ケモノの医者の体験談 Vol.12 就活秘話 子供を預ける【保育園編】
長女を家庭福祉員さんに預けながらY動物病院で働いていましたが、勤務していた2年の間も保育園への転園は諦めていませんでした。
つまりずっと待機中。
ですがやはり未認可でもどこかで預かってもらっている人と、全く預け先がなく待機している人では後者が優先になるので、当然ながら転園のお知らせはありませんでしたし、私も役所へはほとんど足を運びませんでした。
保育園チャレンジ
2人目(次女)出産となり、さすがに子供2人を家庭福祉員さんに看てもらうことは経済的に難しいので、また色々動くのは面倒ですが、重い腰をあげ役所に行って相談することにしました。
職員さん1名をターゲットにして、役所に行くたび必ず同じ人に相談しました。ちなみに足繁く通って職員さんと親しくなった方がいいよというのは先輩ママさんからのアドバイス。
出産予定日1ヶ月前くらいに休職していたので、役所に通う時間は十分にありましたが、さすがに毎日行くと煙たがられると思い、適当な間隔でふらっと訪れていました。
するとまず、長女が自宅から自転車で20分くらいの場所にある保育園に入園が決まりました。そこで、長女を預けていた家庭福祉員さんに、生まれてくる次女をバトンタッチする形で預けることになりました。
理想とは少し違う形でしたが、これでとりあえずの仕事復帰の道はできたわけです。
いざ復帰、の直前に
産休の間はY動物病院のホームページ制作や更新などを担当したり、自分の勉強のためにペット関係のどんな質問でも受け付ける掲示板を立ち上げたりして、脳みそが溶けない程度にダラダラとしていました。
いよいよ復帰する日の少し前に役所から電話があり、次女も保育園に入れそうだと連絡がありました。
それは自宅から目と鼻の先の保育園でしたが新設で、しかもゼロちゃん(0歳児)から2歳児までなので、その先は保証されていないというものでした。
その場所で遺跡が発掘されていたので3年以降は継続ができないかもしれないという理由です。また、長女と別々の保育園なのでそれでもいいかということも聞かれました。
色々な義理人情はあれど、やはり経済的な事情もあり背に腹は代えられず、次女をお願いするはずだった家庭福祉員さんに、保育園に預けられることになった旨を連絡しました。
役所からの連絡も直前だったので、福祉員さんにも直前になってしまったのですが、家庭福祉員さんからは「とても残念だし、もっと早く分かっていたら別の子を受け入れることもできた、空きがないからと諦めた親御さんもいた。」と言われ、とても怒っている様子が手に取るようにわかりました…。
長女がお世話になり、本当に素晴らしい理念で子育てをしたくださって、私も大好きな方だったので、できることなら次女もお願いしたいと心底思っていました。
でも当時は家庭福祉員さんに預ける場合は自治体からの補助はなく、しかも1人目、2人目を預ける場合は単純に人数分の金額になってしまいます。
私は時給800円でパート形態だったので、フルで働ければ長女一人ならお給料と保育料がトントンでしたが、発熱などで早退したり休んだりすればその分もらえず足がでることもありました。それが次女も、となると常時足がでてしまう状況。
それでも獣医師という職業柄、知識や技術を身に着けていくためには少しでも携わることに意義があったので、経済的な負担には目をつむって頑張るつもりでしたが、いざ保育園に入れることが決まったのなら、例え家庭福祉員さんに恩があってもやはり少しでも安いところに預けたい・・・と思うのが正直なところでした。
そして保育園が最大で19:00ごろまで預かってもらえるのに対し、家庭福祉員さんの場合はそれぞれの福祉員さんの都合によるのかもしれませんが、最大で18:00までだったのも、本来夜遅くまで勤務がある職種としては大きな違いでした。
でも、結果として直前になり、お世話になった家庭福祉員さんに不義理を働いてしまい申し訳なかったと思います。その後、すぐに別の方が決まったという連絡がありホっとしました。本当にごめんなさい。そしてありがとうございました。
秒きざみの通園・通勤ルート
長女だけだった頃は車も持っておらず、自転車で電車1駅離れた家庭福祉員さんのところへ連れて行き、いったん家に戻って電車で通勤していました。
少したった頃に家庭福祉員さんのところにいた5人の幼児のうち、住まいが近かった子のママ友さんがご自身の車で家庭福祉員さんのお宅へ一緒に連れて行ってくれるようになりました。
朝、時間になると団地の前で長女を拾って乗せて行ってくれたので、本当に本当に助かっていました。
転園が決まった長女の保育園はその家庭福祉員さんのご自宅よりもさらに遠く、仕事の始業時間、終業時間、そして長女と次女を順繰りに迎えに行く時間などを考えると、絶対に徒歩や自転車では無理でした。
1分1秒を計算して、送り迎えには車しか選択肢はなかったので中古の軽自動車を買いました。
まず車で長女を遠い保育園に先に預け、戻る途中で次女を近くの保育園に預けるか、次女は夫が通勤途中に預けるかのどちらかにしました。そして私は子供を預けたあといったん車を団地に戻してから電車で通勤。
保育園が19時までとしても20時まで診察する病院だったため、相変わらずフルタイムでは働けずパート扱い。就職当時は800円だった時給が次女が産まれる頃には850円になってはいたものの、院長は「先生がこのままいてくれればうちはラッキーだよなぁ~」などというくらい、国家資格を持った人間が働く報酬としては低いものでした。
ただ、二人とも認可保育園に預けられたことで、二人が風邪さえひかずに頑張ってくれれば経済的な面では以前よりなんとかなりました。
そして仕事が終わると駅からダッシュして車に乗り、今度は次女を先にピックアップ、そして長女を迎えに行き、最寄りの駅ビルで夕飯の買い物をして帰るという毎日でした。
余談ですが…
タイミング的なこともあって次女は生後58日から預けることになってしまい、保育園ではほとんどミルクを飲まず、飲んでも10㏄とか最大で25㏄とかで先生泣かせでした。
帰宅してから必死でガスガス母乳を飲む…という日々が続いていたのですが、これは実は哺乳瓶の口の問題だったようで、「母乳相談室」とか「母乳実感」という、実際のオッパイの形状に近いような乳首の製品を友人から紹介され、使ってみたところちゃんと飲んでくれるようになりました!
特に母乳相談室はカーブがなだらかで幅広なので、次女は気に入っていたようでした。これらは1990年代に発売されたそうで今では知らない人がいないほどですが、当時はあまりでまわっておらず、教えてくれた友人に感謝です。
私は長女の時に断乳をマジメにやらなかったからか、牛のように出ていた母乳も次女の時には左がほとんど出ず、右ばかりパンパンに張っていました。
仕事をしている間は搾乳ができなかったので、できるだけ自宅で搾って冷凍保存しておき、それを保育園に持たせたり…ということもしていましたが、コンスタントに吸ってもらっていないとダメなようで、右も徐々に母乳が溜まらなくなっていきました。
なので次女にはなんとか哺乳瓶でミルクを飲んで欲しかったので、かれこれ20年ほど前になりますが、進化した哺乳瓶には本当に助けられました。
勤務形態の限界
動物病院にはありがちですが、私は平日がお休みで土日は必ず仕事に行かなければなりませんでした。
ただ、うちは夫が土日にはほとんど育児をせず、それどころか私がいない時間に長女にDVまがいのことをしていたことなどから、金曜日の夜か土曜日の朝、1時間ほどかけて実家に長女を預けに行くようになっていました。
父は私が乳幼児の頃は仕事が忙しすぎて、孫をみるのが初の子育て(孫育て)だったものの、長女が生まれてから母が驚くくらい孫のお世話をしてくれて、2人目が産まれた後には私の仕事や家庭の事情を鑑みて、自分の仕事を辞めて携帯を持つようになってくれたり、子育て(孫育て)に協力をしてくれていました。
母も仕事をしながら娘たちの食事の仕度やお風呂など、さすがに父にはできないことを経験者としてやはりプロ!という安心感でやってくれていました。
でも2人になると父も母もやはり大変…。
それで私はせめて日曜日にお休みできる環境で働きたいと思うようになりました。
お世話になったY動物病院の先生に事情を話し、新たな就活をすることになりました。
Y院長からは引き続きホームページ関連の作業や、その時代診の後輩はいましたが、必要な時にはピンチヒッターでの勤務はしてほしいと言われ、そう言って頂けることにむしろ私の方から感謝しかありませんでした。
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