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天の河 ――「Page118:魂の在処」冒頭より

天の河

 彼女は乾いた匂いの立つ草原に座り、夜空を見ていた。星の敷き詰められた空だった。天の河は本当に河のように星がゆっくりと流れていて、満天の星空には瞼がまたたくたびにいくつもの流星がちらつき、白であったり、青であったり、赤であったり、はたまた虹色であったり、様々な色を発している。輝いては、さっと、消えていく。あっけなく跡形もなく消えていく。零れおちてきそうなほどたくさんの星に満たされていながら、不思議と騒がしい印象はない。静かだった。静粛で、息を呑んで見守る他無い、広大無辺の空間であった。しかし、幻想的に静かに輝く夜空の下、遙か彼方で佇む真っ黒な山間のあたりには赤い別種の光があった。妙にお互い繋がりながら脈打つように輝いていた。それは森を燃やす炎の光だった。
 これだけの光が広がっているにも関わらず星光はあまりにも遠く、彼女の座る場所は殆ど周囲がはっきりとしなかった。耳を撫でる草の音や、さわさわと身体を撫で付ける草叢の感触で今ここは草原だと判別できるだけで、それが無ければ、ひとり、宇宙に浮かんでいるような光景だった。
 不意に、彼女は肩を叩かれ、隣を振り向いた。
 見覚えのある顔に、虚ろな瞳が見開く。
 僅かな星の光を浴び、青年、アラン・オルコットが微笑んで、なんでもないような素振りで隣に座っていた。嘗ての日々、笑っていたあの頃のままの、幻。
 昂ぶる感情があるのか、彼女は口を開けては閉じて、言葉を発することすらできずに彼をじっと見つめる。彼女より背丈の高い青年は、小さな子供を可愛がるように、優しく栗色の髪を撫でた。
 あたたかな行為で決壊したように、彼女は彼の胸へと跳び込んで、背中ごと強く抱きしめた。そして、言葉の代わりに泣いた。
 彼の肩口が濡れていく。咎めず、突き放さず、彼もまた彼女の背に手を回して、あやすように背中を優しく叩いた。声は無く、なんてことないように笑っていた。一定のゆっくりとしたリズムに、不規則な嗚咽が混じり、闇夜に染み込む。
 張り詰めていたものが解かれ、ただの子供へと戻った彼女は、ゆっくりと顔を話し、腫らした瞼のままですぐ傍の彼をもう一度目視する。
 事あれば隙間無く喋り続けていた彼だったが、声を失ってしまったように口を閉ざしたままだ。暫く沈黙を挟み、彼女は、ごめん、と言った。涙が彼方の星光を反射していた。彼はゆるく首を横に振った。依然何も言わないままで。
 彼は姿勢を崩し、ゆっくりと立ち上がる。繋いだ手に引かれて彼女も重たかった身体を起こした。ずっとそこに座って閉じこもっていたけれど、夜の中に立ち上がり、ほんの少しだけ宇宙に近付いた。彼女は泣いた分だけ幼くなって、彼の掌にすっぽりと小さな手を収め、ぎゅっと硬い指を握りしめた。

 まっしろな闇「Page 118 : 魂の在処」冒頭、夢の場面より引用。

 この場面自体は七夕とはまったく関係がないんですが、「天の河」という表記を使っていることもあり、七夕と拙作を繋げたなにかを描いてもいいかもしれないと考えてひらめいたのが、この場面の挿絵のようなイメージ絵でした。

 夜空に関する描写をなんども書いています。

 これは眠る彼女の瞳が視た、彼女の世界でもあるのでしょう。

 アメモースの飛行訓練を決意して仰いだ星空を前に、かつて共に旅をした仲間たちとこの美しい情景を観たいと願った、氷のように冷たくかたくなになった彼女の奥に眠る、深層風景のひとつなのかもしれません。

 美しい星には、きれいだった思い出には、手は届かないけれど。

 立ち尽くす地は暗闇に満ちているけれど。

 彼の姿が出てくることもあり、印象的に書きたかった場面でした。大切な場面です。


 しろ闇内をイメージした風景画を描くたび、この世界は私の想像を超えて彩りある世界なのかもしれない、と驚きます。文章がベースではありますが、違う目で物語を眺めて絵筆を走らせると、物語を深める行為になるな、と。きれいだなと感じたものも、物語というフィルターを通して観ると、キャラクターたちを通して観ると、ただきれいというだけに収まらないような。新しい発見があるような。

 自分の力量の足りなさにうなだれることも、ありますが。

 絵の訓練を重ねて更にこの世界の解像度を上げたい、と思った今年のしろ闇七夕でした。あ、遅ればせながら、ちょうど願い事、ということで。


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たいへん喜びます!本を読んで文にします。