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夏の方舟 #02-03

#03


 私は、昭和の時代に関西のとある場所で生まれ育ちました。

 あまり上品とは言えないところで、多くは貧しい暮らしをしていました。子供のころからいろいろな悪い遊びを覚えました。盗み、のぞき、暴力、そして薬。とはいえ、子供だからたいしたものは手に入りません。私が好きだったのはトルエンを缶に入れて吸う遊びです。今どき、田舎の不良でもやらないような馬鹿な遊びです。溶剤が脳を熔かす強烈な酩酊感が好きで、その状態で妙な絵を描くのがもっと好きでした。

 あるとき、近くの公民館で絵の展覧会が行われました。ただの成金が篤志家を装って趣味で描いた絵をみせびらかして満足するような、そういうものでした。今でもそう思います。実際、子供の私にもそれがたいしたことがないことがわかった。本当にその絵はつまらなかった。ひたすら退屈な田舎の風景が描かれていました。だから、ひまつぶしに見に行った何人かの仲間が、戯れにポケットにいれた石をなげつけたのも無理はないことでしょう。

 気付いたら児童相談所にいました。私はめちゃくちゃになった絵の前で酩酊状態で倒れていたようですが、ほとんど覚えていません。仲間は逃げていたので、私一人が罪をかぶりました。そんなところでトルエンを吸っていた私も馬鹿ですが……。激怒した絵の作者が私たちを訴えて事件になりました。普通なら注意されて終わるところでしたが、それまでに仲間がやった車上荒らしの余罪が出てきて、仲間がそれを全部私のせいにしたんです。結果、少年院送りです。数ヶ月で出てきましたが、そのとき私につけられた保護司が山城さんでした。彼はまだ二〇すぎの僧侶でした。

 山城さんはまず、私に目標を持たせようとして、なにか好きなことはないか聞きました。絵が好きだった私は、刺青に興味がありました。人の肌に絵が描いてあるのが不思議だという、単純な動機でしたが、山城さんはどこからかマシンを見つけてきて私に手渡してそれで絵を描いてみろといいました。私はニードルをインクにつけて、恐る恐る彼の身体に絵を描こうとしました。でも、描けなかったのです。初めて使った人間に綺麗な線が引けるほどタトゥーマシンは甘くありません。深く彫りすぎても血液とともにインクが排出される。今思えばあのマシンは、セブンラウンドニードル──それもライナー用にスプリングを短くしたカットバックマシンだったので、比較的簡単にラインが引けたはずなのです。

 結局、私は小さな星を彫りましたが、ひどいものでした。山城さんは何も言いませんでしたが、私はそれを見るたびに、胸のおくがなんとも言えずざわざわしました。自分の下手な絵が他人の身体に刻まれている。しかも、それをこの人は一生背負っていくのだ──彼の身体に入った絵を見るたびに、厭な気持ちになりました。他人の肉体を通して、できそこないの私自身を突きつけられているようでした。ちゃんとしたところで絵の勉強がしたい──心からそう思うようになりました。

 それから私は自分でアルバイトしてお金を稼ぎながら、二年ほど人が変わったように勉強をしました。結果、一浪して私は関西でも有名な美術大学に通うことになりました。山城さんの思惑どおり、更生したわけです。

 しかし大学で絵を学んでいくにつれて、他の学生たちと同様に、一年ほどで絵描きとして生活することが不可能であることに気付きました。この国には芸術にお金を払うという習慣がない。それでも、絵を描ける仕事がないかと探すなかで、高校の美術教師というとりあえずの職にありつきました。妻と出会ったのはそのころです。結婚して聖が生まれました。

 あるとき、ひさしぶりに会った地元の友達と飲みにいった帰り、彼が妙な薬をくれたのです。アルカロイドの一種で、化学名はメチル・ベンゾイル・エクゴニン──要はコカインでした。

 子供の頃の悪い遊びグセが蘇ったのです。

 麻薬の誘惑は甘美でした。はじめは蒸留水に〇・一プロ、次第に〇・五。鼻の孔にさしこみ静かに鼻で吸う。注射も試してみました。注射の場合は幻覚や失神や虚脱がおきやすくて、思ったような多幸感はありませんでした。ところが不思議なことに鼻から吸ってみるとアルカロイドが全身にまわるせいか、つきさすような知的な快感があるんです。コーヒーでカフェインを摂取したときのように興奮が全身に走る。最初は爽快でした。仕事の疲れが消え、気持ち良かった。

 しかし、そのうちにコカインは私の眠りを奪いました。起きているあいだ、私はひたすら悪い妄想を繰り返しました。コカインの催淫作用は中毒初期のごく短期間に現れる作用だそうですが、私の場合はなぜかいつも淫靡な妄想だけが浮かびました。決してそれを実行するのではなく、不思議なことに、ただ、妄想だけがやけに次々と浮かぶのです。

 やがて、私は夜明けを恐れるようになりました。まるで断頭台に引かれていくように朝に向かうのが怖かった。夜だけが私の生きられる世界で、そのあいだじゅう、私の目はサーチライトのように輝いて、手を動かすことがただただ快楽で、目に映るもの頭に浮かぶものあらゆるものをデッサンしていました。しかし、夜明けが近づき夜が消えていくと、まるで身体を刻まれるような気がして、心臓の動悸が激しくなりました。その不安を消すためにまた私はその白く美しい雪のようなものを摂取しました。何日も眠らずにいると、何キロか先で車が小石をはねるおとが聞こえるんです。

 そのうち孤独がたまらなく辛くなってきました。麻薬中毒者の孤独は耐え難いものですよ。こんなにも素晴らしいのに、世間に面と向かって叫んでやりたいのにできない。くるしい。そこらじゅうの駅にいってみんなで輪になってたのしめば、きっと戦争なんてなくなるなんて馬鹿なことを、本気で考えたこともありました。正気ではありませんね。

 昼は美術教師の仮面をかぶり、夜は麻薬に耽溺する。

 そんな生活が続くわけがありません。

 私は一年も経たずに仕事に行かなくなっていました。

 お金がなくなっていった結果、私の代わりに妻がそとで働くようになりました。罪悪感はありませんでした。ただただ、薬が得られるという安堵だけがありました。

 妻が働いたお金で、私は新しい薬を手に入れました。先輩が、「珍しいものを手に入れたからやるよ」と、くれたものです。これまで見たことがないぎらぎらした結晶体でした。袋から出して指先でいじっていると、すぐにどろどろに熔けて、鼻のおくを突くような臭いがしました。おまけに触った指がひりひりして、水ぶくれになるほどでした。

 私が手に入れたのは、抱水クロラールでした。ご存じでしょうか。危険すぎて今ではもうほとんど手に入らないとんでもないサイケデリックです。劇薬のような結晶体を?み込むと、喉のおくから胃に、まるで稲妻が落ちるような痛みが走り、粘膜が一気に爛れます。しかしその瞬間に頭がすうっと抜けるような酩酊感が走り、一時間後には狂ったような性欲が湧き上がるのです。コカインのせいで使い物にならなくなった私の性器のかわりに、脳内で曲線の幻覚が渦巻き、どろどろに熔けた女の身体が、突き刺すように絶頂感だけを感じさせます。

 私は家で、昼夜問わず薬をやりつづけ、ある日、錯乱して道ばたで気を失いました。そのあとのことはもう覚えていません。檻の中にいました。

 妻が聖と島へ行ったことを知ったのは、そのあとのことです。
 

(つづく)






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