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竹村真一『宇宙樹』《砂に埋めた書架から》32冊目

 私たち人類は、ともすれば植物を自分たちよりも下に置きがちである。

 藻や草花や樹木が、光合成によって酸素を生みだし、その恩恵を自分たちが受けていることは十分承知しているのに、もの言わぬこの温和しい植物たちを、私たちは低く見ているふしがある。しかし、それは果たして正しい態度なのだろうか。

『宇宙樹』は、人間と植物界の“共進化”について思考した本である。

 植物と人間は、この世界で共生していく関係にあることを私たちは忘れてないだろうか。古代の人々にとって、植物と人間は対等であった。衣食住という基本生活のほとんどを、植物に頼り、依存していた。人間は自然に対して敬意を払い、感謝の念をもって接していたのである。

 けれども、科学が進んだ現代においては、次第にそのことがおろそかにされているように私は思う。植物たちを、共に進化していくための私たちのパートナーとして位置づけたとき、今まで見えなかったことに目を見開かせられ、世界の様相が変わる。そういう風に気付いてもらうことが、本書の狙いではないだろうか。

 この本が素晴らしいのは、思いがけないビジョンを提出してくれることである。

 樹は立ち上がった水だ、という表現がある。
 夜、実体としての木々が姿を消した真っ暗な樹林で、もし樹々の内部を流れる水だけが蛍光を発して浮き出てきたとしたら、ぼーっと立ち上がった、ゆるやかに踊る水柱の群れが、さぞ美しいことだろう。

竹村真一「宇宙樹 cosmic tree」 p37 .


 こういうビジュアルイメージが随所に出てくるのが、何とも素晴らしい。

 この本を読むすすめるうちに、私は不思議な感覚に包まれた。樹木を服のように着込んでいく感覚である。
 服に袖を通すように、自分の意識をその枝先まで伸ばしていく。すると、ちっぽけな自分の体が空に届き、あるいは地下に伸び、ありとあらゆる植物や樹木と繋がって、一体化していくような不思議な感覚である。
 ひょっとすると、人間がこの先、この地球上で進化を遂げるとしたら、このような形になるのではないか、と私は思った。

 繰り返し読みたくなる良書である。


書籍 『宇宙樹』竹村真一 慶應義塾大学出版会

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■追記■

 この書評(というよりは感想文)は、2007年1月に作成したものです。

 ここに小説ではない本を紹介するのは初めてです。この本のことを知ったのは、仕事帰りに車の中で聴いた夜のFMラジオでした。

 当時、私は今でいうブラックな職場で働いていて、体よりも心がひどく消耗していました。仕事を終え、タイムカードに刻印し、ぐったりと運転席に凭れたとき、歌手のMISIAがパーソナリティをしている番組が始まっていました。あの伸びやかでソウルフルな歌唱のときの声とは違い、普段のトークはとても可愛らしい声だったので、そのギャップが面白く、つい聴き入ってしまったのを覚えています。そのとき出演していたゲストの方(たぶん、書店の経営者)が、おすすめの本として紹介していたのが、この『宇宙樹』でした。先に引用した一節も、このラジオで話していたので印象に残っていました。

「そうか、樹は立ち上がった水なのか……」と私は深く感心しました。そして樹の中を通る水が蛍光色に発光して浮かび上がっている、そんな架空の夜の森を想像しました。疲弊してくたくただった荒涼とした心が、美しく幻想的な風景に取って代わり、嫌なことを忘れた私は、本来の自分を取り戻したような気持ちになりました。

 この本の最初の方に出てきますが、インドに伝わる「アーユルヴェーダ」という伝統的な医術を使うスリランカの名医に、体調を崩した筆者が診断をしてもらったときのエピソードは興味深いです。薬草を採りに行くというその名医に同行した筆者は、期待に反して薬草を採らず手ぶらで帰ろうとする名医になぜ採らないのか理由を尋ねます。このとき名医から返ってきた答えは「今日は日が悪い」というニュアンスのものでした。名医によれば、薬草が目の前にあっても、最適なときに採ったものでなければ治療に使っても役に立たない……ということなのだそうです。

 私は文章の創作も、これと似ているところがあると思いました。小説でもエッセイでも、そこに使われるべき最適な言葉というものがあって、筆運びが悪いときや、思考が行き詰まるとき、文章のリズムが狂ってガタガタになっているとき、ひょっとしたらその前のところで、つい背伸びをして難しい言葉や、無理をしてカッコイイ言葉を使ってしまっているのではないか。きっと、うまい文章を書ける人は、使うべき最適な言葉というものを、ぴたりとその文脈の中に見付けて配置できる人なのではないか……。苦労して書いてはみたけれど、どうも文章がしっくり来ないとき、今はその言葉を使うタイミングではない、のかも知れません。

 植物の最適な時期を見極められることが、この「アーユルヴェーダ」という医術に欠かせない要素の一つであるならば、このとき、植物と人間との間で何らかの形で対話がなされているはずです。そのときは、人間の方から樹木や植物の声に耳を傾けなければなりません。『宇宙樹』のテーマである共進化のヒントは、常に身近にあるような気がします。

 さて、ブラックな職場の余談ですが、その後、私は心身を消耗し、二年で体重が10kg減って、やむなくその職場を退職しました。もし、そのまま我慢を続けていたら、と考えるときがあります。ちょうどその辛い時期に、気分転換にディズニーシーへ行ったときの写真があり、一緒に行った妻にそれを見せると「死人が写っているね」と今でも言われます。蒼白の顔で46kgに体重の落ちた自分は、その写真の中で明らかに生気を失い影が薄く、あの世に片足を突っ込んでいるように見えます。それを見る限り、あのときの退職は適切なタイミングだったと言わねばなりません。

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