれ、父の死によって入った保険金によってローンはほぼ返し終わった。  いつからだろう。ぼくは空間の大きさに反比例して自分の思考速度が上がるという法則に気付いた。狭ければ狭いほど考え事がはかどる。だから宿題は、押し入れの中にライトを持ち込んでやったりする。  ところでいったいあのうに子の性に対する飽く

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夏の方舟 #04-01

最終章「こどもたちの素数」 01 「野球ふりかけ、井川が出たの!」  教室の最前列でうに子が叫んだ。  昼休みの教室。ぼくは食事中の大多数生徒たちの刺すような蔑みの視線を背中に受け、やきそばパンをもぐもぐと咀嚼し、型落ちのガラケーで撮った写真を整理していた。くっつけられたぼくとうに子の机の中間地点におかれた弁当はいつも通りに白い米のみ。加えて八個入りのふりかけがワンパック。このふりかけ八種類を一度に白い米にかけて食べるのが毎日のうに子の昼食だ。うに子の親はふりかけ工場で

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夏の方舟 #03-08

08  風の音で目が醒めた。 「……っつ」  寝返りを打とうとすると、腹に灼熱の棒を差し込まれたような痛みを感じた。シャツをめくってみると腹部には白い包帯が巻かれていた。いつ服を着替えたのか、思い出せない。  窓のカーテンのむこうからうす暗い夕陽が差し込んでくる。どうやら夕方らしい。半日眠っていたようだ。 「お、やっと起きたか?」  思わぬ声に、身体をびくんと固めたせいで腹部に強烈な痛みが走り、息がつまった。 「調子はどうだ」  小田桐だった。 「どうして、い

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夏の方舟 #03-07

注:過激な描写を含む表現がありますので、苦手な人はご注意ください。 07  二ヶ月が過ぎ、夏も終わりかけた金曜の昼のことだった。  町工場の職人たちと煙草を吸いながら、小田桐がまたなにかを話しているのが工房の窓から見えた。たまたま目があった小田桐が手招きしたので、気が進まなかったが、巻村もなんとなくそこに参加した。 「最近俺たちが行ってる秘密の場所があるんだけどさ──」  小田桐はそう言って職人たちに話し始めた。  それは巻村と小田桐が体験したことだったが、かなり脚色

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夏の方舟 #03-06

注:過激な描写を含む表現がありますので、苦手な人はご注意ください。 06  翌日、出社すると工房に小田桐はいなかった。  自業自得とはいえ、やはりあの日のことは強烈な体験だったのだろう。  長机の上に並んだバラバラ死体のような人形のパーツが、三日前のままになっている。  ドールの顔を取り、ナイフでバリを削り取る。シリコンとは違う、エラストマーの柔らかい感触は人間に似ている。  熱可塑性エラストマーはプラスチックとゴムの中間の材質だ。扱いが難しいがリサイクル可能な点と、柔軟

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夏の方舟 #02-06

06  翌日、水無月は蒸し暑さと蝉の声で昼頃に目覚めた。  頭痛薬を飲んで縁側の引き戸をあけてぼーっと風景をながめる。  感情がまた死んでいた。夏の陽射しにみずみずしい色をしているはずの風景も、ただ灰色と白のコントラストのある風景だとしか思えない。  ふらふらと歩いて玄関から出ると、灼かれたアスファルトの上で風景が歪んでいた。  奇妙に傾いだ身体でうろ覚えのまま道を辿り、なんとか人見の店にたどり着くと、クーラーが良く効いたひんやりした空気に息が楽になった。 「ひどい顔です

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夏の方舟 #03-05

05  三日間、巻村は部屋から出なかった。  床にジグソーパズルが散らばった、クーラーのないアパートの一室。そこに敷いた夏蒲団の中で胎児のように身体を丸め、排泄と食事をしている時以外は熱に浮かされたようにSのことを考え続けた。  その感情がいったいなんなのか、巻村にはよくわかっていた。  恋だ。  何年ぶりだろうか。  胸をナイフで抉られるようなその懐かしい感覚を味わうのは、あの女を殺して以来だった。  巻村は東京の裕福な家に生まれたひとりっ子だった。  物心ついたときか

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夏の方舟 #03-04

注:過激な描写を含む表現がありますので、苦手な人はご注意ください。 04 「皆様ごきげんよう。クラブ〈S〉にお集まり頂き誠にありがとうございます」  バーテンダーが一礼した後、静かに客たちの拍手が響いた。巻村と小田桐はカウンターのスツールに並んで座り、顔を見合わせていた。 「安っぽいアングラ演劇みたいだな」  小田桐が二杯目のレッドアイを片手に皮肉めいた笑いを浮かべた。 「今宵は秘密を守れる紳士淑女たちがお集まりのことと思いますが、くれぐれも、ここで見たことは他言

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夏の方舟 #03-03

#03  日が暮れるのを待って、巻村と小田桐は鶯谷の飲み屋に入り、酒を飲んだ。  巻村はハイボールを一杯飲んだだけで、あとは小田桐がひたすらビールを飲み続けていた。暑さのせいかいつもよりペースが速い。いい塩梅に出来上がった頃に、「そろそろ行くか」と小田桐がよろけながら立ち上がった。  鶯谷の駅から入谷のほうに抜ける入り組んだ路地裏を入り、その店を見つけた。  小田桐がいつもより酔っていることもあり、たどり着くのに苦労した。壁には蔦がびっしりと這っており、そこだけ外国のパブの

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