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【R6.9現在】島鉄バスに移籍した、元長崎バスの車両達を見ていく

皆さま、おはようこんにちはこんばんは。
月日の流れは早いもので、気がつくと1年も残り4分の1です。まだまだ暑い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、私のX(旧Twitter)を見ている方なら知っていると思いますが、私の地元というのは佐世保では無く島原です。noteでは佐世保に関するネタを3つ続けて書いてきたわけですが、noteを始めてから1年経過しているのに、未だに地元のネタを1つも書けてなかったんですね。えぇ。
ですので、次は何か島原ネタをと思い、考えに考えた結果が今回の記事になります。まあ、島鉄ネタは私の原点なので原点回帰という感じです。
「島鉄のネタなら、大三東や古部みたいな鉄道線の話題がええやろ!」と思うかもしれませんが、その辺りのネタは既に様々な媒体で紹介されてますから、今更自分が書いたところでね・・・・・・ということで、今回は鉄道じゃなくてバスの話題を書かせて下さい。お願いします。ダメなら回れ右、1,2!


1.はじめに

島鉄バスの過去の主力、トップドアのブルーリボン(U-HU3KMAA)。なお画像の車が最後の1台。
島鉄プロパーのKL-HR1JNEE。2003年導入で、実は長崎県内初のノンステップバスである。

近年こそ、大三東駅や古部駅のPRによって知名度が急上昇したような印象を感じる「島原鉄道」ですが、元々は創立が1908年と歴史の長い鉄道事業者です。通称は「島鉄(しまてつ)」で、基本的に地元の人は皆こう呼んでいます。ちなみに、この創立以来116年間、一度も社名変更を行っていないという点も同社の大きな特徴です。
1911年より運行している鉄道線が主力事業ですが、その他にも今回紹介する乗合自動車(バス)事業をはじめ、口之津~鬼池をカーフェリーで結ぶ旅客船事業、半島各地での貨物自動車事業や広告事業など、行っている事業は多岐に亘ります。残念ながら今年1月にタクシー事業から撤退していますが、島原半島地区の陸上交通や海上交通を手広く受け持つ、同地区には欠かせない交通インフラなのです。

そんな島原鉄道のバス事業が「島鉄バス」です。
1930年に諫早~島原間で営業を開始したのを皮切りに、島原半島一円に路線網を展開する他、現在は福岡市内へ乗り入れる高速バス「島原号」を1日3往復、西日本鉄道と共同運行しています。なお、かつては長崎市や佐世保市への直通路線を運行した他、長崎市と熊本市を有明フェリー経由で結んだ都市間バス「ありあけ号」の運行にも参入していましたが、それらは全て廃止されています。とはいえ、鉄道と並ぶ主力事業として、同社の大切な事業であるのは今も昔も変わりません。
また、貸切バス事業も行っており、後述の要因で長崎バス観光主催の「あじさいツアー」の運行を受託することがある他、一般貸切やスクールバスの運行も行っています。

そんな島原鉄道ですが、他地域のローカル私鉄の事例に漏れず、沿線人口の減少やモータリゼーション等の影響で利用者が減少し、過去より経営が厳しい状況が続いております。
特に1990年代は雲仙普賢岳災害の影響も大きく、噴火による度重なる鉄道線の一部区間運休や沿線地域への観光客の減少等の要因が重なり、同社の経営は大打撃を受けます。1996年の噴火終息宣言後もその影響は糸を引いており、合理化策を推し進めて経営改善を図るも、2008年には鉄道線の半分近く(島原外港~加津佐間)が廃止となります。それでもなお危機的状況には変わらず、何とか努力を続けたものの、遂に2017年秋に自主再建断念の意向が公表され、2018年からは地域経済活性化支援機構(REVIC)の出資を受けて、長崎の大手バス事業者である「長崎自動車(長崎バス)」傘下での経営再建を図ることとなりました。

その長崎バス傘下での経営再建の過程で、一番大きく影響を受けていると思われるのが、このバス事業です。
利用者数の減少による採算性の悪化に歯止めがかからず、抜本的な改革が必要となった島鉄バス。2018年の傘下入りから今年までの6年ほどの間に、島原市内や南島原市内の支線(フィーダー系統)の多くを廃止し、デマンド交通『チョイソコ』への業態転換を沿線自治体とともに図った点も大きな変化と言えますが、それ以上に目に見えてハッキリとした変化というのが、今回紹介する「長崎バス」からの車両移籍です。

元々、島鉄バスというのは中長距離を走る幹線系統が多かったため、トップドアでリクライニングもしくはハイバックの座席を装備した車を多く導入し、現在も僅かながらその当時の車両が現役で稼働しています。2000年代以降は、交通バリアフリー法施行もあって前中ドア配置でメーカー標準の座席を持った低床車の新車が増えていった一方で、新車調達に係るコストの増加や鉄道線一部廃止に伴う代替バス車両の確保等の要因もあり、新車とともに他事業者からの中古車も増えていきます。
なお、その中で一度長崎バス由来の中古車を導入したこともありますが、後述の車達とは異なり、最低限の改造ながら従来の島鉄バス車両と機器を揃えたり、塗装も上画像のような島鉄塗装に変更する等、あくまで「島鉄バス」の車として仕立てられていました。それに、長崎バス中古導入後も、少しずつではありましたが、他事業者からの中古車が多く導入され、2000年代後半から2010年代後半にかけて、プロパー車とともにバラエティ豊かな陣容を形成していました。

そんなプロパー車の他に様々な中古車を導入してきた島鉄バスでしたが、2018年の傘下入り後になると、車両導入に係るコストを徹底的に抑えるため、新車導入はおろか長崎バス系列外からの中古車導入も行われなくなりました。これが、島鉄バスにおける元長崎バス車両の増加の要因になります。
傘下入り後の元長崎バス車両の大きな特徴は、ほぼ無改造でかつ塗装も長崎バス時代ほぼそのままである点です。これは系列企業と化したことで、仕様変更の必要性が薄れたためと考えられます。
現在までに、主に1990年代後半に導入された大型路線車の他、長崎バス東長崎営業所廃止に伴い発生した余剰中型路線車、古参貸切車、長崎バスの空港線運用を離脱した古参リムジン車が移籍。その陣容の詳細は後述しますが、台数もこれら総勢で20台近くになるでしょうか。たった6年で見事な増加ぶりです。
上記のような、長崎バス色に満ちた車の増加と老朽化や故障等に伴う廃車、そして路線廃止や運行本数減少に伴う車両数の削減によって、島鉄色を纏ったバスの数は年々減少しています。廃車の中には2000年代後半に導入された低床路線車等もいたりして、それより古い車の移籍が同時期に行われた現実を見ると、重大な車両故障等の事情もあるとはいえ、何とも不思議な気持ちになります。

と、まあここまで長々と島原鉄道とそのバス部門「島鉄バス」について、概要を書いてきました。
長崎バスからの移籍車については、バスに疎い私の知人から「ボロいバスが増えた」との話が出てくるくらいには、古参車が幅を利かせるようになってしまったというのが悩ましい話。趣味的には面白い被写体なんですけどね。ただ利用者目線で見れば話は変わってくるでしょという・・・・・・。
島鉄の経営状況が厳しいのは依然変わらず、というよりコロナ禍を経たことでむしろ更に雲行きが怪しくなってますから、本当、画面の前でこの記事を読んでくださっている皆様だけでも乗りに来ていただければと思う限り。焼け石に水なのかもしれませんが、それが一番の応援だと思います。今話題の大三東“駅”や古部“駅”に車で乗り付けて車で帰るような方々にも理解していただけたら良いですけどね。その辺りどうなんでしょうか。

さて、ここからがいよいよ本編です。お待たせしました。
あくまで個人的な備忘録のような記事ですし、私自身が島原半島在住じゃなくなって車両面の話題を追いかけられなくなっているので、読みづらい箇所や分かりにくい箇所、情報の古い箇所はあるかと思いますが、何かの参考になれたら幸いです。

2-1.大型路線移籍車について

傘下入り直後の2018年から、一般路線向けに長崎バスの移籍車が入り出した島鉄バス。登場直後の衝撃の強さは今でも忘れられませんし、何なら今でも「島原の道を長崎バスが走ってる」との驚きの声を聞くくらいには、まだまだ違和感を覚える方も多いのかなと言う印象です。

移籍してくる路線車は、当然新車導入やダイヤカット等で余剰になった古参車が中心であり、一部例外もあるとは言え、移籍してきた時点で車齢が20年超の車ばかりになります。中には移籍してきた時点で車齢25年の車もいたりして、「今は令和だぞ」とツッコミが飛んできそうな様相を呈しています。
尤もそれには、長崎バス自体もツーステップの古参車が依然として多く在籍し、それらの整理が中々思うように進まないという事情や、島鉄以上に低床車が少ない上に僅かながらも長崎市街地直通の運用も持つ、長崎バス子会社の「さいかい交通」に優先的に低床車を移籍させたいと言った思惑もあるのかもしれません。実際、島鉄も傘下入り直前まで新車や中古車で、ある程度低床化が進んでいましたから、それならばと他社を優先させる気持ちも分かる・・・・・・と言いたかったのですが、「さいかい交通」には今でもツーステップ車の移籍が行われているようで、正直もうよく分かりません。長崎自動車の情勢は複雑怪奇。

一般路線車に関しては、数が多かったので大型車と中型車とでそれぞれ「2-1」「2-2」と分けて掲載いたします。読みにくいかもしれませんが、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。

①U-LV318L(純正車体)

傘下入り後、間もなく登場したU-LV。長崎バスグループになったことを強く印象づけた車だ。
2回に分けて導入されたU-LV。2020年導入の組は、ナンバーが再登録されてるのが特徴。
方向幕で導入された組も、大半の車がLED化された。表示器は廃車発生品を使用している。

2018年の長崎バス傘下入り後、初めて導入された元長崎バス車両が、このU-LV318Lです。2018年と2020年の2回に分けて、1995年式の車が12台が導入されており、その全てが純正車体の車です。導入された車両は以下の通り。

【2018年導入:計8台】
1501、1516、1521、1522、1524、1541、1550、1551
【2020年導入:計4台】
1533、1544、1546、1548

2018年に導入された組は、当時島鉄バスに在籍していた元長崎バス車両(後述)の機器を流用していた点が挙げられます。それらと入れ替わるように導入されたこともあり、特徴的な分割仕様の方向幕をはじめとした各種車載機器をそのまま再利用しており、かつ塗装も長崎バス時代ほぼそのままということで、従前の新車や中古車よりも導入にかかるコストを抑えられているようです。
個人的な話、最初は島原に来てから島鉄塗装に変更されるものと思っていたので、塗装変更を経ずに走り出した時は目を疑ったものです。島原の道を銀バスが走り回る・・・・・・今では大分見慣れてしまいましたが、見かける度に不思議な感覚を覚えたものでした(汗)その上、一部の車は塗装の色落ちが目立った状態のまま、社名表記を書き換えただけの状態で走り出した車もいたので、軽くショックを受けたこともありましたね。
なお、2018年導入組。後年になって、大半の車が廃車発生品を再度流用する形で行先表示器のLED化が施されています。そのため、長崎バス時代から通算すると、幕→LED→幕→LEDと変遷を辿った車がいる訳です。何だこれは。ちなみに、現在でも幕で現役なのは上画像の1551だけかと思われますが、1551の経由地幕(右側の幕)は使用されていない様子。最初の頃は使っていたと思うのですが・・・・・・使わないようにしたのか、故障で使えなくなったのかは不明。

さて、このU-LV318L。2018年導入で完結かと思っていたら、何と2020年になって4台増備されました。令和にもなってU規制車が4台移籍するのは、中々衝撃的な話です。
この組の特徴は、移籍当初よりLED幕で稼働している点とナンバーが再登録されている点です。
LED幕は長崎バス時代のものをそのまま使用し、車載機器も運賃箱以外はそのまま使用しているものと思われます。島鉄ではICカードが使えなくなったので、流石に運賃箱までは流用できなかった様子。またナンバーが再登録されている理由は、一度登録が抹消されていたからではないかと思われます。
あと、2018年組と比較すると、側面の「Shimatetsu」ロゴが小さくなりました。後年導入のロゴを貼付されている車は、こちらの小さいサイズを使用しています。

島鉄に導入されたU-LV318L。最盛期には12台が在籍したこともあり、朝昼夕時間帯問わず様々な路線で稼働している様子を見かけました。幹線系統ばかりかと思えば、間合いとはいえ、雲仙~有家線や芝桜公園線のようなフィーダー系統にも充当される等、一般路線の大半で使用された実績を残しました。流石に長崎空港には行ってない・・・・・・はず、知らんけど。
しかし、元々大分年式の古い車ということもあって、最近では予備車に回ったり離籍する車も出ています。流石に上掲のU-HUに次ぐ古参車両(島鉄では新人なんですが)で、来年で車齢30年目になるものですから、置換もやむなしだと思います。それでもまだ第一線で活躍しているものですから、元気すぎるというか何というか。

移籍当初、その異様な姿に度肝を抜かれた方も多いであろうこの車種。
その姿は、島原鉄道が長崎自動車の傘下に入ったことを沿線地域の人々に強く印象づけさせ、今後の島鉄バスの方向性を指し示したように思います。その方向性に則り、今もなお島鉄では後述する車両達が登場しているのです。

②KC-HT3KMCA(純正車体)

1997年式の3701号車。長崎バス本体では最後の補助窓無しの車だった。
1998年式から採用された補助窓付き仕様車も島鉄へ移籍。画像の車は前面の広告枠も残存。
KC-HT3KMCAについては、1997年~1999年の3ヶ年の車が1台ずつ揃う格好となった。

1995年式のU-LVの供給が落ち着いた後、2022年より移籍が始まったのは、後述する車両を含む日野の路線車でした。元々長崎バスでは、いすゞ車と比べると日野車の離脱の方が早かった他、島鉄バスも元来導入してきたのが日野車中心だったこともあり、必然か偶然か互いに利害一致した形になります。現時点で確認されているのは、1997年式~1999年式の以下の計3台です。

【2022年導入:計2台】3701、3905
【2023年導入:計1台】3819

移籍に際しては、先述のU-LVと同様、大規模な改造も塗装変更も受けること無く移籍しています。車載機器も殆ど長崎バス時代のままのようです。その辺りは2020年移籍のU-LVと同じ・・・・・・というより、この手法が他の車でも標準と化しています。系列間での移籍なので、まあそうなりますよね。

この内1997年式の3701号車は、長崎バス本体に導入された純正車体のHTでは、最後の補助窓無し仕様の車として知られた車両です。
新製配置は瀬戸営業所(現:さいかい交通)で、その後松ヶ枝営業所へ転籍という経歴持ちであり、佐世保ナンバー地域から長崎ナンバー地域へ異動したことから、年式に反して「200ナンバー」での登録となっているのが最大の特徴です。
また、長崎バス→島鉄バスへの移籍の際、車体側面のラッピング広告について、何故か帯と重なる一部分だけ剥離されずに残されました。移籍から2年経過した今もそのままです。そのような処理を施されるということは、長く使うつもりはないのかもしれません。とはいえ、見ていてあまり良い気はしないと思うのですが・・・・・・。

現状、上記の3台のみの導入となっているこの組。1997~1999年式の各年式が1台ずつ揃う形になったのは、趣味人的に面白い点かと思ってます。意図しないところでマニア受け要素が発生するのが、何とも島鉄らしいです。

③KC-HT3KPCA(純正車体)

1999年式の2台が在籍する純正P尺車。内1台は2段窓仕様車。ワンマン灯のカスタムが印象的。
もう1台は逆T字窓仕様車。前後扉の逆T字窓仕様車は、島鉄では現時点でこの1台のみ。

前項ではM尺の車を紹介しましたが、純正車体では他にもP尺の車が在籍。現時点で確認されているのは、以下の通りです。

【2023年導入:計2台】3903、3909

どちらも同じ1999年式の車両ではありますが、導入時期の関係で窓や座席の仕様が異なるのが特徴的です。窓の仕様が違うだけで、外観の印象が大分違って見えるのが面白いですね。
ちなみに3909号車については、現時点で島鉄の前後ドア車では唯一の逆T字窓の車両である他、島鉄バスの廃車発生品と思われる行先表示器を装備しているようで、表示器の中心に仕切りが無く、かつ表示されるデータも以前の長崎バスのような左右分割表示ではない様子。島鉄のKC-HT純正車の中でも強い個性を放っています。
・・・・・・と言いたいところですが、もう1台の3903号車についても、ここ最近(今夏に入る前後頃?)になって、前面にワンマン行灯を装備したり、後面窓に貸切バスで使用していた「島鉄」行灯を掲示するといったカスタムが見られるようになりました。島鉄も親会社のような担当車制になったようで。
2台とも中々に強いインパクトを持っています。

ちなみに、前項の3819号車もそうですが、2023年移籍の銀バス車両では「Shimatetsu」ロゴが省略されています。低床カラーの車両はデザイン上厳しいので省略も止む無しですが、こちらの車も低床車に合わせる形でロゴ貼付を廃する流れになったのでしょうか。

2台とも雲仙に配置されているのか、主に雲仙方面の路線で見かけます。
雲仙の曲がりくねった急峻な山道を、後述の西工車体の車を含め、この手の長尺車が毎日のように上り下りしている訳で、乗務員さん達の技量の高さを感じます。

④KC-HT3KPCA(西工車体)

長崎バスではP尺でのみ導入されたKC-HT+96MC。移籍していったのは現時点で島鉄のみ。
島鉄へは1998年式も1999年式も移籍。年式違いの上画像の車とは、座席形状に差違が見られる。

長崎バスから島鉄バスへと移籍したKC-HTに関しては、純正車体の他に西工車体の車も移籍していたことで話題となりました。長崎バスからの西工車体の移籍は、U-LV+58MC以来のことです。
現在は1998年式と1999年式が在籍。稼働している車は、以下の通りです。

【2022年導入:計3台】3809、3812、3901

元々島鉄バスは西工の本場九州にありながら、西工のスケルトンボディとは無縁に等しいという、九州では珍しいタイプの事業者でした(モノコックボディなら導入実績はあるんですがね・・・・・・)
それが変わりだしたのが、傘下入り前に導入された、元長崎バスのU-LV+58MC。島鉄初かつ現状唯一の58MCとして10年近く活躍しました。この車の導入からさらに数年後には、元西武や元東急のKL-JP、元京王のKL-UAが中古で導入され、島鉄でも96MCが見られるようになり、平成中頃~末期にかけて島鉄においても西工ボディのバリエーションが増えていったのでした。
そして時代は令和に変わり、島鉄における西工ボディの新たなバリエーションとなったのがこの車両たち。前述のJPやUAがワンステorノンステの低床車だったのに対しこれらはツーステ。時代が巻き戻ってしまいましたが、今更そんなことはあまり大したことではないのです。
――とはいえ、これらの稼働開始とほぼ同時期に佐世保の方で日野+96MCのツーステが廃車になっていたんですけどね。所変われば廃車、所変われば新車と、まさか同じ県内でほぼ同時にこんなことが起こるとは。

ちなみに、3812号車や3901号車は導入当初、車体側面には新型コロナウイルスの感染予防を呼びかける“長崎市”の広告がラッピングされたままだったのも印象的。長崎市内に乗り入れる路線が皆無な島鉄バスで、まさか長崎市が掲出した広告がそのまま残るのか!と驚いていたら、暫くして剥離されていました。広告の契約やら何やらの関係で、流石にまずかったのではないかと思います。えぇ・・・・・・。

元来、西工のスケルトンボディとはあまり縁の無かった島鉄バスにおいて、強い存在感を放つ日野×96MCツーステ。お世辞にも新しいとは言えない古い車でありますし、島鉄バスを取り巻く環境は厳しいことばかりですが、その長尺仕様を活かせるほどに、多くのお客さんを運べる機会に恵まれていけば良いなと思うばかりです。

⑤KC-HU3KMCA(純正・ワンステ)

長崎バス→島鉄バスの大型路線車としては、現時点で唯一となるワンステ車の4007号車。

長崎バスの傘下に入った島鉄バスにやってくる大型路線車といえば、今まで見てきたようなツーステップ車ばかりでした。未だツーステップ車が多数活躍する長崎バスにおいて、低床車の廃車はツーステップ車と比べると希少なので仕方ない話なのですが、だからといって高齢者の利用も多い島鉄バスにおいて、段差の高いツーステップ車が増え続けるのは、利用者目線で見るとあまり好印象を感じられる話ではありません。
そんな状況にあった2023年、その数少ない低床車の離脱車が島鉄へと移籍してきました。純正車が1台だけ、かつKC規制・車いす非対応ではありますが、それでも元長崎バスの大型路線車としては初となる低床車であり、大型路線車の低床車の導入は、2018年に中古で導入された元京王のKL-UA以来5年ぶりとなりました。

【2023年導入:計1台】4007

導入されたのは2000年式のKC-HU。
今まで見てきた車達と同様に、移籍に際して大規模な改造等の実施は無く、塗装も社名表記以外は当然そのままなので、側面には大きくN字型のストライプがあしらわれたままです。低床塗装の大型車は、島原では一際目立つ存在です。また中扉は4枚折戸ですが、島鉄では元西武のKL-JPに続いて2台目の採用事例となります。かつてトップドア車ばかりだった事業者で、4枚折戸の車が実車で動いているのは、様々な変化を感じられる一コマですね。

出物が少ない故にか、島鉄バスに移籍した元長崎バスの大型車の中では、現時点では唯一の低床車となっている4007号車。ツーステップと比較するとステップが小さくなった分、乗降しやすさも多少改善されていますから、高齢者の多い島原半島地域の路線で重宝されていることと思います。

2-2.中型路線移籍車について

①KK-LR333J1(ワンステ)

首都圏から長崎へと渡り歩いてきた中型車。長崎バスでは異色の存在だった。

前章では大型路線車を取り上げましたが、この章では中型路線車を紹介。

そもそも、長崎バスは収容力や運用効率の観点からか大型車が基本的に導入されており、中型車や小型車は使用する路線やエリアが限定されていることもあって、大型車ほど多くは在籍しておりません。特に中型車に至っては、近年の共同経営化に伴い、数少ない使用路線だった立山線が県営バスへ一本化され、使用路線が複数設定されていた東長崎営業所も県営バスに譲渡する形で閉鎖される等といった変化や、使用路線での車両の小型化等もあって、現在長崎バス本体に残る車は殆ど休車に近い状態のようです。
そのような経緯もあり、2022年より中型車の移籍も確認されています。

【2022年導入:計2台】2023、2024

このKK-LRに関しては、2台とも2014年の東長崎営業所開設時に導入された車両です。車種の割に登録が新しい?・・・・・・そうなんです。実は2台とも他社から中古で導入された車です。
この2台は、元々京急バスが2000年に新製導入した車であり、同社で廃車になった後、東長崎営業所向けの車両を確保しようと奔走していた長崎バスが中古で導入したものになります。
東長崎営業所の開設の際は、他営業所から既存車を転属させた他、東長崎地区のフィーダー系統向けには、既存車の転配では補えず、また短期間で車両を揃える必要もあったために、やむなく中型車や小型車の中古車を導入しています。地方では中古車を導入する事業者が多くある中、長崎バスはあまり中古車を導入してこなかっただけに、導入当初はとても驚いたものでした。
とはいえ、中古導入で元々老朽化しており、かつ使用路線の本数削減も手伝ってか、2021年には運用離脱していたようです。

そんな経緯の車ですが、低床構造という点が幸いしてか、車両の状態が走行に問題は無いと判断されたのか何なのか、2022年には2台揃って島鉄へと移籍してきました。
大型移籍車たちと同様、基本的には大規模な改造はされず、塗装も長崎バス時代のままです。ちなみに、島鉄に来た元長崎バスの移籍車としては、後述するKK-HRとともに初めての低床塗装車となった車です。N字型のストライプ模様が印象的ですね。
内装については、中古で長崎バスに渡ってきた際に大きな改造を受けることも無かったのか、座席モケット等に京急時代の名残を色濃く残してます。
なおワンステップ車ではありますが、車椅子非対応なので車椅子ステッカーはありません。先述のKC-HUもそうですが、こういう普及し始めた初期の低床車らしい仕様って面白いなと思います。島鉄には今までいそうでいなかったタイプの車ですからね。

暫く低床車の導入が途絶えていた島鉄にとって、久しぶりの低床車となったKK-LR。古い車であるとは言え、時として「諫早→雲仙」「青雲荘→雲仙→島原」の雲仙の山越え運用に入ることもあるようです。

②KK-HR1JKEE(ノンステ)

プロパーのPB-HR以来となった、9m尺HRの導入。前述のKK-LRと同じく中古の中古車である。

前述の通り、長崎バスというのは大型車をメインで導入・運用する事業者であり、中型車の導入はそれと比較すると、使用する路線も限られていたこともあって少ない事業者です。
そんな長崎バスですが、2000年に長崎都心部循環線向けに中型低床車を導入して以降は、中型車でも低床車が導入されるようになりましたが、プロパーで導入した車両は現在まで全てワンステップ車での導入です。はっきりとした理由は不明ですが、大型車と比べて小さい車体でも可能な限り収容力を確保するためなのか、それとも走行させる路線環境の都合によるのか、様々なものが考えられます。
尤も、長崎県内での中型ノンステップ車自体、その嚆矢となる車は2005年に島鉄が1台導入したPB-HRになるようで、今でこそ県内各地で多く見かけるようになったとはいえ、中型ワンステップ車と比べると普及が遅れてた仕様でもありますが。

そんな、中型低床車はワンステップ車ばかりな長崎バスにおいて、異色の存在とも言えるのがこのKK-HRです。こちらも東長崎営業所開設の際に2台導入された中古車で、元々は川崎鶴見臨港バスが2002年に導入した車両です。中古車とて、長崎バスにとってはこれが初めてかつ現在まで唯一の中型ノンステップ車の車種になります。
導入当初は、まだ県営バスに元都営のKL-HRが登場していなかったこともあり、長崎市内ではとても目立つ存在でした。長崎県内全体で見ても島鉄にKL-HRとPB-HRが在籍していた程度だったので、珍しい車種だったことに違いはありません。
長崎バス時代は、上記のKK-LRとともに東長崎営業所一筋で活躍。東長崎地区のフィーダー系統だけでなく、東長崎地区~長崎市街地の幹線系統にも入っていたりと、東長崎地区の様々な路線で使用されてました。
しかしながら、2021年頃には1台が運用離脱。この離脱した1台が、後にKK-LRとともに島鉄にやってきた4209号車でした。

【2022年導入:計1台】4209

なお、もう1台(4210号車)は東長崎営業所廃止後に県営バスへ移籍。県営バスへ移籍後は、同局の東長崎営業所の車両(4B65号車)として、長崎バス時代とほぼ同じように東長崎地区のフィーダー系統に充当されています。長崎バス→県営バスの移籍は、都心部循環線向けに長崎バスが導入した小型車以来のことでした。

そんな特異な経歴を持つKK-HR。
長崎バス塗装を纏う唯一の中型ノンステップ車として、また現時点で唯一長崎バスから島鉄バスへ移籍したノンステップ車として、たった1台の存在ではありますが、主に小浜方面を中心に活躍しています。

③SDG-LR290J1(ワンステ)

年式の割に早期の移籍となったSDG-LR。なお現在、ホイールは銀色に変更されている。

元々使用路線が限られていた長崎バスの中型車。
東長崎営業所の廃止に伴い、当時同所に配置されていた中型車は一部が他営業所に転属するも余剰となってしまった車もおり、結果的に余剰車は予備車または移籍という道を歩むことになります。
2012年に2台導入されたSDG-LRも例外ではなく、2台とも余剰となってしまったことで、系列内他社への移籍を余儀なくされました。この内の1台、1206号車が2023年に島鉄へと移籍してきました。
導入から11年目、長崎バスでは比較的若い年式の車両であり、島鉄からしてみても、傘下入りからここまで移籍してきていたのが車齢20年超の古参車ばかりだったので、異例の早期移籍と言えるのではないかと思います。

【2023年導入:計1台】1206

ちなみに、もう1台の車両(1207号車)については、「さいかい交通」へと移籍。同社の中型路線車では一番の若手になるようで、中型車故に長崎市街直通運用に就く機会はありませんが、西彼半島各地で活躍しているようです。範囲が広い一方で本数が少ないので、撮るのも乗るのも一苦労しそうな・・・・・・。

さて、島鉄に移籍してきた1206号車。島鉄の中型路線車は、2008年~2017年の9年ほど導入が途絶えていたこともあり、島鉄では初のSDG規制車となりました。また、長崎バスから移籍してきたワンステップ車の中では、現状唯一の車椅子対応車になります。
ちなみに、島鉄では一部の車両が移籍後にホイールを銀色に更新しており、画像は無いのですが1206号車も同様に更新されています。銀ホイールへの更新は、従来の島鉄塗装車との部品共通化といった狙いもあるのかもしれません。上記の大型車画像を見ても、銀ホイールの個体が多いことが分かるかと思います。

長崎バスでは、先述の通り中型路線車が余剰になっており、偶に代走で登板することもあるようですが、定期運用を持つ車はいないようです。
年式が若いだけに子会社である島鉄や「さいかい交通」への移籍も考えられますが、この記事を執筆している時点では目立った動きも見られない様子。2010年代に導入された比較的若手の車ばかりであるが故に、稼働機会が少ないのは勿体ないような気もしますが、今後どうなるのでしょうか。

3.貸切向け移籍車について

ここまで一般路線向けの移籍車についてまとめてきました。
ざっと見て8形態、細かい形態差分を考慮するともう少し細分化されそうなレベルと、多種多様な車両が移籍してきたことが分かるかと思います。

ここからは、貸切向けの移籍車についてです。
島鉄の貸切バスは、現在一般貸切の他に長崎バス観光の「あじさいツアー」の運行受託、私立高校のスクールバス受託運行等で使用され、車両は島原営業所と諫早営業所に配置されています。
基本的には、傘下入り前に導入されたプロパーの新車が活躍していますが、スクールバス運用では、長崎バス及び長崎バス観光から移籍してきた車両も充当されています。
また、貸切車両には元々専用の島鉄塗装(日野のサンプルカラーを元にしている)が存在していましたが、長崎バス傘下入り後に車両の置換や塗装変更によって、現在はスクールバスで使用している1台を除き、長崎バス観光塗装に統一されています。とはいえ、島鉄プロパーのJBUS車には、長崎バウ観光の車には無いガーニッシュが前面に施されており、島鉄らしさが僅かながら残っているのも印象的ですね。

塗装がほぼ統一され、島鉄独自の塗装が消滅したという点では、一般路線車以上に長崎バス色が濃厚になった島鉄の貸切バスです。

①KC-MS829P(長崎バス観光色)

2019年2月、移籍して間もない頃の貸切車3台。前面には長崎バス観光の社章が残る。
スクールバス運用に就く5804号車。現在は専らスクールバスで動いているようだ。

傘下入りして約1年が経過する頃、島鉄の貸切バスの車両整理や長崎バス観光との共同運行を図るにあたり導入されたのが、このKC-MS。乗降扉がスイングドア仕様になっている1997年式と1998年式の車が計3台導入されました。導入された車両は以下の通りです。

【2019年導入:計3台】5705、5804、5805

導入されたばかりの頃は、未だ貸切車の塗装変更は進んでいなかったこともあり、一際目立つ存在だった3台。車体は社名表記を「島鉄バス」に変更した以外は大きな変化も無いようで、前面には長崎バス観光の社章も残ったままになっています。系列内とはいえ、車籍を有する事業者と異なる会社の社章を付けて運行しているのは、何だか違和感を覚える仕様です。

導入当初は一般貸切等でも使用されていたようですが、車両が一通り整理されて、貸切車の中で一番の古株となった今では、専らスクールバス運用に充当されているようです。
また、コロナ禍で貸切車の稼働が減った影響もあるのかと思われますが、5705号車に関しては運用を離脱しており、現在はそれ以外の2台が在籍する形となっています。スクールバスとその予備車といった感じでしょうか。

現状、長崎バス観光から島鉄バスへと移籍してきた貸切車は、この3台のみとなっています。傘下入り後の効率化や古参車の整理、コロナ禍といった様々な要因で島鉄の貸切車が削減されたのも大きいのかもしれません。それに、元々2010年代中頃から車両の置換が加速し、傘下入り前までにはU規制の車は殆ど姿を消す等、元々古参車が一般路線と比べて整理されてたのもあるのでしょう。
次に貸切向けに新しい車両が来るとするなら、それこそこのKC-MSの置換に充てられそうな気がしますね。いつ頃来るのかは見当もつきませんが。

②KL-RU4FSEA(長崎空港線色)

塗装もさることながら、車番が付番されてない点が特異な1台。長崎バス時代の車番は4502。

島鉄バスが長崎バス傘下入りする前より運行されている、長崎日大高校のスクールバス。同校所有のスクールバス車両と共に、諫早周辺や島原半島方面の路線の運行を担う、島鉄の貸切部門には欠かせない存在です。
そんなスクールバス向けの車両として、傘下入り直後の2018年に導入されたのがこちらの1台です。2005年式で、長崎バスでは新製当初より長崎市内中心部~長崎空港を結ぶリムジンバス「エアポートライナー」で使用されていました。

【2018年導入:計1台】長崎200か1258

元々長崎バス時代は4502号車という車番で登録され、同仕様同車種の4501号車と共に活躍していましたが、その後の新車導入等の影響により2017年夏頃には2台とも運用を離脱しました。
2台の内、4501号車は同年内にプロサッカークラブの「V・ファーレン長崎」へ移籍し、選手や監督等関係者を輸送するチーム専用車にリニューアルされましたが、もう1台の4502号車は暫く時間が空いた後、島鉄バスへと移籍して今に至ります。
移籍に際しては、路線→貸切の用途変更に伴い方向幕が撤去され、前面の方向幕スペースは埋められましたが、側面には経由地や行先を記した「サボ」を差すための枠が存置されています。塗装に関しては、「Airport Liner
のロゴを剥離し「Shimatetsu」ロゴに置き換えてますが、白地の車体がそのまま残る他、飛行機をモチーフにした赤と青のラインは若干長さが短くなりつつも残されており、長崎空港線として現役さながらの姿を見せます。塗装が塗装だけに、島鉄の長崎空港線で使用されなかったのが惜しかった気もしますが、同路線については乗務員不足で1年ほど前から運休中なので、今からしたらスクールバスになって良かったと思えます。

さて、この車両。実は長崎バス系列のバス車両でありながら、長崎バス特有の車番が付番されない状態で稼働しているという稀有な車両です。
元々島鉄に独自の車番の概念が無く、そのために長崎バス傘下入りして暫くの間、車番無しで走る車が多く見受けられましたが、次第にプロパー中古問わず車番が付番された他、付番前に廃車になるといった動きが見られるようになり、現在ではこの車を除く全てのバス車両・デマンド交通車両に、長崎バス方式の独自の車番が付番されています。
しかしながら、この車だけは何故か未だに車番が振られません。そもそも4502という車番を持っていたのに、移籍に合わせてわざわざ消している点も不可解です。あくまで車体から車番の表記が消えているだけで、書類上は車番が振られているものとして管理されているのでしょうか。

移籍当初より一貫してスクールバス専用車となっている同車ですが、上画像のように乗務員教習の教習車として使用されることもある様子。一般路線を運行する事業者で、公道上での新人乗務員養成に貸切型を用いるという話はあまり聞かないので、撮影時は恐らく高速バスや貸切バスへの乗務員登用訓練向けに使用していたものと思われます。

4.おわりに

雲仙地獄の側を走る島鉄の元長崎バス車両。島鉄の長崎バス傘下入りを象徴する光景だ。
小浜ターミナルで顔を合わせる、島鉄プロパー車と元長崎バス車。こんな光景も今は珍しくない。

ここまで色々な車両を見てきましたが、今までの間に全部で何台確認されているのかと言いますと・・・・・・。

・U-LV318L(純正)・・・12台
・KC-HT3KMCA(純正)・・・3台
・KC-HT3KPCA(純正)・・・2台
・KC-HT3KPCA(西工)・・・3台
・KC-HU3KMCA(純正・ワンステ)・・・1台
→ここまで、大型路線車:総計21台

・KK-LR333J1(ワンステ)・・・2台
・KK-HR1JKEE(ノンステ)・・・1台
・SDG-LR290J1(ワンステ)・・・1台
→ここまで、中型路線車:総計4台

・KC-MS829P(長崎バス観光色)・・・3台
・KL-RU4FSEA(長崎空港線色)・・・1台
→ここまで、貸切車:総計4台

⇒以上、移籍車全車両:総計29台

と、なりました(※既に離脱してる車両も含む)
こうやって見ると、やっぱりU-LVの数が桁違いですね。他の車が1台もしくは数台程度に対し、U-LVだけは両手の指が足りないレベルで移籍してきてたんですね。大型路線車の半分以上がそれって・・・・・・そりゃ朝も昼も夜も、時間を問わず色んな路線で見かけるわけです。
島原鉄道が長崎自動車の傘下に入ったのが2018年ですから、6年ほどでここまで長崎バス色に染まっていたわけです。

さて、島鉄が長崎バスへ傘下入りしてからの6年というのは、まさに交通・運輸業界全体において激動の時代と言えるでしょう。国内外の景気回復による移動や観光需要の増大によって業界全体で活気が出たかと思えば、2020年以降のコロナ禍によって増大していたはずの需要は水泡に帰し、需要増大で嬉しい悲鳴を上げてたはずが需要減でただの悲鳴に変貌。業界全体で強烈な寒の戻りに打ち拉がれた苦難の時代となったのも記憶に新しいところです。
そんな時代の中で、島原鉄道はずっと戦い続けてきました。
事業発展と事業継続の両立を実現するために、企画乗車券の設定や航空会社等との連携企画の展開、その他広報活動といった事業発展のために取り組んだ華やかな施策の裏で、例えコロナ禍で利用者が急激に落ち込もうが移動需要が増大していようが関係無く、事業の安定的継続を図るために、コストカットの名の下で、長年培ってきた様々な要素が詰め込まれていた己が身を泣く泣く削り続けていたのです。そのコストカットの中に含まれていたのが、今回紹介した長崎バスからの車両移籍です。

長崎バスからの車両移籍は、従来の新車や中古車の導入以上のコストカットを実現。系列内移籍となることから塗装変更の手間を省くことが出来、車載機器もそのまま流用したり島鉄が保管していた廃車発生品を使えば、導入にかかるコストを削減できます。使えるものは使い回す、系列内でのやり取りだからこそ柔軟に出来るコストカットなのです。
その一方で、古参車に関しては使用部品の調達に難儀する場合も考えられる他、かねてより老朽化が進んでいることもあり、それが元となって生じる故障や事故のリスクも高くなります。
島鉄においては車齢20年超での移籍が殆どですが、車齢20年超ともなると中古車として放出される車よりも廃車される車が増えてくるような世代です。廃車の方が多いというのは、それだけ走行キロが伸びていて使い倒されている、要するに老朽化が進んでいる証左とも言えます。しかも島鉄は長距離路線が多いことから、必然的に走行キロが伸びやすいものですから、老朽化によるリスクも高まりやすい環境であると言えます。コストカットとリスク管理をどう両立させるかを常に意識しておく必要がある訳です。

また、ここからは私の主観が強くなってしまうのですが、高齢者の利用の多い島鉄において低床車では無くツーステップ車が元号を跨いでもなお導入が続けているのは、地域の実情に即した路線バスの運行が行われているとは言い難い状況にあると思います。先述の通り、移籍させられるような低床車の確保が難しい状況であるとは言え、ステップの一段一段が大きいツーステップ車両は、高齢利用者の乗降に危険が伴うほか、乗降に時間を要するためダイヤの遅延を惹起させる要因になりかねません。ダイヤの遅延は、乗務員の勤務内容によっては、乗務員の休憩や待機の時間が短くなる、退勤時間が延びて改善基準告示の内容に抵触する恐れがあります。高齢化の進む地域におけるツーステップ車の導入継続は、乗客にとっても乗務員にとっても大きなリスクを伴うものなのです。
その他、移籍してくる車両の一部が塗装の色落ちが目立つ状態だったり広告や社名表記の剥がした跡が目立つ状態で導入されると言った、塗装変更どころか塗装更新の手間すら省かれた車両が見受けられます。そのような状態の悪い車両達が移籍し続ける状況というのは、普段バスを利用しない沿線地域の住民の目からしても印象は良くありません。バスに疎い私の知人ですら「ボロいバスが増えた」と苦言を呈する訳ですから、「島鉄=車両が古いor汚い」のイメージが定着してしまうと、企業ブランドの価値が下がり、沿線地域内外の個人や組織からの信用を失う遠因となりかねません。

と、まあここまで色々書きましたが、長崎バスからの車両移籍等を含む様々なコストカットは、今の島鉄にとっては欠かせない施策であると私は考えています。
流行に便乗する等して積極的な投資を繰り返してしまえば、コロナ禍のような急激な景気変動や交通・運輸業界を取り巻く情勢が大きく変化した際、事業発展どころか事業の維持すら危うくなる可能性が高くなるわけですから、積極的な投資だけでなくコストカットを図って、均衡の取れた経営体制を構築しないと『経営再建』は果たせないと思われます。
とはいえ当然、投資のみならずコストカットにも大小様々なリスクが上げられます。利便性、安全管理面、労務管理面、企業が培ってきたブランドイメージ、・・・・・・各方面に与える影響を考慮しながら、何のコストをどれだけカットできるだろうかと慎重に検討を重ね、可能な限り地域や利用者の実情に即した施策にしていかなければ、地域からも利用者からも信用は得られないと思うのです。

6年もの間に島鉄バスは大きく変わりました。
塗装は長崎バス色が強まり、乗務員不足や利用者数の減少で路線数は減少し、ICカードが更新できず紙式回数券に回帰する等、設備面もサービス面も激変の繰り返し。過疎化の進む地域を基盤とする事業者として、何とか生き残りを図るための苦渋の決断を強いられ続け、その決断の答えが現在進行形で現れているのです。これは島鉄に限った話では無く、地方のバス事業者ならどこにでも起こり得る話です。
島鉄色を上塗りするように長崎バス色が強まりつつある今、観光産業振興と過疎化の狭間で揺れる島原半島で、島鉄と親会社たる長崎バスは地域や利用者のために何が出来るのか、また過去より培ってきた島鉄のブランドイメージをどのように発展させるのか、そして地域は島鉄をどのように支えていけば良いのか。元長崎バスの島鉄バス車両というのは、そのような様々な難問を日々島鉄自身にも私たちにも提起し続けているのかもしれません。

【余談】過去の長崎バス移籍車を見る

「おわりに」って書いておいて、わざわざおまけコーナーを作るのはどうかと思うかもしれませんが、せっかく「島鉄の元長崎バス車両」の話をしてるんだからということで、ささっと書いておきます。

今から紹介するのは、傘下入り前に導入され、傘下入り直後までに姿を消していった車両達です。2008年春の鉄道線一部区間廃止に伴う代替バスの運行に伴う車両数確保のため、2007年と2008年の2ヶ年に分けて中古で導入されたもので、1990年式~1992年式のいすゞ車と日野車が在籍していました。
末期は朝夕以外は車庫で待機する姿が目立っていたものの、朝夕ラッシュ時にはその収容力の良さを遺憾なく発揮していました。2010年代中頃から廃車が始まり、2018年の傘下入りの際には、上記のU-LVに車載機器や方向幕を供出する形で完全に引退となりました。

①U-LV318L(純正車体)

画像の車は、長崎バス時代より方向幕の中央仕切りだけが何故か黒かった。

先述の通り、2007年から導入された元長崎バス車両。
2007年はいすゞ車のみ3台導入され、うち2台がL尺車でした。なお純正のL尺車の中古導入はこの年限りとなり、翌年の中古導入分は後述する西工車体架装車のみとなりました。
中古で導入されたのは、以下の通りです。2台とも1990年式でした。

【2007年導入:計2台】
・長崎200か455(元長崎22か2352:長崎バス1013号車)
・長崎200か456(元長崎22か2356:長崎バス1017号車)

後述する他の車両にも共通する仕様ですが、導入に際しては、ナンバーの再登録を行ってはいますが、大がかりな改造は施されておらず、塗装変更や運賃箱・運賃表の交換は行われましたが、行先表示はLED化されずに幕仕様のままとなっています。当然このような分割方向幕を採用したのは島鉄初ですし、後に続いたのは上記の1995年式U-LVだけです(――まあ、これら車両の廃車発生品を流用しただけなんで「続いた」というのは語弊があるかもしれませんが)
幕周りの青い色も長崎バス時代のままなので、白地に赤帯の島鉄塗装ではとても目立つ仕様でした。なお2台の内、元1017号車である456については、長崎バス時代から方向幕の仕切りだけが何故か黒色でした。

②U-LV318L(西工車体)

西工のスケルトンボディとの縁がなかった島鉄にとって、初の58MC架装車となった。
運転席の側窓が西工標準仕様だった1991年式。1992年式以降のツーステ車では小型窓に変わる。

2007年は3台で導入が終わった元長崎バス車両も、2008年には8台導入されました。その2008年導入車の中で最も多く導入されたのが、このU-LV318L+西工58MCの組み合わせです。
全て1991年式の車両で、以下の車両が導入されています。

【2008年導入:計5台】
・長崎200か518(元長崎22か2433:長崎バス1111号車)
・長崎200か519(元長崎22か2426:長崎バス1104号車)
・長崎200か523(元長崎22か2423:長崎バス1101号車)
・長崎200か524(元長崎22か2437:長崎バス1115号車)
・長崎200か525(元長崎22か2434:長崎バス1112号車)

先述のKC-HT(西工)の項目でも書いたのですが、島鉄は西工の本場九州の事業者としては珍しく、西工のスケルトンボディの導入実績が無い事業者でした(モノコックなら導入実績はあった)
結局、プロパーで58MCや96MC等のスケルトンボディが入ることは無かったのですが、中古で西工車体の車が導入されるようになっていきます。その嚆矢となったのが、元長崎バスのU-LV+58MCだったという訳です。
島鉄における58MCは、結局現時点までに導入されたのは、このL尺車と同時に導入されたN尺車(後述)の6台のみ。傘下入り後も長崎バスから移籍すること無く今を迎えていますので、恐らく島鉄の58MCは、この6台から増えることはないでしょう。

③U-LV318N(純正車体)

L尺車と同じく2台導入されたN尺車。島鉄のキュービックはL尺とN尺が2台ずつの陣容だった。

長崎バス傘下入り後に来たU-LVは、1995年式のL尺車が12台という凄まじい陣容でしたが、一方で傘下入り前のU-LVはといえば、収容力を見込まれたのか、L尺車だけではなくN尺車も導入されていたのが特徴です。
N尺車もL尺車と同様に、純正・西工ともに導入されてましたが、その内純正車に関しては2007年と2008年のどちらでも導入されてます。これは同時期の元長崎バス車では見られないパターンでした。
導入された車は、以下の通り2台とも1992年式です。

【2007年導入:計1台】
・長崎200か454(元長崎22か2547:長崎バス1214号車)
【2008年導入:計1台】
・長崎200か520(元長崎22か2548:長崎バス1215号車)

登録時期に1年ほどズレがあるとは言え、元の登録番号が1つ違いの車が登録されていたのも面白い点ですね。
島鉄色のキュービックはL尺2台、N尺2台の計4台が活躍。個人的には見かける機会も多かったので思ったよりも少ない印象です。
4台とも2018年まで現役で稼働し続けた後、廃車になりました。島鉄色を纏ったキュービックは格好良くて好きでしたね。他車では見られない青い幕周りが爽やかでお洒落でした。

④U-LV318N(西工車体)

L尺に混ざってたった1台だけ導入された、隠れた希少車だったN尺の58MC。
1992年式だったこの車。上記の1991年式と比べると運転席の側窓が小さくなったことが分かる。

西工を長らく導入してこなかった島鉄にとって、青天の霹靂とも言える58MCの移籍車。その大多数がL尺車だったのですが、たった1台だけN尺車が導入されていました。運行範囲が広く、かつ運行本数も限られる割にその仕様で入れたのは1台だけというマニア泣かせな話は、島鉄では今も昔もよくある話らしいです。
導入されたのは以下に記載している、1992年式の1台です。

【2008年導入:計1台】
・長崎200か522(元長崎22か2574:長崎バス1221号車)

先ほど紹介した1991年式のU-LV+58MCとは、車体のホイールベースの差違のみならず運転席の側窓の大きさで識別が出来ました。1991年式と異なり、1992年式では窓が標準よりも小型化されており、以降2000年導入のツーステップ車までその仕様で導入され続けた、長崎バス特有のものと思われる仕様です。島鉄ではこの1台だけの仕様だったので、ナンバーを見ずともすぐにこの車両だと分かったものです。

キュービックと比べると廃車が発生するのが早かった58MC。傘下入りする2年ほど前には廃車が出ていたかと思いますが、こちらも2018年まで現役の車が多く、N尺車も2018年まで現役でした。
特徴的な顔つきが今でも印象的な、島鉄の58MCでした。

⑤P-HT275BA(純正車体)

いすゞに混じって1台だけ導入された日野。長崎バスは、P規制の頃から角形ライトだった。
まさかの再就職を果たしたP-HT。自走する場合は仮ナンバーを付けて走るようだ。

この章の冒頭で書いたとおり、2007年~2008年にかけて導入された元長崎バス車両はいすゞ車と日野車でしたが、ここまで紹介してきたのは全ていすゞ車です。では、日野車は?と言えば、実はいすゞ車が複数台移籍してきたのに対し、こちらはたった1台だけという希少な存在でした。その上、いすゞ車が全てU規制だったのに対し、こちらはP規制の車というのも特徴的な要素ではないかと思います。
導入されたのは、以下記載の1990年式の1台でした。

【2008年導入:計1台】
・長崎200か526(元長崎22か2332:長崎バス3007号車)

P規制車ながらも、長崎バスでは角形ライトを採用していたのが特徴。なお島鉄もプロパーのU-HUも全て角形での導入でしたから、島鉄には丸目のHU/HT系が導入されていないことになります。

島鉄バスでは、島原~加津佐線等の南目方面の系統で活躍していましたが、今まで紹介してきたキュービックや58MCと共通で運用が組まれていたようで、なかなか動いている所を目撃できなかった1台でしたね。1台だけという希少さも相まって、マニア人気が高かったと記憶しています。
しかし、そんなP-HTも寄る年波には勝てなかったらしく、長崎バス傘下入り前の2017年2月には運用離脱し廃車されてしまいます。

通常であれば、このまま解体処分されるはずだったのですが、それに待ったをかける企業が現れます。待ったをかけたのは、島原市内の観光施設の管理・運営を行っている「(株)島原観光ビューロー」でした。
島原市内の観光協会等を統合し誕生した同社は、市内観光地への誘客や交流人口拡大のため、同車を再利用して『無料休憩所』に改装することを企画。島鉄側もそれに協力し、車内の改装等を行った上で、島原観光ビューローへと譲渡したのでした。
(以下ツイートに添付してる画像が、当時の地元紙の記事)

無料休憩所への転用の際、一部座席の撤去や配列変更、テーブルや音響設備の追加設置といった改装は行われたものの、降車ボタンや車内表示器(「つぎとまります」「右左折注意」)の他、方向幕等の路線バスの設備が残されたままになっています。
また、記事にも書いてある通り、市内観光地やイベント会場への移動も考慮して、仮ナンバーを付けて自走が出来るようにしてあるという点も大きな特徴です。実際、島原城や火張山花公園(旧:芝桜公園)に同車が設置されているのを確認しておりますので、実際に自走しているようです。

とまあ、自走できる休憩所として新たなスタートを切った同車でしたが、現存していると製造後34年目の古い車両になるもので、ここ最近は目撃情報も見られないことから、今も使用されているのかは不明です。私も今年1月に島原城に行きましたが、城内にその姿は無かったですね・・・・・・。
何年か前に車内に入った時も、所々痛んでいる様子が感じられましたから、正直気がかりな所ではあるのですが。

――以上、余談終了。
ここまで長々とお付き合いくださって、誠にありがとうございました。
お疲れ様でした。