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籠の中の声たち

短編小説

◇◇◇


 手探りで電話を取ると、それはお袋からだった。お袋は、たった今、父さんが亡くなったことをぼくに告げた。真夜中の二時だった。

 お袋の声は淡々としていて、父さんが病院で息を引き取った様子を語るところは、事務的な響きすら感じられた。――お通夜やお葬式の支度もあるから、なるべく早くこっちに帰ってきて頂戴。お袋は落ち着いた声でそう言った。――それから、さつきと厚人にはおまえから知らせてあげて。あの二人には朝になってからでいいから。きびきびと要点だけを押さえたお袋からの電話は、「じゃあ、気をつけて帰って来るんだよ」という言葉を最後に切られた。お袋の声が消えた途端、部屋に暗闇が戻ってきた。ぼくはしばらく受話器を下ろさず、プッシュダイヤルが緑色の光を放つのを放心したように眺めていた。父さんが死んでいちばん悲しいのはお袋自身のはずなのに、電話の向こうではそれをおくびにも出さず、極めて冷静に振る舞っている。そんなお袋の気丈さにぼくは心を打たれていた。父さんの死を、お袋は前々から受け入れていたのかも知れない。だから取り乱すこともなかったのだ。あるいは、これが二度目だからか。

 ぼくはスタンドの明かりをつけてアドレスを調べた。お袋は朝になってからでいいと言ったが、やはり、妹や弟にも今知らせてやるべきだとぼくは思った。だが、二人とも電話が繋がらなかった。さつきは留守番電話になっており、厚人は三十回コールしても出なかった。ぼくは諦めてベッドに戻り、新幹線の始発は六時だから、それまでには少し眠っておこうと目を閉じたが、案の定、まんじりともしないうちに空が白むのを迎えていた。

 三ヶ月前にお袋から父さんが入院したのを聞かされたとき、ぼくは特に驚きもしなかった。検査が済めば一週間で退院できると先に教えられたせいもあったが、父さんとはずいぶん長いあいだ顔を合わせていなかったから、ぴんと来なかったというのが本当の理由だった。それから二ヶ月して、お袋から手紙が届いた。病巣が転移しており、手遅れかも知れないということが便箋二枚にわたってしたためられてあった。ショックではあったが、悲しみは感じなかった。ただ不思議なのは、このとき黒い鳥が飛び去っていくイメージがぼくの胸に去来したことだ。ぼくは父さんを見舞うため、近いうちに帰省することを考えた。訃報はその矢先のことだった。もう二度と父さんとは会えないのだ。そう思うと感傷的な気持ちに陥ったが、やはり悲しくはならなかった。さらにぼくは、父さんの声を思い出すことがどうしてもできないことに気がついた。なぜかはわからない。顔ならすぐに思い浮かべることができるというのに。

◇◇

 東京駅は雨だった。少しの着替えに洗面用具を入れたバッグと、ソフトケースに包んだ礼服を手にして、ぼくは新潟へ行く新幹線を待っていた。線路は濡れて輝きを帯び、ホームとホームの間は無数に落ちてくる雨の糸で満たされていた。

 新幹線はそこに滑り込むように入ってきた。ぼくは大勢のサラリーマンたちに混じって、それに乗り込んだ。やがて、定刻どおりに雨の中を音もなく動き始めた満員の新幹線は、早朝のホームにまだ多くの人々を残したまま、東京駅を静かに離れた。上京して十年になるが、東京はなんて人の多い街なのだろうと、このとき改めて思った。この街には人を呼び寄せる不思議な吸引力が働いている。ぼくたち兄弟も、その力に引き寄せられたと考えることはできるだろう。

 十八で故郷を出て、ぼくはこの都会に就職先を求めた。都心でコックの見習いなど転々としたのち、最後は下町に引っ越して小さな店に落ち着いた。六歳年下の妹は、短大の進学を機に上京し、今は通訳の勉強をしながらモデルの仕事をしている。さらに、一昨年の春、弟が服飾デザインの専門学生として、この東京にやって来た。皆住む場所は違うが、同じ東京の住人だ。結局ぼくたちは、父さんとお袋を残して、山形の実家を出たことになる。自分が抱いている夢のため、自分の可能性を試すため、自分で成功する機会をつかむため、と東京へ出てきた理由をもっともらしく述べることはできるが、その行動の裏には、あの実家が自分の居場所としてそぐわないと感じていたというもうひとつの理由があったことをぼくは否定できない。いや、妹や弟はそんなことを感じてはいなかったかも知れない。ぼくだけがそれを感じていた。ぼくだけが東京をひとつの逃げ場所として選んだのだ。

◇◇

 新幹線は快調に走り続けている。ぼくは窓越しに林立するビルの群れを眺めていた。ガラスにぶつかった細かい雨粒が刻む、無数の斜線の向こうで、ビルはゆっくりと回転しながら見えなくなっていく。このときふと、「潮時」という言葉がぼくの頭の中に浮かんだ。何が潮時なのだろう? 紛れもなく自分の心の内から生じた言葉なのに、それがどういう脈絡から浮かんできたものなのかわからなかった。しかし、それを突きとめるよりも今は、亡くなった父さんのことや、ひとり残されたお袋のことを、ぼくは考えていたかった。

 父さんは、ぼくの本当の父親ではない。ぼくの親父は、ぼくが十四歳のときに交通事故で死んだ。父さんはその二年後に、お袋の再婚相手としてぼくたちの目の前に現れたのだ。ぼくは、再出発を始めることになったこの新しい家族に馴染むことができなかった。どこか、しっくりこないと感じていた。しかし、それはぼくの心の中に、あるひとつのわだかまりがあったからで、ぼくは父さんのことが決して嫌いなわけではなかった。父さんはお袋にいつも優しかった。それは紛れもなく本物の愛情だった。そして、その愛情は、ぼくら三人の子供たちにも公平に分け与えられていたのだから。

 お袋が再婚する前、うちで鳥を一羽飼っていたことがある。まだ誰にも言ったことはないのだが、ぼくはあの鳥の一件がなかったら、なんのわだかまりも持たず、父さんのことを素直に受け入れていたかも知れない。そして、お袋に猜疑の眼差しを向けることもなかっただろう。あれから十数年も経つのに、ぼくは今でもときどき、あの黒い鳥が飛び去るイメージが頭をよぎることがある。そのたびに、ぼくは死んだ本当の親父の声を思い出し、いい知れない哀しみに包まれるのだ。

◇◇

 高崎を過ぎると乗客はうんと少なくなった。スーツを着たビジネスマンのほとんどがそこで降り、ぼくの隣も空席になった。すっきりしない空は東京と同じだが、雨は降っていない。ぼくは店のオーナーに休暇の連絡を入れるため、荷棚からバッグを下ろし、中から携帯電話を取り出した。客室車両を出て人気のないデッキに立つ。電源を入れて、ダイヤルを押そうとした瞬間、着信のベルが鳴った。慌てて携帯をつかみ直し、小さな声で「はい」と出てみる。電話はさつきからだった。

「兄さん? 携帯の電源を入れてなかったでしょう。さっきからずっと掛けていたのよ」

 非難めいた口調の妹に、ぼくは短く詫びを言った。

「父さんのことはもう知っているのか?」
「兄さんからの留守電を今朝聞いたわ。それで、急いでお母さんに電話したの。だけど、何度掛けても出ないのよ」
「まだ病院なのかも知れないな」
「兄さんの携帯は繋がらないし、厚人にも連絡がつかない。かといって、じっと黙ってもいられないから、急いで支度をして、今、車で実家に向かっているわよ」
「お袋が病院から連絡を受けたのが夜中の十二時だったそうだ。駆けつけたときには医者と看護婦が父さんのベッドを囲んで、応急手当の真っ最中だったらしい。様態が急に悪くなったんだろうな」
「お父さん、苦しんだかな……」
「それは、わからない。とうとう最後まで、意識が戻ることはなかったそうだ」

 さつきのため息が聞こえた。

「可哀想ね、お父さん……」
「お袋もな」
「厚人は、お父さんが亡くなったこと、知っているんでしょう?」

 電波が乱れたのか、さつきの声にノイズが交じった。

「え? いや、あいつとは、まだ連絡が取れていないんだ」
「そう。考えてみれば、私たち兄弟の中で、厚人がいちばんお父さんになついていたよね」
「そうだな。あいつが、いちばん可愛がられていたかもな……」

 お袋の再婚相手である父さんと初めて対面した日のことを、ぼくは今でも憶えている。あれは夏だった。とても蒸し暑い日だったが、ぼくとさつきと厚人は、茶の間にきちんと正座をして、その人が来るのを待っていた。やがて、お袋により茶の間に通されてきた白いワイシャツ姿の男を、ぼくたちは一斉に見上げたものだった。

 父さんの印象は悪くなかった。少し痩せてはいたが、背がとても高い人だった。照れ臭そうにはにかむ笑顔に嘘はなく、いい人だということは、目を見てもわかった。初対面なのに信頼できる人、それが、父さんの第一印象だった。そして、それは、ぼくたちを最後まで一度も裏切ることはなかった父さんの、本質そのものだった。

「ところで兄さん、今新幹線の中なんでしょう。どの辺りまで進んでいるの?」

 声を明るい調子に変えて、さつきがそう訊ねてきた。デッキにある窓の外では、曇り空を映した水田が、まるで水平にした扇子を閉じていくように、後方へと飛び去っていく。

「もうじき長岡だ」
「そう、じゃあ、お昼前には実家に着くわね」
「おまえは?」
「私はついさっき、東北自動車道に入ったところ。そうね、あと四時間はかかるかな」

 ぼくは、さつきが乗っている車を頭に思い浮かべた。

「まさかおまえ、高速道路を運転しながら携帯電話を掛けているんじゃないだろうな?」
「そうだけど」
「事故にでも遭ったらどうする」
「あら、平気よ。すごく空いているもの。それに、歩行者がいないから高速道路はもっとも安全な道路だって言うじゃない」
「少しでもハンドル操作を誤ったらあの世行きだぞ。二度と運転しながら携帯を使うな」
「相変わらず心配性ね、兄さんは。そんなにも人のことを心配してあげられるのなら、どうしてお父さんのことを、もっと考えてあげられなかったのよ」
「じゃあ、切るからな。気をつけて運転するんだぞ」

 ぼくは電話を切った。

◇◇

 本当の親父が死んで二年しか経っていなかったから、お袋が再婚したいと言い出したとき、ぼくは正直言って賛成したくなかった。なぜなら、ぼくら子供たち三人の心の中には、今でもはっきりと、死んだ親父が息づいていたからだ。

 あの当時、うちには一羽の九官鳥が飼われていた。それは、あるとき、親父が知り合いから譲ってもらったのだと言って我が家にやって来た初めてのペットだった。ぼくたちは愛情を込めて九官鳥の世話をした。鳥は家族の一員になり、いつしか、家族の絆をより堅く結びつける役目を担うようになった。

 九官鳥は、人の言葉を真似る特技を持つ。その人の口調ばかりか、声色までそっくり覚えて再生してしまう。いうなれば、テープレコーダーと同じだ。ぼくたち家族には、このことがとても大きな意味を持つようになった。九官鳥が親父の声を、親父そっくりにしゃべるからだ。

「ほら、まだお父さんが生きているみたい」

 お袋は、よくぼくたちに向かってそんなことを言った。お袋がそう言うたびに、ぼくとさつきと厚人は鳥籠の周りに集まって、耳をそばだてたものだ。しかし、そういうときに限って九官鳥が再び親父の声でしゃべることは稀だった。ぼくたちは鳥籠の前に立ち、九官鳥の一挙手一投足を見つめ、親父の声を辛抱強く待ち続けた。

 九官鳥が真似をする親父の言葉は、ぼくの知る限りふたつあった。玄関の広い下駄箱の上に鳥籠を置いて飼っていたからなのか、九官鳥は親父の声で「ただいま」としゃべった。そして、もうひとつが「早く起きろ」である。気紛れな九官鳥が気紛れに口にする親父の声だが、ある朝などは、玄関から「早く起きろ」の声が聞こえたのが合図となって、ぼくたちは本当に寝床から跳ね起きたことがあった。親戚の伯父や叔母がうちに遊びに来たときは、誰もいないところから「ただいま」と死んだはずの親父の声がしたのに驚いて、たいそう気味悪がったが、お袋はいっこうに気にしなかった。ぼくたちも、そんな伯父や叔母たちを見てげらげらと笑い転げたものだ。

 もちろん、九官鳥がしゃべるのは親父の声ばかりではない。お袋が普段よく口ずさんでいたザ・ピーナッツの「恋のバカンス」の鼻歌や、「アイス食べたいよー」と言う食いしん坊なさつきの声、厚人が無理矢理覚えさせたらしい救急車の「ピーポー、ピーポー」というサイレンの口真似など、九官鳥はとても上手にコピーした。ぼくの真似は、なぜか、洗面所でうがいをしている音、だった。この九官鳥にとっては、人の声だけではなく、家の中の生活音まで物真似する素材となるようだった。ポストに新聞が届くガチャッという音、お袋が台所で野菜を刻むトントントンという音、襖をピシャリと強く閉める音など、実に見事に再現してみせるのだった。

「聞いた? 今、襖を閉めたの、お父さんじゃないかしら?」

 あるとき、九官鳥を見つめていたお袋が嬉しそうにそう言った。鳥籠を囲むようにして集まっていたぼくとさつきと厚人は、そのお袋の言葉に、一も二もなく賛同した。ぼくたちはお袋の言葉を信じたかった。この、黒い鳥の身体の中には、親父がいる。親父が、この九官鳥の体内に棲んでいて、呼吸をし、歩き回り、襖を閉め、ときにはおしゃべりをしているのだ、と。遠くへ行ってしまったわけではない、いつでもそばにいる親父の存在を、ぼくたちは信じたかった。ぼくは今まで以上に、この九官鳥を愛した。家族五人がすべて揃っているこの籠の中の声たちを、愛したのだ。

 しかし、そんな大切な九官鳥を、お袋はどうして逃がしてしまったのだろう。

 あの日、午後になって学校から帰ってくると、お袋は開いた窓から外を見つめていた。さつきと厚人は一緒に遊びに出掛けていて、家にはいなかった。ぼくは、「お帰り」と言ったきり振り返ろうともしないお袋の傍に、空になった鳥籠が置いてあることに気がついた。ぼくはしばらく茫然とし、お袋とその空っぽの鳥籠を、交互に見つめた。何が起きたのかは、聞かなくてもわかったが、ぼくは訊ねずにはいられなかった。

「逃げたの?」

 ぼくは、醒めた口調になっていた。

「……逃げられちゃったわ」

 お袋は、ぼくの顔を見ずにそう言った。心に穴があくとは、こういう感じをいうのだろうか。ぼくは、窓の外に駆け寄った。九官鳥はおろか、どんな鳥の姿も見えなかった。

「お母さんね、今夜、おまえたちに話したいことがあるの」

 お袋は、ぼくの目を覗き込みながらそう言った。

「お母さん、再婚したいと思っているのよ」

 それは初めて聞く話だった。でも、なぜかその言葉が、ぼくの胸にすとんと滑り落ちていった。そういうタイミングだったのだろう。

 新しい家族は、表面的にはうまくいっていたと思う。ぼくはお袋の再婚相手のことを、さっそく「父さん」と呼んだ。しかし、お袋に対する不信感を心に抱えていたぼくにとって、それは、死んだ親父と新しい父親との間に仕切り線を引く、明確な区別を意識した言葉だった。お袋が、親父そのものであった九官鳥を、わざと逃がしたことは、ぼくにとって許せることではなかった。お袋にとっては過去への訣別であったのかも知れない。しかし、ぼくにはその行為が、お袋の裏切りにしか思えなかったのだ。

◇◇

 新潟駅に到着した後、特急列車に乗り換えた。山形の実家には、あと二時間ばかり列車に揺られなければならなかった。荷棚にバッグを載せているとき、携帯電話が鳴った。

「兄さん、厚人と連絡が取れたわよ。とても、驚いていたわ」

 さつきの声は、意外と明るいものだった。

「厚人は長距離バスで、うちに向かうそうよ。到着は今夜遅くになると思うけど」
「おまえは今、どこにいる?」
「那須高原。大丈夫、ちゃんとサービスエリアに車を停めて電話しているわよ」
「みんなが揃うのも、久し振りだな……」
「こういうときでしか、会えないなんてね」

 不思議なものだ、と思った。東京に住んでいながら、お互い会うことはなかったのに、数百キロ離れた故郷ならば、家族全員が揃ってしまう。山形の実家は、文字通り、我々の帰るべきホームなのだ。

「さつき、昔うちで飼っていた九官鳥のことは憶えているか?」
「ええ、もちろん憶えているけど。なんで?」
「お袋は、あの鳥を、どうして逃がしたりしたんだろう」
「え? 兄さん、何を言っているの」
「何って?」
「あれは、厚人が水を替えているときに、うっかり逃がしちゃったのよ。私と二人で外に探しに行ったんだもの。今でもはっきり記憶にあるわ。兄さん、今までお母さんだと思っていたわけ? もしもし、ねえ、兄さんたら。もしもし?」

 さつきの呼びかけに、ぼくはすぐに返事ができなかった。周りにあった一切の音が、遠のいたような気がしたからだ。

◇◇

 車窓には、のどかな日本海の風景が流れている。海面は緑と碧に塗り分けられていた。今朝方降っていた東京の雨が信じられないほど、青空は澄み渡っていた。実家に残るようにぼくを説得する父さんを振り切り、一人で列車に乗った十八歳のときも、ぼくはこの風景を眺めていた。時間を遡るように、今は逆の流れで同じものを見ている。またひとりになってしまったお袋のことに思いが及ぶと、朝、ふと心に浮かんだ「潮時」の意味が、ようやく理解できた気がした。

 列車の揺れは、ぼくを浅い眠りに誘った。故郷の町の名を告げる車内アナウンスがあるまで、ぼくは夢を見ていた。真っ白な空間の中に、部屋ほどの大きさの鳥籠がある夢だ。その中に、ぼくとさつきと厚人、そして、お袋と死んだはずの親父が入っていて、丸いテーブルを囲むように席に着いている。テーブルの中央には旧い型の黒電話が置かれていた。ぼくたちは、その電話が鳴るのを待っていた。誰から掛かってくるのか、ぼくたちはわかっていた。父さんからの電話、父さんの声を、ぼくたちは待っていた。

(了)


四百字詰め原稿用紙二十枚(7,232字)


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