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高橋源一郎『日本文学盛衰史』《砂に埋めた書架から》59冊目

 高橋源一郎の長編小説『日本文学盛衰史』が書店に並んだのは、今年(2001)の春だった。※

 普段は買うのをためらう箱入りの豪華な装丁だが、私はいささかも迷わなかった。相当な傑作であることを噂に聞いていたからだ。

 実際読んでみて思った。デビュー作『さようなら、ギャングたち』に次ぐ傑作だった。

 舞台は明治時代と現代を混交させる仕掛けになっており、明治の文人たちが多く出入りする中で、平成の世にしかあり得ないものが顔を出す。たとえば、テレクラにはまる石川啄木とか。AVを撮る田山花袋とか。

 悪戯に時間軸を狂わせているわけではない。あの時代に生きていた文人が現代に復活したら、同様の行動を取るであろうことが予想されるのである。彼らが生きるために一生懸命だったあの時代、あのとき燃えさかっていた文学の熱は、平成の世に移したところで消えることはないだろう。現代の世だからこそ可能な代償行為として、新流行のカルチャーや新機軸の風俗サービスにその拠り所を見出すという点が、共感を呼ぶのであり、この企みに満ちた小説からリアリティを感じるところなのである。

 文人の苦悩は、生きるための苦悩でもあった。それを考えると、明治という時代が身近に思えてくる。

 特に感心した章は、夏目漱石が病床の石川啄木を見舞うところを端正な文章で綴る「硝子戸の中」

 現代の作家タカハシさんが胃潰瘍で入院した病室で、同じく修善寺の大患で吐血して入院している夏目漱石と、時空を超えた形でベッドが隣り合う「原宿の大患」

 漱石の問題作『こころ』に登場するKの正体を、明快に推理する「WHO IS K?」

 若い文人たちが北村透谷のもとに集まり、文学を語り合う青春の一夜を活写した「やみ夜」

 特に「やみ夜」では、あの樋口一葉がミニのスリップドレスにピンヒールで現れる場面にハッとさせられた。これは高橋源一郎にしか書けない演出だろう。


書籍 『日本文学盛衰史』高橋源一郎 講談社

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■追記■

※ この書評(というよりは感想文)は、2001年11月に作成したものです。

 ここでは、著者の現在の言論活動とか、そういった政治や思想的ないろいろなことは脇に置いといて(……また同じ断りを書いているわけだが)、著者の作品に触れてきた私の個人的な印象を書くだけに留めたいと思います。

 と、そう考えてこれまで読んできた著者の本を、この記事の中に並べてつらつらと語っていこうと思ったのですが、実家からかき集めてくるのもたいへんだなと感じてそれも思いとどまり、手元にある資料を参考に、ふわっと書いて終わりにしたいと思います。

 先の感想文でも触れましたが、高橋源一郎のデビュー作『さようなら、ギャングたち』は、おそらく日本の文学史において必ず記録しておかなければならないポストモダン文学の傑作です。どのくらい傑作なのかは作品への理解が及ばないため〈過去記事参照〉今でもうまく説明できないのですが、八十年代の初めにこの作品が書かれて存在していたことは、大きな意味があったと個人的には思います。これに比肩しうる前衛的な小説はそれ以降、まだ誰からも書かれていないはず……です。

 そのデビュー作から二十年後、著者は再び傑作をものにします。それが『日本文学盛衰史』です。この作品は1997年から群像での連載が始まり、2000年まで続きました。

『日本文学盛衰史』が連載中だった平成十年(1998)、著者は原宿にある自宅で大量出血により気を失い、救急病院に運ばれます。胃潰瘍でした。折しも連載小説の次の原稿は、明治四十三年(1910)に胃潰瘍を患っていた夏目漱石が修善寺の菊屋旅館で大吐血した「修善寺の大患」を書く予定でいました。このときの体験と重ね合わせてできたのが、『日本文学盛衰史』の中盤に位置する「原宿の大患」の章です。この頃から実生活と書いている作品の中味が交差するようなことが起こり始め、毎月書くのが楽しくなってきたと著者自身が語っています。傑作ができあがるときは、このような不思議な出来事が付きものなのかも知れません。

『日本文学盛衰史』には、明治の文士たちばかりでなく、現代の文士、現役作家たちも多く登場します。著者のプライベートも反映され、名前は変えてあっても前妻や実の娘も出演して、たいへん賑やかです。この連載が終わる頃、姉妹作とも言える『官能小説家』の新聞連載がスタートします。この小説も森鷗外がAV男優を演じており、明治と現代が混交するコンセプトは同じです。

 最後になりますが、高橋源一郎が文芸誌のインタビュー記事で語っていた印象深いエピソードを思い出したので、ここに紹介します。

 七十年代の終わり、当時土方で生計を立てていた著者は、群像新人文学賞に応募するため『すばらしい日本の戦争』という小説を書き始めます。でもその前に、過去十年くらいに出た小説を読んでみたのだそうです。もし、自分が書こうとしている小説が先に誰かに書かれていたら、書くのをやめよう、と思っていたからです。読んでみて過去十年出ていないことがわかり、よし、書こうと思っていたその矢先でした。村上春樹が群像新人文学賞を『風の歌を聴け』でとったのです。著者は、1979年6月号の「群像」を横浜の有隣堂で手に取り、その新人賞受賞作の一ページ目を立ち読みして、「ヤバイ」と思いすぐに閉じました。その一ページを見ただけで、村上春樹という新人が自分と同じことをやろうとしているのがわかったからでした。

 のちに著者はそのときのことを振り返り、「たぶん僕はそれを読んで、世界で一番衝撃を受けた人間かも知れない」と語ります。十年分の小説を読んで新しい作家は誰もいないと安心していたところへ、新しい小説をひっさげた村上春樹が先に登場したわけです。著者が『風の歌を聴け』を読んだのは、それから十年後だったといいます。

『すばらしい日本の戦争』は最終選考で落とされましたが、そのあとに応募した『さようなら、ギャングたち』で高橋源一郎はデビューに至ります。幻となった『すばらしい日本の戦争』は、のちに書き直したうえ、『ジョン・レノン対火星人』(1985)として刊行されました。


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〈参考資料〉
・「文藝」2006年夏号 河出書房新社
・「現代詩手帖特集版 高橋源一郎」2003年10月 思潮社



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