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内村航平選手の「けあがり」と人生を思う朝の時間

子どものころ、父は、いつも食卓で新聞を広げながら朝食をとっていた。
新聞は大きくて、その向こうの父の顔は見えなくなって、
ご飯を食べているのに、なんだか不釣り合いな存在だった。

中学生になって、世の中のことを知るのが楽しくて、
毎日、新聞を読むようになった。
当時、私の実家は、スポーツ紙も、経済紙も、一般紙もとっていて、
帰宅後の時間はあっという間に過ぎていった。

その後、私の人生のなかで、新聞は大きな存在になったけど、
朝の食卓で、ゆっくりと新聞を広げることは、あまりなかったかもしれない。

社会人になってから、新聞=仕事だったし、
仕事の情報収集のために、新聞を読んだ。

唯一違うつきあい方は、週末。
哲学や思想欄を読んだり、文化・芸術欄を読んだりする楽しみが、
新聞にはある。
紙の新聞はいつしか、今目の前の「世の中とつながる存在」というよりも、
「人生に深く向き合う」ために欠かせない存在として、私のそばにいた。

今朝も、かつての父のように、朝ご飯をたべながら、
食卓に新聞を広げた。

朝日新聞の1面は、五輪で予選落ちした内村航平選手の記事だった。
新聞によくある、スポーツの敗戦のときのお涙もののストーリーかな、と思って読み始めた。私は、その手の記事が嫌いだ。 

読み進めると、こんなくだりがあった。

 今までで一番うれしかったのは、鉄棒で「けあがり」ができたときだ。
「小学1年生ぐらい。周りはみんなできたのに、僕だけできなかった。誰も見ていないときにできて、みんなに知ってほしくて体育館中を走り回った」

ふっと、そこで新聞から目を離した。

自分が初めてさかあがりができたとこのこと(けあがりではない)、初めて自転車に乗れたときのこと、それを父と母がどれだけ喜んだことか。
自分には子どもがいないけれど、子どもを持つ多くの親が、そうやって一つひとつ「できるようになる」ことを一緒に喜んで生きていること。

そうして再び記事を読み進めると、
内村は今も、「けあがり」ができた喜びを超える経験できていないという。そして、ずっと体操の楽しさを追い続けてきた、と。

だから、人生は楽しいな。と思う。

今朝の新聞には、いろいろと「立ち止まる」ポイントがあったけれど、
この記事も、人生のある場面を思い返らされた。

ここ数年、入試における男女差別が問題になっている。
この手のニュースを聞くたび思い出すのは、15年ほど前に新聞社で新人研修を担当したときのことだ。

「なぜ、講師が男性ばかりなんですか? 女性デスクの話も聞きたい」と、新人女性たちは言った。

「政治や経済、社会部に女性デスクはいないから・・・」。
その事実を伝えた時の、新人女性記者たちの失望した表情を、
私は今も忘れない。

あれから、15年。当時の新人たちは、どんな思いで仕事をしているだろう。

新聞をゆっくりと、立ち止まりながら読み進める時間は、
自分や人生と向き合うことができる、
日常のなかのぜいたくな時間かもしれない。

必死に仕事をし、必要な情報を追いかけ、走り続けてきた年代を通り過ぎ、
最近ふたたび、新聞をゆっくり広げ、
時間を気にせず、気の向くまま、
気になった記事に目をとめて読む時間がある。

仕事のためだけなら、インターネットの情報は本当に便利だ。

たとえば、最近の私は、仕事柄、「脱炭素」のことばかり追いかけている。
経済紙やインターネットを読めば、その手の情報はあふれるほど出てくる。
むしろ、インターネットの方がずっと便利で、必要なトピックを登録しておけば効率的に情報収集ができる。
平日の朝食は、食卓にある経済紙とスマホから、必要な情報を拾い読む。

今日もインターネットを眺めると、内村はこれを機に引退するのかしないのか、その進退に触れる記事も多いようだ。失敗を分析する解説記事もある。

確かにそれも、読者の関心のひとつなんだろうと思う。

インターネットの登場で、世の中には、
成功するかとか、儲かるかとか、何が失敗要因かとか、
どんなキャリアや選択がいいとか、悪いとか。
データとか、分析とか、ノウハウとか、スキルとか。
そんな情報があふれている。

そういう情報ばかりに囲まれて、
ちょっと息苦しくなっている自分を思い出す。
人生はノウハウとか、スキルとか、そんなもんだけじゃない。
もちろん、成功談ばかりのはずもない。

正直、五輪やスポーツに、それほどの興味はないのだけれど、
朝刊の1面だから、つい読んでしまった。
そして、それをきっかけに、ひとの人生に思いをはせる時間も、悪くない。
週末のぜいたくな、朝の時間。



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