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豪雨


 各地で、川が氾濫したり土砂が崩れたり、たいへんなことになっている。

 災害大国のこの日本では、毎年、どこかの町が濁流に呑み込まれている気がしている。私の地元も、今報道でフォーカスされているほどのものではないにせよ、ちょっと強い雨が降ると簡単に増水して道路に溢れて、けっこう水害と隣り合わせなところがある。

 水は恵みだけれど、時に容赦がない。

 でも、先日、熊本の方で凄まじい豪雨が起こったあと、自分の住む地域でも物凄い豪雨があり、早朝、その雨風で目を醒ました。たまたま窓を開けていたから、音が余計に直接部屋に響いていた。

 わずかに明るくなりつつある朝、まさに篠突く雨、白い霧が世界を掻き回してうねっているような光景と、鼓膜というより全身を叩く大粒の音に、立ち尽くしていた。

 その時感じたのは、目前の驚異的な雨に恐れおののいた、というだけではなく。

 被災地に胸を痛ませることはあっても、肌に感じるほど触れ合わなければ、ものごとを自分のことのように感じることはできないのだという、他人事のように感じていたのだという、自分のまなざしを意識した。恥じるというより、ああ、そうなんだ、と自覚した。

 心配、不安、俯瞰、どれも自分なんです。

 複雑な心境。

たいへん喜びます!本を読んで文にします。