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タイムトラベラー

 小学生の頃である。長いRPGを進めた先で、少年は子供心に大きな幻滅を経験した。
 世界を脅かす悪の親玉、魔王を倒すために、村人Aであった主人公は旅をする。木の棒から始まったあまりに弱々しすぎる武器を片手に、雑魚敵を丁寧に倒しつつ、賛同する心強い仲間にも出逢いながら、各地に点在するボスを倒す。主人公は少しずつ強くなっていく。やがて強大な魔王にも太刀打ちできるほどの巨大な力を得て、ラストダンジョンへと登り詰める。長い道のりを経て、遂に魔王に辿り着く。主人公も仲間も傷つきながら、長い戦いの末、ついにHPゲージを削りきって、最終ボスが倒れる。
 世界を救う華々しいエンディング。
 待ちに待った瞬間。スタッフロールに、壮大な曲が流れ、感動もひとしお。
 最後にただ一文、ドヤ顔が見えるような、THE END。
 長い旅路を終えて昂揚感に浸ったまま、つづきからを選択してからが問題だった。
 見覚えのある景色。魔王にいざこれから向かうという一番手前のセーブ場面。信頼する仲間に話しかけても、みんな決まり切った台詞を吐くばかり。いよいよ魔王との対決だとか、これが終わったらゆっくりしたいけどちょっと寂しいだとか、ここまでいろんなことがあっただとか、創造性の無いアンドロイドのように繰り返す。つまり、まだ戦いは終わっていないのだった。
 なんでだよ、倒したじゃん。
 つづきから、じゃないじゃん。
 倒した後、平和になった世界でずっと遊べるんじゃないのか。
 勿論、ゲームにはストーリークリア後のやりこみ要素が存在している。待ち受ける魔王をすっぽかして、魔王の支配される世界を悲嘆する無数の人々を放置して、主人公たちは別の目的のために更に強くなっていく。彼等の時間は永遠に止まったままだ。そしてそれは主人公の半身であるプレイヤーも同様だ。魔王を倒した後の世界を経験することはない。
 その事実に衝撃を受け、少年はコントローラーを投げた。やってられるかこんな虚しいこと。


「ヒロキ、起きて」
 可愛らしい、天使みたいな声が聞こえる。
 青年が瞼を開けると、見覚えのある顔が見えた。木漏れ日の逆光を受けてやわらかな影の中で笑っている。いわゆるヒロイン枠のキャラクターだ。幼なじみで、主人公が旅を始めるにあたり、心配しつつも応援してくれた。ストーリーの中盤でパーティに参入し、魔王を倒す仲間として一角を務める。
「お昼ごはん持ってきたよ」
 そう言って、朗らかに笑うヒロインは籠に詰めてきたサンドイッチを見せた。やわらかな白いパンに色とりどりの具材が挟まれていて、実に美味しそうな外見をしている。
 ヒロキは起き上がり、しばしヒロインと談笑しながら、サンドイッチを頬張る。
 淡い色をまとった丘に一本のへんてこな樹が立っている。かつてそこには伝説の剣の眠る祭壇へ続く隠し通路が隠されていた。そんな思い出深い樹の根元に二人は並んでいた。そこからは、彼等の住む村を含めて、なだらかな世界の展望が開けている。
 丘の斜面には、小さなモンスター達がたむろしている。冒険を始めたばかりの頃は、木の棒で叩くしかなく、随分と苦戦した。今、ヒロキたちは強くなり、近付けば自然と弱いモンスター達は逃げていくようになった。それはそれで寂しいものがあったが、強さを自覚できる瞬間であった。
 視線を遠景に投げれば、遠くの山々の向こうにまで世界は広がっていて、見えない場所にまでヒロキは足を運んだことがある。海にも、砂漠にも、火山にも、果ては空の上にまで冒険していった。未知との対面を繰り返してきた。宝箱を開けて一喜一憂し、レベルアップに心躍った。刺激的で退屈のない毎日。世界を余すことなく解剖していくような旅。次はどんな場所が待っているのだろうと、心震わせていたものだった。
 だけど、本当は、まだ見ていないなにかがあるはずなのだ。世界は広く、何かしらのドラマがどこかに眠っているはずだ。
 ヒロキはずっと信じていた。魔王を倒しても、冒険は続き、仲間と共に未知へ挑戦していく、そんな日々を渇望していた。ヒロインとの甘い時間も良い。仲間はふるさとに帰り、おのおのの人生を歩んでいるかもしれない。日常に戻って酸いも甘いも経験しているかもしれない。だけど、あの冒険以上に刺激的で魅力的な時間が果たしてあるだろうか。
 本当に、これでおしまい、だったのだろうか。
 そのことを、ヒロインに尋ねた。おしまいなのだろうか。もう冒険は終わったのだろうか。
「続いているよ」
 当たり前のように、彼女は目を丸くして言った。
「ヒロキが続けたいと願う限り、私たちを忘れない限り、冒険は続く」
 それは、魔王を倒しても?
「勿論」
 ふ、と彼女は頬をやわらげた。
「これは、ヒロキの人生だし」
 青年は首を傾げる。ゲームの中の話なのに?
「ゲームだけど、ゲームじゃない。だって、ヒロキの人生の中で、この世界に出逢って、ヒロキは冒険をしたでしょ。だから、ゲームは、ヒロキの人生でもあって、ヒロキが生きていればゲームは続いていくし、ヒロキが忘れないでいたら、ヒロキの中で私たちはずっと生きている」
 いつの間にか青年の周りには、懐かしい仲間たちが勢揃いしていた。
 青年の脳裏には、かつての冒険の記憶が巡っていた。ドットで構築された世界には現実に接近したリアリティがなくとも、ありありと現実のように浮かんでくる。ゲーム画面を通じて、青年の頭で想像された世界の細部。仲間たちの台詞から広がる挙動や表情。夢中になってのめりこんだ架空世界を、かつての少年はこよなく愛していた。
「冒険に出よう」
 心強い仲間達が声を揃えた。立ち上がったヒロインの手に引かれて、ヒロキは恐る恐る立ち上がった。


 博喜の人生は続いている。
 いまや3Dグラフィックがゲームの主流となり、2Dドットは懐かしいだとか古びただとか古風なものとして扱われがちだ。ソーシャルゲームの台頭によって、昔に比べると据え置きゲームは伸び悩み、博喜の世代では画期的であった携帯ゲームすらも世間から離れつつある。手軽さを世界が求めている実感がある。それとは裏腹に、ゲームには作り込みが求められている。グラフィックも音楽も許容容量も昔とは段違いに進化を遂げ、表現の幅が広がった分、より高度な要求をされるようになった。
 ストーリークリアをしたら、それで終わり。
 それが仕方の無いことではあると、今はよく理解している。それにストーリークリア後の世界を描くゲームも多く存在していることも解っている。
 博喜の中には、あのゲームが人生の基盤となり、あのゲームの続きで冒険をしているのだという意識があった。人生とは冒険だ。勿論、現実には、海を常に渡ったり、砂漠をじっと歩き続けたり、火山の内部に踏み入れたり、ましてや空の上の町に行くなど有り得ない。けれど、博喜の中には常にあの世界が広がっている。あの続きを、今も冒険し続け、まだ見ぬ世界を開拓し続けている。そう考える時、博喜は小学生の頃に立ち戻る。興奮も幻滅も直接的な痛みのように経験した、純粋な感性を思い出す。過去と現在、そして未来を行き来し、さながらタイムトラベルのごとく、幾度も振り返っては未知を構築している。道ばたの、あるいは洞窟の奥に隠されている宝箱を開けていくように。
 シリーズものの続編や、リメイクが売れる中、会社は新しいRPGの企画を採用し、地道にキャリアを積んできた博喜もそのメンバーに抜擢された。
 新しい世界は、あのゲームの世界とは異なる。けれど、地続きになっている。
 新規チームで最初の飲み会が成された。流石にゲーム好きが集まっているだけあって、話題もゲーム話に熱が籠もりやすい。その中で、比較的新参者である博喜には、どこかのタイミングで決まった質問が飛んでくる。影響を受けたゲームについてである。
 数え切れないくらいある。それでも、博喜は一つだけ挙げる。忘れるはずがない、夢にまで出てきたキャラクター達の表情、言葉、冒険の記憶、音楽、どこかに眠っているはずの、地図に載っていない部分に夢を馳せながら。
 ぼくらの人生は、ゲームによって創られている。


 了

「タイムトラベラー」
三題噺お題:救う、これでおしまい、アンドロイド

たいへん喜びます!本を読んで文にします。