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ケモノの医者の体験談 vol.6 B動物病院の話 その①

パート的な勤務形態でしたがやっと就職が決まったB動物病院。女性院長で勤続2ヶ月の動物看護師と週1回トリミングだけ担当している5年選手のトリマーさんのいる病院でした。

獣医学部の研究室

ところで獣医学部では3年生になると各研究室に所属します。研究室には臨床系と基礎系があり、臨床系は病院、外科、内科、臨床病理、臨床繁殖、放射線など、基礎系には生理、薬理、病理、生化学、公衆衛生、微生物、寄生虫、衛生動物、大学によっては魚病などの研究室があります。

臨床系と基礎系では卒業時に身につけている知識や技術に差が出ることがあります。例えば病院、外科、内科などの臨床系研究室に所属すると、学生時代からそれなりに麻酔や手術経験を積むことができます。

もちろん外科実習など実際に麻酔管理や手術を学ぶ実習はあるので、学生時代に全員一度は手術を経験しているわけですが、基礎系研究室では組織や細胞、マウスやラットのような実験動物は扱っても、手術をするようなシチュエーションは皆無なので、臨床系の人と実際の手技を磨く経験数が違ってきます。

経験数の少ない基礎系研究室の人間が、いざ勤めて手術に立ち会うのはとても緊張するし精神的なストレスがありますが、臨床系に所属していた人は学生時代にその壁を既に超えており、院長の助手として手術についた時の手際の良さも全く違います。

しかも学生時代は怖いもの知らず。例え何かトラブルが起きてもすぐに対処できる環境にいたため、エマージェンシー(緊急事態)にも慣れています。

これは雇う側からしてもとても心強い存在だと思います。

卒業時にこういった麻酔管理や手術の知識や技術が確立されていることは、恐らくとても重宝されることだと思いますが、昔は既に「色」がついていることを好まない院長先生もいたので、臨床系に所属していたことは必ずしも就職に有利という訳ではありませんでした。

いっぽう、基礎系は寄生虫についての知識が生かされたり、生理学や病理学は体の異変を理解するための基本なので、しっかりと背景をつかんで治療ができるという強みもあります。

どうしてこの薬を使うのか、学生時代から習慣としてなんとなく利用していた臨床系の人の中には説明できない人もいるそうですが、薬理学の知識、病態生理などをきちんと理解していれば、飼い主さんにかみ砕いて話すことができます。

就職して新人にいきなり麻酔管理を任したり手術を任せる病院はありません。獣医師であってもまず院内の備品や治療薬の種類を把握したり、会計業務を覚えたりすることから始めます。

そして診察室デビューはワクチン接種や検査時の補助など簡単なものからスタートするので、卒業時は注射や採血ができるレベルであれば良く、麻酔管理や手術の術式は、それぞれの病院の方針を学びながら習得していけば良いのです。

勤務初日に…

B動物病院でも、まず院内のことや受付、診察、調剤、会計などの細かな業務については動物看護師兼トリマーのBさんに教わることになりました。

Bさんはとてもハキハキ明るい看護師さんでした。動物看護師の専門学校を卒業してすぐだったので私より6歳くらい年下で、彼女もまだ勤務2か月で働き始めたばかりでした。

B院長と一緒に3人で自己紹介などをさせてもらって、何となく仲良くなれるような気でいました。

ところが。

勤務初日にざっと備品の場所を確認するために、棚の扉や引き出しを一緒に開けてまわっていた時のこと。

Bさんが突然「はいっ、ではクイズで~す。」と言って引き出しの中を私に見せました。

そこにはディスポ針とかディスポ注射器、点滴などのために静脈に設置する血管カテーテル留置針りゅうちしんなどが入っていました。

ディスポとは使い捨てを意味するディスポーザブルの略です。血管カテーテル留置針は通称「留置」と言います。

その留置針を指さして「これは何でしょう~?」と私に聞いてきました。

えっ…。

私が知っている留置と何か違うのかな?と思ってよく見てみたけれど、何も違いがわからない。

「留置…ですかね?」と答えると、

「すご~い!!正解で~す!パチパチパチ」と驚いたように言い、

褒めてくれました…。

確かに私も基礎系の人間ですが、卒業時にどんなに成績が悪かったとしても、あるいは国家試験に落ちてしまった人や留年した人でも、獣医大に6年もいれば医療系器具の名前くらい知っています。だってそれを使って何年も実習してきたのですから。

それは専門学校へ行っていた動物看護師さんも同じはずで、珍しい機器や外科器具ならまだしも、シリンジと同様日々使うような留置くらい知ってて当然。

だから逆に獣医が看護師さんに、例え新人であってもこんなバカにしたクイズ形式でモノの名前を聞くなんてことはあり得ません。

でももしかしたらBさんも、就職したての時に誰かから同じ質問をされたのでしょうか。私の指導を任されたので同じように聞いてみたのかしらと考えてみたり。

だとすると同じことをした上司は一人しかいないのですが…。

けれどしょせん私は獣医師免許を持っているだけで、今は臨床経験のないただの人。ここでムっとしてはいけない…。

そう言い聞かせながら「合ってました?ああよかった!」と満面の笑みで返事をしました。

メモ事件

B院長は2階の居住スペースにいることがほとんどでした。まだ起動に乗っていない病院だったので診察件数も少なく、飼い主さんが来たときだけBさんが院長に声をかけてお伺いをたてます。

お薬だけの処方であれば、その旨内線で伝えてスタッフが対応(調合)し、診察であればB院長が上から降りてくるというのが日常でした。

漢方薬を利用することが多かったので、人間用の漢方薬を分包して作ります。勤めだして3日目くらいのころ、患者さんからお薬の依頼があり分包器の使い方をBさんに教わって初めて私が作ることになりました。

作成し終わったのでBさんに「お薬できました」と伝えたところ、「そこに置いといてください」と言われたのでカルテと一緒に薬袋に入れて置いておきました。

パート勤務だったのでこの日から2日ほどあけて出勤したとき同じ作業を指示されました。分包器の使い方もわかったし置き場所も把握したので、前回と同じように「お薬できました。」とBさんに伝えて同じ場所にセットしました。

するとB院長が上から降りてきて「漢方は作ったら冷蔵庫に入れておくように言ったよね? 一度言われたことは二度やらないようにしないとだめよ」と言われました。

ほとんど1階に降りてこないB院長に、私はいつどこで注意されたのか思い出せず困惑していたら、B院長が「この前メモで渡したよね??」と言いました。

メモ?

私が腑に落ちないでいるとBさんが横からすかさず「あっ!ごめんなさ~い!渡すの忘れてました~!」と笑いながら、悪びれた様子もなくエプロンのポケットからメモを出してきました。

するとB院長も「ちょっとアンタ、ダメじゃな~い」と笑いました。

怒!

獣医師と動物看護師

獣医師にとって動物看護師さんは重要なパートナーです。ただ、獣医師にしかできないことはあっても、看護師さんしかできない業務というのはないので、動物看護師さんがいなくても診療や病院経営は成り立ちます。

ですが小さな規模の動物病院では、獣医師を雇うのは経済的にとても厳しく、やはり動物看護師さんのほうが獣医よりお給料も安いので、初めて雇うのは獣医師ではなく動物看護師さんであることも少なくありません。

そして院長1名、動物看護師1名でそのまま経営していく病院もありますが、徐々に軌道に乗ってきてもうひとり雇えるようになったら、今度は自分(院長)が楽をするために獣医師を雇いたいと考えます。

そういう状況で獣医師を雇った場合、既に動物看護師さんがいるところへ来ることになり、新人獣医師は時々、Bさんような先輩看護師に洗礼を受けることがあります。

ただ、こういったあからさまな「イジワル」というのはなかなか経験することはなく、私も人生で初めて。

子供の頃、友達と喧嘩をしたり険悪になった時には、お互い口をきかなかったり通学路や通学時間をわざと変えて顔を合わさないようにするなんてこともありました。

でもそれはきっかけがあって喧嘩をし、もともと仲が良かったのだから険悪な間はとてももどかしく、どうして気持ちが通じないんだと思うと苦しく、最後はもう口を利かないなんて無理!となって笑って仲直りするようなもの。

そういえばBさんは出会った初日からちょっとおデコに「怒」マークが出てしまうような留置事件もあったり、こうもアッパレなメモ隠しをされたのは衝撃的だったので、20年近くたった今でもとっても印象に残っている人です(粘着質なわけではないですよ)。

ちなみに私はこういうことをされるとヤル気に火がつきます。

火がつくといっても敵対したりやり返すのではなく、絶対コイツに一目置かれる存在になってやるぞ!と誓った次第です。

そしてこのメモ事件の時に感じたのは、Bさんに対する怒りよりB院長に対する不信感。ちょっとアンタだめじゃな~い、という対応はどうなのか。

仲が良くてもそれはそれ、頼んだものは職務を果たす(この場合はメモを渡す)よう、ちゃんと指導しないとダメではないですか。



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