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横溝正史『三つ首塔』《砂に埋めた書架から》37冊目

 金田一耕助が登場する横溝正史の探偵小説である。
 おどろおどろしいイメージがある巨匠の作品群だが、この『三つ首塔』は“隠れ名作”という感じがする。
 それはどうしてなのか。

 それは、この小説が宮本音禰(みやもとおとね)という若く美しい女性の視点で進行するからなのだ。
 まさに『三つ首塔』では音禰が主人公である。この作品で金田一耕助は、重要ながらも脇役に過ぎない。

 巨額の遺産相続が原因で、次々と音禰の周囲で殺人が起こるところは、横溝正史の代表作『犬神家の一族』を彷彿させる。だが、舞台が因習の色濃く残る農村や瀬戸内海の孤島などではなく、東京という大都市なこともあって、正史が繰り出す読者サービスは、どことなくモダンである。
 奇怪なアクロバットを演ずるダンサーや、妖しく淫靡な会員制の秘密クラブ、今でいうコスプレなど、風俗もふんだんに登場する。
 およそ一般的な横溝正史のイメージとは違う道具立てで進行する物語に、王道の作品とは違う匂いを感じるのは私だけではないだろう。

 お嬢様育ちの宮本音禰が、次第に堕落した境遇につかまっていくと同時に、目まぐるしく事件が展開するあたりは、当時流行していた海外ミステリーの影響もあるようで、スピード感に溢れている。遺産狙いの策謀に満ちた人物が入れ替わり立ち替わり現れては音禰を脅かし、追っ手に囚われた彼女が毒牙にかかる、エロチックな場面も読みどころであろう。

 現代では、時代錯誤的な女性観にいささか抵抗を覚える読者もいると思う。しかし、あの時代であったからこそ成立するこのような形のロマンス小説、しかもミステリーとサスペンスの要素が満載の小説を、私は肯定的に受け止めたい。女性の一人称で進行する金田一ものの長編ミステリー、ということで食指が動いた方にはもちろんオススメである。


書籍 『三つ首塔』横溝正史 角川文庫

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■追記■

 この書評(というよりは感想文)は、2003年7月に作成したものです。

 年初から連日のように、有名自動車企業の元会長による日本からの大脱走劇が話題になりましたが、ちょうどその頃、Twitterに興味深い現象が起きていました。横溝正史の本格推理小説『蝶々殺人事件』がトレンドに上っていたことです。

 人間が楽器のケースに入って……というところから、往年のミステリーファンであれば、コントラバスという大型弦楽器のケースの中から死体が発見されるというその横溝正史のミステリー作品を連想するのは容易なことだったと思います。私もその一人でした。中学生になって初めて角川文庫で横溝正史の小説を読むようになったのですが、『蝶々殺人事件』の表紙絵を見たときは、目の玉が飛び出そうになりました。黒のガーターストッキングだけを身に付けた裸の女性が両脚を広げたあられもない姿でコントラバスのケースに収まっている図柄は、あまりにも刺激が強過ぎました。読みたくても純情な中学生だった自分(ただし、むっつりスケベ)には、買う勇気はなかったです。(結局、学校の図書室で借りて読みましたが、表紙は外されていました)

 思えば、私にとって横溝正史の小説を読むということは、角川文庫にある黒の背表紙に緑の題字で並んでいる既刊を読むことであり、文庫のカバーデザインを手がけている杉本一文氏の絵から物語の中味を想像してゾクゾクすることであり、そして本編を堪能した後に大坪直行氏や中島河太郎氏の解説を読んで深く得心することでした。

 杉本画伯が描く表紙絵を怖々と覗きながら、文庫を選んでいた中学時代の体験は強烈で、今考えると、面白いけれど怖い横溝ミステリーを読むための心の準備をその表紙がさせてくれていたように思います。さらに、両氏の詳細な解説を読むことで、大人目線による横溝ミステリーの魅力を理解し、同時に、戦前戦後の日本推理小説史の一端を学ばせてもらっていたようにも思います。

 ただ、現在、書店で売られている横溝正史の主要作品の文庫本は、「金田一耕助ファイル」とシリーズ化され、タイトルから借りた一文字を図案にした表紙に様変わりしています。解説も掲載しない仕様になっていることから、個人的には物寂しさを感じています。表紙が怖かったという人は、現在のシリーズは買いやすいでしょう。逆に杉本一文画伯の絵に魅力を感じている人は、古書を漁るしかありません。

 この『三つ首塔』を読もうとしたきっかけは、小さい頃、再放送でドラマの最終回だけを観た記憶があったためです。古谷一行が金田一耕助を演じたあの有名なドラマシリーズですが、実は、『三つ首塔』がどんな事件で、どんな物語だったのか、さっぱり分からなくてずっと気になっていました。推理ドラマの最終回だけ観るというのは実に勿体ないことです。

 横溝正史については、いつかまとまったエッセイを書いてnoteに投稿できたらと思っています。

■追記の追記■
 この文章を書いて下書きに残している間、いや、驚きました。昨日赴いた書店の新刊文庫のコーナーに、『蝶々殺人事件』を見付けたからです。角川文庫から再刊されたということでしょう。感動したのが、表紙が杉本一文氏、解説大坪直行氏で、完全に復刻されていたことです。
 表紙も2パターンある中で、楽器のケースに収められた図案の方が採用されていました。金田一耕助ではなく由利先生ものの『蝶々殺人事件』の再刊。これはもう、ゴーン効果と言っても間違いないでしょう。

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