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8/7広島で話した幽霊

興奮してなかなか寝付けない。もうすぐ、広島に行くからだ。広島の後は松山にも行く。広島conquestと、三津浜とぉから、広島のにっしんと、松山のEKDと弾き語り武者修行。この秋、生涯忘れられない旅に出る。


ここから先は7年前、広島ツアーに出る直前に書いた物です。不思議な体験をしたからこちらにも上げておきます。おっちゃんの話す言葉を完全な広島弁にしたかったけど、広島弁翻訳サイトも見つからないので、どうぞ脳内で広島弁に変えてつかーさい。

広島には忘れられない思い出がある。

2000年にASSFORTのヨシキ君が発起人となり、8/6広島と8/9長崎でライブをして売上を寄付しよう!と行ったツアー「MASS FOR THE DEAD '00」にFLUX CORED WIREで参加。

東京からはASSFORT.SOBUT.BAREBONES.大阪からアベスティボーイズが、広島入り。チャイナタウンでガイさん、ジェロくんが来てくれ、話せてとても嬉しかった。 

ライブ翌日8/7は原爆資料館へ。たしかアベスティのメンバーとうちで10人くらいで見学。言葉を失くす衝撃だった。その後、しばらく待機だった為に公園を散歩。抜けるような真夏の青空を眺めていると歩いていた白髪のおっちゃんが話かけてくる。

おっちゃん「お前、派手やのう。なんでそんな頭してるんや」

当時20代で広島にライブ行くので張り切って赤い髪にしたんですね。

「バンドやっててねー!昨日はライブでした」

「そうか。バンドか。音楽か。そうか。わしな、死んでたんや」

「え?」

おっちゃん「死んでたんや」

「…死んでた?」

「そうや、死んでたんや」

出会って一言、二言目で、何度聞いても、自分は死人だと言い張るご老人。面倒な人に捕まってしまったのか、8/7炎天下の平和公園、真っ昼間に霊的な体験をしてしまっているのか混乱しましたが、思い切って聞いてみました。

「あのー、、どうやって死んだのですか?」

おっちゃん「なんや、聞いたいんか。そうしたら教えたる」

以下、話してくれた内容です。

1945年、兵隊として、中国戦線で戦っていた。戦艦で移動中に魚雷をぶち込まれ船は轟沈。部隊はほぼ全滅したが、おっちゃんは重傷を負ったがなんとか助かり、中国の漁村に助けられた。終戦になったが体も動ける状態ではなく、しばらく身を隠し、日本に帰るまで数年かかった。やっと戻る事が出来て、故郷広島に戻ってくると焼け野原。このあたりもそれはもう酷い物だったと話してくれた。

このくらい話を聞いている頃、俺の帰りが遅いので、メンバーが呼びに来ました。が、おっちゃんの話が凄い為、一緒に聞く事に。結局来た10人全員で話を聞かせてもらいました。

続き

街の変わり様を見て愕然となったが、まずは実家に帰るのが先決。やっと生まれた街に戻ってきた!見つけた懐かしい近所の人に会って声をかけると、顔を見た途端、思い切り逃げてゆく。どうしたんだ?と思い、家に帰ると、みんなが腰を抜かしている。拝まれて、念仏まで唱えられた。仏壇を見ると自分の遺影と戒名まであった。部隊が全滅した為に死亡したと届けがあり、墓まで建っていた。おっちゃんは死んだ事になっていた。

俺「それで死んだてゆうてたんすねー!やっと分かりましたわー!俺も幽霊と話してるのかと思いましたわ」

笑顔で話は続けてくれたが、ここからがまた凄まじかった

やっと生きて帰ってきた故郷。最愛の妻に会いたい。その一心で生き延びてきた。妻はどこにいる?と皆に聞いても暗い顔をしている。まさか、なんかあったのか、探し当てると妻は再婚していた。相手は自分の実の兄だった。当時は戦死した兄弟と再婚するのは珍しい事ではなかったらしい。

どうしてもっと早く帰って来てくれなかったんだと泣く妻。すまんと謝る兄、もう二人の間には子供も出来ていた。

俺「むちゃくちゃ辛いですね…」

おっちゃん「みんなで泣いたよ。でもな、したくてそうした訳でもない。嫁はんも兄貴も周りも良かれと思ってそうした訳や、そやからわしは祝福する事にしたんや」

「生き残ったからにはガムシャラに生きないと、死んだもんにあの世で顔合わせられない。家を出て広島市内に1人で暮らし始めたんや。家におると兄貴もやり辛いし、そんな家におってもなんも面白ないやろ?新しい場所でやり直す決心をして飛び出したんや」

聞いていた全員、スタンディングオべーション!凄い!おっちゃんは男や。拍手喝采でした。

そこから良い縁があり、結婚。今はお孫さんまでいるとの事。またまた素晴らしい。

「仕事は何されてたんですか?」

「大学や」

「用務員かなんかですか?」

「あほう、仕事が大学ゆうたら物を教える事やろ」

名刺を見せてもらったら大学の教授でした。またまたびっくり!おっちゃん、変な人かと思ってたらまさかの先生。

「ええんや、人は見てくれではないからな。お前らも若いんやから、頑張らんかい。なんでもやる気次第や」

凄い人に話かけられたものだと本当に思いました。広島は凄いな、みんなでおっちゃんと話していると、そろそろ集合時間。

極めつけに最後

凄い話を聞かせてもらいありがとうございました。僕ら、そろそろ行ってみますわー!お礼を言うと、財布を取り出し、一万円札を!

「旅の足しにせえ」

一同で断りました。それは貰えませんわ、お孫さんに何か買ってあげて下さい!伝えると

「ええんや。せっかく広島に来たんやからこれで美味いもん食べてこい」

知り合って30分くらいで、すでに舎弟と親方みたいでした。したら有難く頂きます!ありがとう!最後まで手を振ってくれた姿をよく覚えてます。その後、美味しいお好み焼きをみんなで食べました。呼びに来たみんなは俺が、知らないおっちゃんに絡まれているかと思ったと談笑しました。2000.8/7の広島での出来事。

この話をライブのMCだと、どこから話して良いかわからず、話しても長すぎて演奏時間がなくなってしまうので、文字に起こしました。あのおっちゃんの言ってくれた言葉を思い出します。おっちゃんの様にどんな真っ暗闇の中でも、少しでも前向きに向かえたら最高だなと思います。

読んでくれてありがとう。いよいよ明日は広島に行ってきます。

遠距離バンド存続のため、移動費、交通費に当てます。旅は続くよどこまでも