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大江健三郎『「雨の木」を聴く女たち』《砂に埋めた書架から》20冊目

 とても惹かれるタイトルである。

 全部で五つの作品が収録されているのだが、いずれも「雨の木(レイン・ツリー)」という共通の言葉がタイトルに付く作品集となっている。

 ハワイ大学が主催するセミナーに参加した主人公の「僕」(大江自身を彷彿させる)は、そのパーティー会場になっている建物の前庭に立つ巨大な樹木(レイン・ツリー)に魅せられる……。

 小説の始まりから、神秘的な気配を漂わせた「雨の木」が登場するわけだが、この「雨の木(レイン・ツリー)とは、いったいどういう木なのだろう。
 作品内の説明によると、指の腹がおさまるくらいの窪みを持つ葉がびっしりとついており、そこに雨水を溜め込むことができる。夜中に驟雨があると、翌日は昼過ぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、まるで雨を降らせるよう、なのだという。

 大江はこの「レイン・ツリー」を宇宙モデルの暗喩(メタファー)としてこの作品内に掲げたことを、二番目の短編、『「雨の木」を聴く女たち』の冒頭で明かしている。だが、この暗喩の全容を読み解くのは、この連作集を読み進める読者にとって、実際、容易なことではない。

 私はこの本を、十代の終わりに手にしたが、作品の難解さと大江の推敲に推敲を重ねてできたうねるように続いていく周到な文体に辟易して、途中で本を閉じた。挫折したのである。歳月を経てから、この連作集をようやく読み通すことができたが、簡単な小説でないという印象は、最初に読もうとしたあの頃と変わっていなかった。

 ひとつに、連作最後の短編『泳ぐ男――水の中の「雨の木」』で、大江自身が同時並行的に書き進めていた同じテーマの長編があったらしいのだが、完成にまで至らないとして破棄したことを打ち明けている箇所がある。このまま無理に進めても、“にせ”の「雨の木(レイン・ツリー)」が現出するのみだとして……。
 私が思うに、作者がそこまで突き詰めて考えても、成し遂げられずにいるこのテーマを、そうあっさりと読者が理解するのは難しいのではないだろうか。たとえそれが書くのを破棄した長編ではなく、この短編だとしても。

 私には「レイン・ツリー」の暗喩(メタファー)の全容を読み解くことは、かなわなかった。しかし、だからこそ、私はその「レイン・ツリー」を主題とするこの小説に引き込まれるのである。

「僕」の旧友である高安カッチャン、その連れの中国系アメリカ人女性ペニー、ペルー人の日本文学研究家カルロス・ネルヴォ、プールで知り合った玉利青年と、同じく外資系旅行会社勤務のOL、猪之口さん。これらの主要人物が、読み終えてなお生々しく私の記憶に留まっているのは、綿密な記述を施す大江文学が持つ、圧倒的なエネルギーの残留に他ならない。

 まるで「雨の木」から落ちる滴りのように、私の中でいつまでも長くそれは続くようである。


書籍 『「雨の木」を聴く女たち』大江健三郎 新潮文庫

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■追記■

 この書評(というよりは感想文)は、2008年10月に作成したものです。

 私はこの感想文の最後に、こう書いています。

(……まるで「雨の木」から落ちる滴りのように、私の中でいつまでも長くそれは続くようである。)

 はいっ、出ました、ここ、間違いなく私は格好付けて書いています!
 何年かぶりに自分の文章を読み返すと、こういう自己陶酔しまくりの赤面する箇所に出くわすことがあります。批評どころか感想すら手に負えないと、こうやって格好付けて自分を誤魔化そうとする気持ちが頭をもたげてくるのです。よくないです。

 すべては私の勉強不足からなのですが、大江作品は、読んでも理解できた気がしません。その理由をざっくりと挙げると、作品の中に自分の知らない作家、詩人、芸術家、学者などの言葉及びその著作などが引用されること、また、その引用が特に分かりやすいわけではなく、ある程度の教養がないとその真意を汲み取れない(気がする)こと、作者の推敲に推敲を重ねて出来た独特の文章、文体が、やはり読みづらさ(“悪文”と呼ぶ人もいるようだが)を助長させていること、などです。

 けれども、私は大江作品に出てくるエロティックな描写、思いきって言うなら「変態」的なシーンに惹かれています。特に、この作品集の掉尾を飾る『泳ぐ男――水の中の「雨の木」』という短編を読んだときは、あまりにも奇怪な内容に驚愕しました。何というド変態!(←褒めてます!) 私は大江健三郎の小説はわずか数冊しか読んでいませんが、真面目そうなテーマだと思って手にした『人生の親戚』という作品も、変態性は健在でした。

 表題作『「雨の木」を聴く女たち』に出てくる音楽家Tが、現代音楽の作曲家、武満徹のことだと知り、実際にこの小説にインスパイアされて武満が作曲したという「雨の樹素描」が収録されたCDを購入して聴く、ということもしました。
 ここまでするのも、私はこの小説を何とか理解したかったからだと思います。

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